第496話 大切なこと

 これはちょっとティルケには言い難いこと。

『私』は私の安全のために本来の名を封じた。

 だから今の私はネア・マーカス。

 本来の名である『ネイデガート』から拾って『ネア』である。わかりやすいかもしれないけれど、ネアっぽい名は意外に多く市井に紛れることにはむいていた。

 学都にきてからぼんやり人が呼び合うのを聞いていれば『ネリー』『ミネア』『ネスティー』『バーニア』とそれなりに聞こえてきたのでありがちな名に紛れることには成功しているんだと思えた。

 ……『私』の名付けセンスはちょっと悩ましい気がするので無難であったことに感謝すべきでしょう。

「というわけで、おはなししましょう。ハーヴェストさん。ティルケとニーソは抜いて。もちろん、他の部外者も抜きです」

「いいけど。メイドさんはいいの?」

「ローベリアは問題ありません。給仕と盗聴対策をさせるだけですし」

 二人話し合い用の部屋に移動します。

 蔓と布を織り合わせた敷き物の上に冷感効果のあるクッションです。

 迷宮学都に集まった各地の習慣風習から有益そうな物を試すことは大事なのだと亡きお父様はおっしゃっていたと記憶しています。

「御簾にゴザ……ん、さすがに座布団はないか」

 きょろりとと見回したハーヴェストは敷き物の端で履き物を脱ぎ、適当と思われる位置でこじんまりと腰をおろしました。おろす前に敷き物に『清浄』かけてましたね。

「座布団ってなんです?」

「こういう場所で座るときに下に敷く敷き物かな。クッションみたいなものかな」

 ふぅん。

「確かに直接より柔らかい敷き物があるのはいいですね」

 クッションみたいということは少し違うんでしょうね。

 ハーヴェストは荷物袋から取り出したマントを四角く畳んでさっさと敷き物にしました。あれではあまり柔らかくないのでは? そのくらいが座っていやすい? そうなんですね。

 ローベリアが低い卓を配置し、飲み物と摘むおやつを配置させ壁ぎわに下がります。

「ハーヴェストは私に協力するのですよね?」

「困り事の解消の手伝いや相談にはのれると思うかな。カシリたちの納得具合によって手伝える範囲は変わるよ。僕自身ができる範囲は実に少ないし、僕には僕以外に強制力はないしね」

 にこりと笑って飲み物のグラスに手を伸ばすハーヴェスト。彼はとりまきへの自身の影響力をすべて綺麗に無視してみせる。彼は確かに管理者ではないし、迷宮神子でもない。それでも強力な階層ボスと言える魔物に心酔され、迷宮主たる火竜に気に入られている。あの若い迷宮主である虎女は私の管理下とはいえ、彼に害悪とあの虎女が判断すれば噛み付いてくるだろう。

 それなのに彼は自身では非力だと笑むのですか。

 苛立ちを得ますが、今は話題にするところではありません。

「なんとかしたいのですが、ニーソとティルケには特に伏せておきたいことの相談です。漏えいしてほしくはないのです」

「隠しごとは内容によるけど、ティカちゃんとはちゃんと話しをした方がいいんじゃないかな? もちろん、僕からもらすことはしないし、カシリにも沈黙を守らせる」

 お約束をもらいます。本当は誓約をかけたほうが良いのですが、いいでしょう。

「私の親から貰った名は『ネイデガート』です。『私』は私の身の安全を確保する為に見知らぬ人々に『ネア』という名を周知させ、ステータスカードを作成しました。あの迷宮のない国で」

「迷宮の、有無とステータスカード……ああ、関係しているんだ。『流玄監獄』付近の空白の迷宮核未満や周囲の国々の迷宮核の余波で作成されたんだろうという予測のようだけど?」

 途中、火竜に答えてもらったらしいハーヴェストが首を傾げています。

「ええ。実際のところ『私』には感謝しているので良いのです。問題は、この学都には私をこの街から排斥した叔父とその叔父のもとに『ネイデガート』が存在するということです」

 ニーソは自らがその妻のひとりにおさまるのだとにこにこ言ってましたしね。コレがあるのでニーソには伝えられないのです。

 私は亡き父から貰った私の名を大切だと考えてはいるのです。

 たとえ、『私』が名に重きをおかないとはいえ、私の為に愛称でも通る名を名乗ってくれたことに感謝できるくらいには。


 だから、私の名を奪った存在にどう感情を向けるのか。とても悩んでいるのです。


「なぜか、ティルケからもニーソからも人柄について悪い話は出ないのですよ」


 いっそいけすかない人物ならいいのに。多少不満を口にしても私が二人に嫌われる要素が少ないように。



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