第375話 おやすみなさい

「姉さんは学都で学ぶんだよね?」

「ええ。そうよ。受験して合格したんだから」

 当然じゃない。

「じゃあ、僕はここに残って守れる範囲を守っておくね。大丈夫になったら僕も学都に行くかもだけど、今は……うん。無理かな。眠いし」

 ぽやっと眠そうに弟君がそんなことを囀ってますね。もふもふに囲まれながら。

 小さなお膝を占領したがる毛玉ふたつに押し潰され気味の弟君が羨ましいんですけど!?

「くっそ眠い僕が言うのもなんなんだけど、姉さん聞いてくれてる? っほんと、ティカちゃん困らせちゃダメだよ? 言っても言っても聞いてくれないのってわかっててもキツイからね? まぁ多少ブーメランだけどさ」

 ブーメランって手元に戻ってくる投擲武器でしたっけ?

「どこに引っかかったのかよくわからないけどね。姉さんも一回目じゃないでしょ? どこまで大丈夫かなと確認甘えで好きかもしれない人を壊さない方がいいよ」

「壊したりしないもの」

「他人の心の耐久値なんてわからないよ。だいたいひとは自分が不幸だと思いはじめると自分が一番不幸だって思いがちなんだよね。そしてつらつらと恵まれない報われないと嘆くんだ」

 う……。

「私、別に不幸じゃないから」

 むしろ弟君の発言、お膝上のもっふーずにきいてませんか?

 しょぼんしてない?

 しょぼんしてるもっふーもかわいいんだけど、どうしようにやつく!

 いやもっふーず、君らその存在でけで至宝にして至高。うざ絡み的に溺愛されていて欲しい!

「姉さん?」

 イラっとしているのがわかる弟君の声音ですね。

「まぁいいけどね。僕もティカちゃんのことは親しい友人として手助けしておきたい気がないんじゃないんだし。たぶん、たぶん姉さんはほめてくれた人の目の前で誰もほめてくれないとか言い出すタイプじゃないと思うしさ」

 あ、弟君、ずいぶん投げやりですね。眠いって言ってましたからですか?

 そうですねぇ。

「遠回しに褒められても気がつけないかもしれませんが、ネアはネアになってから部分的に注意されることはありますが、基本褒め称えられて育っていると思いますね。ネアの実力を軽んじる愚者は失敗するといいのです」

 なんてね。

「その思考は危険だと思う」

 弟くんに真顔で言われました。眠気は?

「もちろん、冗談ですよ。私としても加減が分かればいいのですけれど、私の記憶のこの年頃どう振る舞っていたかといえば、……家のはなれで一日二食ごはん持ってきてもらえれば、ありがとうございます。って感じの記憶しかないんですよねぇ」

「それ、虐待では?」

「会話はなかったので、わかりかねますね。もう少し大きくなって着替えや湯浴みの支度の仕方とかを覚えてからすこし生きやすくなったように思います。だからなのか、ほんとうに私、距離の取り方はわからないんです」

 後付けで教えてもらったといってもそれはたぶん、周りからのそれなりの配慮があったんだろうとはおもうんです。妥協と利害損得勘定を伴う取引きと興味を好意に変えて他者と触れ合いを増やしていった日々でしたね。

「気になったから。と助けてもらって、使えるからまぁ使うと言われて。気に入らないなら邪魔をする。文句を言いながらいつも楽しそうな人だったから、もしかしたらすこしその人の真似をしてしまっているのかもしれませんね」

 私にとって恩人であった人で、どんな失敗も「いや、期待してないし」で済ますような人。

 あー、十分の一も模倣できてませんね。むりです。無理。

「思い出せばぜんぜんでした。人の善性を期待しつつ行動は期待しないで、すべてを思わぬ成果として讃える。なんて私には難しいですよ」

「僕、姉さんがなにを言いたいのかよくわからない」

 大丈夫です。私もです。

「僕は僕のできることをしようと思う」

 真顔がとけてまた眠そうですね。

「おなかがすいて怯えている子にごはんを食べさせて一緒に寝てもらうの。ここはそれが叶う空間だから。一定以上の魔力がなければ扉を叩くこともできないんだって。えーっと、壁の中はね、今、えっと、なにもないんだって。壁を砕けば、なにもないが外に流れ出るから壁は叩いちゃダメだよ。ねぇ、姉さん」

 ん?

「僕の手をとる?」

「んー、今はとらない。私は私の良かれを通すし、ハーブ君はハーブ君の理想を通すのがいいと思うの。その先に他の人の手をとってもいいし、手をとらないままに今まで通り味方でいてくれてもいいわ。あのね、心配してくれてありがとう」

 ハーブ君はたぶん、私を尊重してくれていたんじゃないかと思う。

 なし崩しに契約はたぶん結べていたんだろうけど、しなかったようだし。

 ちょっと驚いた表情だった気がするけど、弟君は眠そうな表情で笑ってくれた。

 うん。

「おやすみなさい。春になったらしばらくの間ティクサーを守ってね。私が学都から帰ってくるのが先か、ハーブ君が追っかけてくるのかわからないけど。また会う日までおやすみなさい」

 おやすみの挨拶をして正常空間に追い戻されてから気がついたことがあります。

 兄王子死んだことになってるんですけど、生きてますよね? 死んだことになってるって伝え忘れましたよ?

 とりあえず、そんな済んでしまったミスに気をおくより、心配して駆け寄ってくるティカちゃんとドンさんへの対応が先ですね!

 壁を壊してはいけないということを伝えなくてはいけません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る