第39話 二人の永遠


 天守に続く扉の前にたどり着いた八重は、槍を持つ手だけを動かした。

 大した守りを施していないのか扉は呆気なく破壊された。目の前には壁をぶち抜いた、だだっぴろい空間があられる。


 室内に灯りはなく、薄暗い。真上から押しつぶされそうな圧を感じる。背筋を走る悪寒に身震いした。畳の敷き詰められた空間に土足で踏み入る。


「何してんだ、そんなところで」


 部屋の最奥部には淡雪が背を向けて立っていた。

 混沌とした影をまとう彼女は、ゆらりと振り向いて「八重」と呼ぶ。


「見て、これ」


 彼女は一歩横にずれて、八重にも見えるようにする。ぷかぷかと宙に浮いているのは透明な結晶だ。


「……何だ、それは?」

「結界の根源だと思う。壊そうと思ってるのに私じゃ全然触れないの。他のより丈夫にできているみたい」

「なるほど、そっちにかかりきりだから、下への攻撃が雑だったわけか。おかげで簡単にあがってこれたよ」


 淡々とした声の響き渡る空間と反比例するように、心臓の音はバクバクとうるさかった。自然と浅くなる息に気が付いて、意識的に呼吸を静めようとつとめるが息苦しさは増すばかりだ。


 最後の機会を探る。

 戦わずに済む余地を。


「契りを破棄しろ」

「嫌だ――って言ったら?」


 そんな余地は最初からないと知っていた。

 だから槍を両手で握り、鋭く構える。穂先は彼女へ。


「亡霊は退場の時間だ!」


 先に踏み切ったのは八重だった。

 反応がないのを見て最短距離を突っ切る。真正面から突撃して素早く距離を詰める。先手必勝、時間稼ぎは無用だ。一秒でも早く決着をつけなければならない。


 淡雪も見ているだけではない。下半身が泥の沼にのみこまれて、足元から溶け出した暗闇が鞭となって三本飛んできた。

 一本目は足元狙い。跳んで避ける。身体が宙に浮いたところですぐさま二本目が首元へ向かう。手首を返して槍をかかげ、断ち切った。勢いを殺さないまま着地して駆ける。


「ここには来ないと思ってた」


 淡雪は距離を取るようにやや下がる。


「八重なら絶対下に行くって思ってたのに。……罠だと分かってても」

「期待を裏切って悪いな……っ」

「どっちでもいい。あの子を切り離せるなら、それはそれで都合がよかったから」


 刃の一本が飛んでくるのが見えて身体をひねる。だがわずかに遅かった。避けきれないと悟った直後、無理やり体勢を立て直す。

 影が腕をかすった。

 息が詰まる。痛みとともに血がにじむ。だが次の一歩を踏み出すころには治癒した。


 八重の異能――不老不死を持つからこそできる戦い方だ。


 よほどの深手でなければ動き続けることができる。誰の手にも殺されることはない。多少の攻撃を食らっても力づくで押しきれる。

 それでも遠距離からの攻撃がしつこくて間合いを詰めきれない。明らかに本気でないと分かるのにばくので精一杯だ。一進一退を繰り返しながら攻防を続ける。


「さっきの牽制、どうしてチセに当てなかった? 寸前になって躊躇でもしたか?」


 突撃の合間、疑問をぶつけた。

 淡雪は世界のあらゆるものを消すと宣言した。八重を下に落とすための囮なら、チセに重傷を負わせてからでも充分間に合ったはずだ。むしろその方が八重は迷わず飛んでいただろう。絶好の機会を逃したのはあまりにも不自然だ。

 淡雪はゆっくりと瞬きした。


「殺すよ」


 断言。


「でも、後で。チセはまだ使える」

「…………?」

「流血されると欠乏症になって困るの。チセの力があればこの結界は簡単に壊せる。同じ権能を持っていても、別の女王のものはぶつかり合って反発するから。ちょうど森の時みたいに」


 森の時。

 ――あ、と思い当たる。


 以前、影狩りのために森へ出向いたときも、結界が破壊されたときに起こるらしい衝撃を経験した。確か、チセが駆け寄ってくる瞬間だった。

 そもそもあのような状況になったのは、影に押されるように森の奥へと追いやられたからだ。あの時も妙な作為は感じていた。あの場では影に人格などないからと否定したが、今ならはっきりと分かる。


