第490話 持たぬ者

 その日、書類仕事をしていた私のもとに駆け込んできた侍従(勤続五年目)が頭を下げる。

「公爵代行様、迷宮『シュレトレアル』が崩壊致しました」

 迷宮崩壊の報告に少し尻が浮く。

「どこの愚者が迷宮核を破壊した?」

 狭い造りとはいえ五十階層まで成長した素材採取型迷宮を踏破する冒険者となると限られる。無論、門番をつとめる魔物をすり抜ける裏技も道具もありはするがそれを用意し使用することができる者もまた限られる。

「不明です。探索に入っていた冒険者の氏名の洗い出し依頼が教会より入っております」

 舌打ちしたくなる。

 ティモスとタイタスにはその適性があったが私にはないし、娘のニーソレスタにも幸いにしてない。次代のロサを引継ぐ甥ネイデガートにも現在発現してはいない。

「迷宮への入場者については管理するよう通達しておいたはずだが?」

 ないならないで対処は必要だ。

「主要迷宮七割には人員を割けておりますが、『シュレトレアル』は残り三割に該当致します。迷宮に入る前に記帳するように記入帳は配置しておりますが、その……」

 まともに記帳し、迷宮から出た時にその旨を記すという規則を守るものが少ないということだと知れる。

「迷宮が善意で教会に情報を流していることもありますが、ここ五年は流さない迷宮が増えておりますから……」

 迷宮と交渉ができるのは迷宮神子。そして迷宮核に到達し、迷宮にその存在を認識承認された強者。

 私の兄であったティモスは生まれる前から迷宮に愛され、すべてをゆるされた。両親の愛も使用人達の忠誠も自由恋愛も。

 迷宮の声も届かず、ただひとつを除きあらゆるスキルに適性を持たぬ私には公爵家の運営に徹するしかなかったのを怨まなかったかと言われれば嘘だろう。持たぬ者は持つ者を羨み妬む。

 弟であったタイタスはティモス兄のスペアのように扱われることが不満のようだった。ああ、不満だろう。目の前に自らの上位互換の存在があり続けるのだから。

 持たぬ者は妬み恨むのだ。

 そして、持つ者は理解しない。

 兄も弟も当たり前に私の欲しいものを持っていたが故に他人よりも遠く、ひどく近かった。

 誰よりも私の実務能力を買ったのは兄であり、誰よりも蔑ろにしたのも兄だった。

 ロサ公爵領は兄の所領で有り、多くの者が兄を慕っていた。

「先代が、記帳を邪魔くさがっていたのも要因ではあろうな」

 どこかに潜んでいるであろうタイタスのこともあるだろう。

 どこまでも祟る我が兄弟だ。

「叔父上!」

 珍しく礼儀ない勢いでネイデガートが執務室に駆け込んできた。息をかなり乱れさせていた。薄水色の髪が乱れている。

「みっともないな」

「あ、申し訳ありません」

 呼吸を整え、すっと姿勢を正し立ち直す。

「どうした」

「はい。別邸からの連絡で母上の病状が悪化されたと」

 衰弱し、気を逸らせているとはいえ、あの義姉は迷宮神子のひとり。

 ふむ。

「叔父上?」

「迷宮がひとつ、崩壊したと連絡が入った。おそらくその反動だろう」

 目を見開く甥から視線をずらし侍従に。

「各迷宮神子の様子に気を配るように通達を。『シュレトレアル』には親迷宮はなかったはず、ああ、シュレス伯に見舞い状を送っておくように。自領からの探索者もいただろうからな」

 伝達を指示しておく。シュレス伯は迷宮『シュレトレアル』の影響地だ。迷宮が失われれば変動の影響は大きいだろう。空白地になるか、他の迷宮が隙間を埋めるか。心痛は大きくなるだろう。

「ネイデガート、おまえが迷宮の声を拾いあげることができれば良かったのだが残念だ。しかしこれも持って生まれる特性であろうからな。義姉上に関しては医師の依頼をしておきなさい」

 自らの無能に拳を震わせる甥に詰めの甘さが見てとれる。ロサの次期公爵に望まれるのは迷宮の意志と為政者の望みとのすり合わせなのだから。

「はい」

 求められる能力を持たないこの子は大人しく従順だ。

 いくら大きな魔力と呼吸をするよりも簡単にスキルを使いこなしても、迷宮と意志を交わせないロサの次期公爵は無能として扱われる。

 迷宮なぞと意志を交わすものではないと兄弟に言うたびにあいつらは困った表情を浮かべた。

 私にはあいつらがわからない。

 だが、今私には子供らの不服不満が些少なりとわかる。

 あいつらが望んだものはあいつらに渡したくはないのだ。

 持つ者には持たぬ者の嫉妬などわからないのだから。

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