第420話 菫に捕らわれる

 ぱたぱたと水が落ちる。


「アシュウェーナはお寝坊さんね」


 白い手が眼前に広がる。それを知覚するのが好きだった。

 古傷で少しささくれた手で撫でられるのが好きだった。


 ぱたぱたと水が落ちる。


「アシュウェーナは自由であって」


 やわらかなロサの菫が拒絶していた。

 縋ることも引き留めることも酷いことを投げつけて傷をつけることさえできなかった。

 契約を結んだロサの菫は契約から外れた。

 それでも我々とロサの菫との契約は残った。

 血統を慈しむと我々は誓約していたから。

 ロサの菫は血にも引き継がれる。

 違う個体であれど我らはロサの菫を愛さずにはいられない。

 声の届くロサの菫であれ、声の届かぬロサの菫であれロサの菫を愛さずにはいられない。

 拒絶され棄てられてもあの白い手に撫でられたいと逃れられない。

 時の流れと破棄された契約で正しくロサの菫を思い出すことすら叶わなくとも。

 手放すことはできない。

 ロサの菫。

 ロサの菫が我らを囲う壁をなした。

 ロサの菫を逃さぬ壁がなった。

 さぁ、我らが声を聞くことすら叶わぬロサの菫よ。

 我らはロサの菫が望むを叶えよう。

 ロサの菫が失われることのないように。


 門が開く。


 外からロサの菫が戻る。

 壁の内側にロサの菫が増える。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る