「……おまえが影で誘導していたのか」

「奥まで来てくれないとぶつけられないから。私が森から抜けるには、まずあの結界を壊さなくちゃいけなかった」


 淡雪は微笑む。

 思えば、最初から機を伺っていたのだろう。今までの百年間、淡雪が行動を起こさなかったことにも説明がつく。チセが現れるのをずっと待ち続けていたのだ。

 皮肉にも、影を統べるはずの女王候補が来訪したことによって淡雪の目的は果たされてしまった。チセの存在は良くも悪くも世界の停滞を動かしたのだ。


「なぜ、こんなことをする」


 影が左右から襲ってきた。目にも止まらない速度で飛んでくる。片方をはじいて、もう片方は甘んじて受けた。ふくらはぎを貫いた斬撃は、すぐさま引き抜かれる。皮膚の裂ける痛みを残して。


「ぐ、う――ッ!」


 殺しきれなかった声が喉をざらりと焼いた。

 血がしたたり落ちて、足の指を濡らした。


 じくじくと焼けるように痛い。

 痛い――。


 それでも奥歯を噛みしめて、進む。


 異能によって治ったとしても、傷を負う恐怖がなくなるわけではない。痛みは鮮烈なまでに感じている。その恐怖を、ただ理性と経験でねじ伏せているにすぎないのだ。


「復讐だって言った。これは私の復讐」

「……だからっ、なぜ!」


 焦燥と動揺が混じりあって、責め立てるような声色になった。


 淡雪が恨むべきものなど何もないはずだ。

 彼女は善人であり、ただの凡人なのだから。

 

 影へと身を落としてまで滅ぼしたいものなどあるはずがない。そんな大それたことをできる少女でなければ、他人を傷つけることも似合わない。

 彼女はただ生きて、ただ死ぬのがふさわしい、一人の少女だったはずなのだ。


「…………八重、お願いだからそんな目で私を見ないで」


 標的を斬り刻もうとする影が宙をふわりと漂った。

 猛攻が止む。


「私はいろんなものを信じすぎていた」


 淡雪は天井を見上げながら、ぽつりと呟いた。

 幼さの残る横顔が晒された。青い髪が目元を覆い隠して、見えない。


「ちゃんと信じてた。そうするべきだって思ってた。それが清くて正しいことだと思ってたから。でも本当は全部嘘だった。……そんな馬鹿は私だけだった」


 小さな唇がぼそぼそと動かされる。 


「八重なら笑って許せることでも、私にはどうしてもできなかった。信じていた分だけ嫌になった。それきり絶望してしまって、もう元の私には戻れなくなってしまったの」

「……それでもおまえは」


 かつて八重のそばで不器用に笑っていた彼女は。

 善人のはずだ。凡人のはずだ。

 けれどそんな言葉は視線一つでたやすく封じられる。


「――ねえ、そもそもどうして、私は死にかけたんだと思う?」


 吐き出そうとした息が引きつった。急激に体温が下がっていく。


「村を裏切った罰だって幽閉されたの。鎖で足首を繋がれてね、ずっと蔵に放りこまれてた。私は前妻の子で、もともと微妙な立場だったから――八重のことはいい口実だったんだと思う。それで八年くらい過ごして、ある日知らない人が押し入ってきてついに私のこと刺していった。いい加減邪魔になって暗殺したのかな。訊く暇もなかったから知らないけれど」

「――っ!」


 彼女は「分かる?」と自嘲気味に笑って首を傾けた。

 光の宿らない瞳が向けられる。


「八重が守ろうとしたものなんて所詮そんなものなの。醜くて汚くて、おぞましいもの。何の価値もない。あなたの身体を、心を、命を、魂を、賭けるべきものなんかじゃない」


 淡雪はだらんとさせたままの腕を伸ばした。思わず構えるが、攻撃はこなかった。傷一つない指先が八重を求めるように宙を辿る。 


「私、ずっと考えてた。生きてなくて死んでもないこの身体でずっと。八重のことばかり。たったの百年。うんざりするほど」


 でも、と続く。


「私は駄目だった。耐えられなかった。どれだけ人の営みを見ても、とてもじゃないけど愛せない。八重はどんな気持ちで生きてきたの? こんな――こんな虚しい世界で」


 淡雪の目は憐憫に満ちていた。そんな目を見たかったわけではなかったのだ。


「…………ああ、虚しいよ」


 誤魔化しようのない事実だ。八重はかすかに微笑んだ。


「みんな死んでいく。みんな俺を特別視する。みんな俺を遠ざける。受け入れない。交わらない。憎む。妬む。……だからせめて俺は愛そうと決めた。愛して、守って、生かす。そうしたら俺のろくでもない一生にだって、何か意味が生まれるんじゃないかって信じてた。そうやって四百年間生きてきて、これからも生きていく。誰に疎まれようとも――永遠に」

「そう――」


 ぼんやりと呟いた淡雪はゆっくり目を閉じた。


「――そんなこと、私がさせない」

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