第450話 よくある喪失


 獣人の表情はわかり難い。灰色の羽毛からのびる長い髪をみつあみにした彼女はそう囁いて周りの無理解を飲み込んだ。

 つぶらで艶やかな黒い瞳にぎゅっと胸が締めつけられた。

「俺が守るよ」

 優しくて強い人だった。

 守るなんて言った俺に朗らかに笑ったその声はなによりものびやかで心地好く響いて、俺は彼女が好きになっていた。

 妹も弟も彼女を「よい人」「かわいいヒト」と受け入れてくれて、小さな妹は彼女を「姉」と慕った。

 そんな彼女を俺は守れなかったし、助けられなかった。

 故郷の迷宮は失われたが俺は十分に迷宮を経験し、学都で学んでいたし、困惑する両親に仕送りができ、妹と弟の学都留学を援助出来るだけの冒険者にはなっていたから。

 もう少ししたら、家族になろう。彼女にはそう伝えていた。

 うまく稼いで、見つけることができたなら冬の食事のために売られたという彼女の姉妹を助けようと、今思えば夢物語を語っていた。軽く頭を傾けていた彼女はそっと俺の手を温めてくれていた。

 確かに獣人の表情はわかり難いのかもしれない。

 下の妹と彼女の末の弟は仲が良く、下の妹がお姉さんぶっていると弟妹が笑う。

 一緒に和やかに見ていた光景。

 呪毒を受け、迷宮内で彫像のように固まってしまった彼女は俺が受けるべき呪毒を割り込んで受けた。

 浅くはないが深いとも言い難い階層の隠しフロア。

 彫像が乱雑に林立していた。

「迷宮がコレクションしているんだろう。……欠けが少なければ蘇生が可能かもしれないな」

 石化や麻痺、時止め。結晶化。

 解呪が成功し数百の過去から甦った冒険者の話は数十年に一度は聞く。

 欠けてはいけないのだ。

 そこから俺は二十日に一度は彼女に会いに行く。

 それ以外では解呪用の資金や素材集めに奔走した。

 家族の援助はすぐ下の妹に任せた。

 母の心配そうな眼差しには気がつかないフリをした。

 解呪用の薬、スキル、入手できる限りの保護の手段。

 解呪スキルが馴染まない俺自身が憎かった。妹も人の傷は多少治せても状態異常は癒せなかった。

 時折り、彫像が欠けていて、それは他のものとはいえぞっとした。

 彼女が欠けてしまえば蘇生はままならない。

 おそらく、この頃から俺は視野狭く病んでいったのだと思う。

 保持保存の秘薬に稼ぎを注ぎ込み、解呪の研究に資金を差し出した。

「解呪薬がつくれそうですよ。待っていてくださいね」

 わかるだろうか。

 彼女を救う為の解呪薬ができて救えると薬を持って彼女のもとに駆けた俺が見たのは破壊された彫像群だった時の絶望。

 冒険者が魔物に追われ、その隠しフロアで暴れたのだと聞き、責めることなどできないと思わせられた。

 彼女の兄弟が彼女の彫像を薬材の素材として良い値で売れたと語るのを知るまでは。

 俺が握るその薬は『彼女』で。

 開発した人間を突発的に襲いに行った。

 俺に朗らかに「コレで助けることができますよ」と告げた少女を。

 俺の手を温めてくれたあの手は二度とかえらない。

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