第499話 嫌悪を取り繕うこと

 能天気にきゃらきゃら笑うニーソの声が迷宮の安全区画に響く。

「荷物袋に入れておけばいつでも美味しいものが食べれるのもいいけど、目の前で出来上がったばかりの料理もたのしー」

「汚れ落としのスキルを誰かに使わせるんだからあぶらは服に落とさないように食べなよ」

 ハーヴェストが呆れたように言葉を返しながら大きくはない鉄のヒラ鍋を火の上で軽く動かしている。

 トロと呼ばれている双頭犬が料理に適した熱を維持するよう器用に火を調整している。

「おかーりー」

 虎女が口元を汚しながらハーヴェストに皿を差し出していますね。

「マトラ、先にサクの分作るから待って」

 意外に順番にうるさいハーヴェストが虎女に待て。です。

「え。あ、その、マトラのおかわりが先でいいよ」

 印象の薄いヒョロリとした年長の少年……おそらく成人たる十五前後でしょうか? 気弱そうに遠慮しますね。

「しょーがないわね。サクには私の荷物袋から携帯食あげるー」

 楽しげにニーソが差し出す焼き菓子に見える携帯食を「あ、結構です」と即座に断り、「マトラが満足してからでいいよ」と気弱く微笑んで見せます。

 これは意外に図太いのではないかと思うんですよ。人生経験とても薄いネア・マーカスといたしましては。

「っんもう。戦闘では役に立てないからお役立ち所持品で地位確保しておきたいのにぃ!」

 ニーソがまた妙な鳴き声をあげていますよ。

「それはニーソが役立っているんじゃなくて荷物袋が優秀では?」

 だって自分で詰めているとは思えませんから。

「そう! それを持ってきた私えらい」

 そうなの?

 ふふんとふんぞりかえるニーソに生ぬるい感じの眼差しをハーヴェストがむけている。サクは相変わらず感情のよくわからない薄笑い。虎女は食事しか見ていない。

「だってちゃんと荷物袋がなければそこで不足が出るでしょ。余裕は大事だと思うわ。ね」

 そうなのかしら?

 でも、ハーヴェストは……、否定も肯定もしていない。

 でも、ニーソもハーヴェストも異なる世界のコトワリの中に常識の指針を置いている。

 サクの表情は私には読めない。

 納得してかまわないことなのか、それともなんとなく納得したくないという反発力に従うべきなのか、少々悩むのです。『私』ならどう判断していたのでしょうか?

 私の内側に確かに存在していた『私』の記憶や判断が徐々に削れて消えていくこわさがあります。『私』が『天職の声さん』と呼んでいた私の契約迷宮だったはずの『腐海瀑布』との繋がりも絶たれ、私の髪から『腐海瀑布』の深緑は失われ、今最も強い管理迷宮である『豊穣牧場』由来の海松色に染まっています。ハーヴェストには「ほぼ変わらないのでは?」と言われましたが、違うんですよ。魔力の浸透が薄いので。

「非常時の備えは必要でしょうけど、それをサクにむけるのなら無意味では?」

 だって、私もサクもハーヴェストやニーソと同じくきちんと備えていると思うんですよね。虎女や犬と違って。ただ、たぶんハーヴェストの準備と調理に甘えているだけで。

 わかってはいたらしくニーソがぷくりと頬を膨らませますね。

「あー、もう。つまんなーい。ネアがマトラん嫌いなのは知ってるから友好度上げやすいかと思ったのに〜」

 意味がわからないことを鳴きますね。ニーソは。

「だって、ネアはネアと違ってティカ距離測りかねているからつけ込みやすいと思ったのに」

「え。そういうことを口に出しちゃうの?」

 ハーヴェストがニーソに尋ねますね。

「えー。はっきり言っといた方が距離測りやすいでしょ。別に故意に敵対したいわけじゃないし。猫を被って気に入られるより素で気に入られたいし? もちろん、ネイデガートお兄さまにはいつだってかわいいニーソレスタでありたいけど、他には別にだし」

「取り繕うことは大事だと思うよ?」

 赤裸々に語るニーソにサクがそっとつっこむ。

「純粋にこの世界の存在の意見よね。気にしておくわね」

 利用価値に対して素直で正直。『私』は彼女の立ち位置から彼女への印象を下げていた。私が女狐や虎女を嫌うように。

「つまり、嫌いでも取り繕うことは必要かしら?」

 私は、私を守ってくれないかった存在を間違いなく嫌っている。

 嫌うという感情から私を守ってはくれない『私』が私を見捨てた『私』が嫌い?

 私は『私』が恋しくて、守られていたいのにいなくなってしまうことを言い聞かせてきていた『私』を求めている。

「取り繕うことは必要だと思う。いろんな理由でね」

 やんわりと言ったのはサクではなくハーヴェストだった。

「ネア姉さんが、大切にしていたからと言って違うネアさんがそこにそう必要はないし、ほしいものがわからないならきちんとのせられず考える方がいいよ」

「あー、ハーブがひっどーい。まるで私がネアを利用しようとしてるみたいじゃん。たとえそうでも敵対者がいるんだから安全性をあげるのは当然のセイゾンセンリャクでしょ」

 あ。利用は、しようとしているんだ。むしろ、ちょっとほっとした。……なんで、かな?



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