第260話 黒い犬
『死にたくない』『消えたくない』
そんな意識にふれた。
なにかがぱちりと切り替わったように感覚が静かだ。
手は届くのだろうか?
いくつかの伸ばされる指先がみえる。
アレは少し位置をズラせばいい。
『死にたくない』『消えたくない』
どこだろう?
うまく体が動かない。飛べるだろうか?
どこ?
応えて。
それは暗い場所。
洞穴だろうか?
『迷宮の残滓。壊れた守護者だろう』
カシリが教えてくれる。
警戒体勢に入っているカシリを撫でて呼ばれていると思える方に足を動かす。
『消えたくない』『死にたくない』
黒いヨドミに手を伸ばす。
「生きたい?」
僕にできるのはごく僅か。
手を伸ばすことだけ。
助けられるなんて保証はできない。
機会を、小さな機会をつくるだけ。
差し出した腕が黒いヨドミに噛み砕かれる。
バリバリガリガリ
急速に身に馴染んで理解できた魔力がヨドミに吸収されているのがわかる。
撫でてあげたいのにできない。
ヨドミに顔を寄せてすりつける。
死にたくないよね。
こわかったよね。
どうしたら生きていけるのかな?
ごわついた毛並み、腐敗臭。
なにか困惑している?
だいじょうぶ。
僕は君を傷つけない。
『死にたくない』『消えたくない』
カシリのため息を感じた。
『我が眷族にくだるなら在り場は獲れるぞ』
ここは迷宮の支配下で消えることを怖がるこの子は今の迷宮に所属していない居場所のない子なのだろう。
迷いを感じる。
好きに生きていいんだよ。
僕に届く君のコエは死にたくない。消えたくない。ただそれだけ。
君はなにかをうらんでる?
そんな気はしない。
僕の身体を壊してはいるけれど、君は僕を食べてはいない。魔力は吸いあげているけれど。
あ。明確な拒否を感じた。
指先の感覚が戻る。
カシリがなにか吠えている。
ああ、うん?
僕といっしょにいる?
大き過ぎるとそばにおけないよ?
僕は人と暮らしているからね。
撫でる手応えが柔らかくなる。ところどころ絡んでいるけれど許容範囲だろう。うん、くっさいな。
黒いヨドミがかたちを変える。双頭犬……。オルトロス、だっけ?
え。名前をつけろ?
いきなり!?
『……魔物使いが従魔を従えるのは当然のことだな』
カシリ、なんか怒ってない?
オルトロスは別の個体の名前だろうし、そのまんまもちょっとな。
呼びやすい方がいいだろうし。
「トロ」
随分以前にそんな名前のキャラクターがいた気がするけど、なんかかわいかった気がするし。
「君の名前は今から『トロ』だよ」
その後、頭をひとつにしたトロを(僕が抱き上げにくいから)姉さんに紹介したらくっそ汚れていたらしく『清浄』をかけられた。ありがとう。姉さん。
熊に襲われてた警備隊のお兄さんにはいきなり上着を捲り上げられて驚いたけど。
なんか、あったの?
『熊の凍った血をおまえがまず受けたから奴が軽傷で済んだんだろ。腹貫通してたからな』
え?
なにそれ知らない。
そっと警備隊のお兄さんの方を見ると他の警備隊員の人たちにボコられていた。
心配極まってしまったらしいティカちゃんに泣かれながら「なんで無事なの!?」ってぽかぽかされたのでカシリが治してくれたことにしておいた。
治したのは自分と言いたげなトロを撫でながら。
家族は普通にトロを受け入れてくれた。
「魔物使いなら従魔も増えることは想定内だ」
なんて言って。
この世界のあたりまえがすごいなと思う。
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