第220話 旅立ちの序曲
「うん? オルガナ、か。紡績工房のサティアが時々話題に出していたか」
失迷の国クノシーから訪れた錬金術師のハインツ翁は表通りではなく、おばあちゃんが支配する旧市街にまっすぐに来た。
教会に行ってから役所には行くと言って錬金工房の釜びらきの支度をなさっていました。気が付けば教会も役所も錬金術師ギルドにもすでに周り終えたと煙管を揺らして、おばあちゃんに叱られている。曰く「子供らの前で吸うな」である。
サティアは糸紡ぎがうまくてかわいい子。染料を求めて山を歩いているさなかに出会った失迷の国の少女だ。出会ったのはお互いに十歳になる前で「バレたら叱られるわね」と笑いあったことが懐かしい。
未草から勝ちとったメンワタに私が色をつけて、サティアがそれを糸や生地に織りあげるのだ。あれは楽しかった。
「会いに行ってきたらどうだい。失迷の国ももう失迷の国じゃないしね。子守りぐらいこのじじぃでも出来るさ」
「ここのこどもらはしっかりぼんやり老人を介助してくれるから助かるなぁ」
「介助されてんじゃないよ。しかたないじじぃだねぇ」
「なら、メディエラが介助してくれればええだろ」
「あんた、年上になに望んでんだい。情けない」
打てば響くような会話に聞いている者はつい笑ってしまう。
ハインツ翁はほんとうにおばあちゃんをイジって私たちの笑いを引き出すのがうまいのだ。
本人はたぶん至極真面目に好意を伝えていると言うことがどこか微笑ましく、そして彼は岩山の国の男ではないのだ。
捨て値の少女を買取った兄のようにハインツ翁は自分の身のまわりを手伝わせる名目で数人の奴隷娘を引き取った。
「いい歳じゃからな」などと嘯くハインツ翁は表も裏も『石膏瓦解』を闊歩する。
氾濫の後、教会が保護した女たちも数人、おばあちゃんが後見人として引き取っていた。「旧市街の整備まわりに人手はあったがいいさ。ちゃんと年間の人頭税は稼いでもらうさ」そんなふうに鼻で笑うおばあちゃんが私は好き。
今、さみしかった旧市街はそれなりに姦しい。
ラティエラも義姉さんもその様子を眺めては微笑んでいる。
「ルルちゃんとうまくやりなさいよ」
ラティエラがニヤニヤ笑いでそんなことを言う。
「おじいちゃんが言ってたわ。ルルはクノシーから出てティクサーに戻ったろう、って。押しかけるようなマネも長期の一人旅もイヤだわ」
情けないと言われてもこわいのだ。
ハインツ翁は平気。お兄ちゃんの友だちだったルルは……最初すこしこわかったけど、気がつけば平気になっていた。
ルルは、そうもうひとりのお兄ちゃんのようなお姉ちゃんのような不思議な存在なのだ。
クノシーまでなら頑張れるだろうけど、ティクサーまでの距離はこわい。
他人を信じていいかわからない。
ひとり旅も護衛を雇っての旅も辛いのだ。
他人を信じてみるのがこわいから。
その人を安全と誤認して売り飛ばされる可能性を考えざるを得ないのが岩山の国の女に産まれた私たちの習い性。なんてイヤな習性。
「心配しなくても近くタガネちゃんが来るだろうから頼めばいいわ。ウチに籠っているよりすこしは外もごらん。オルガナ、あんたがすこし旅慣れたら小娘たちを学都に送れるだろ。あれは益がある」
おばあちゃんが決定事項のように言う。
「そうだ。くそジジイどもが噂してたんだけどね、本当に迷宮が出たらしいよ。機会があればアンタも潜っときな」
迷宮!
染料の宝庫なんですよね!
行かなきゃ。
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