第34話 無法地帯の正当防衛


 縁側で一人ぼんやりと立っていた。ぱくぱくと唇だけ動かす。言葉らしきものが出てこなかったので諦めて息を吐く。


 理由、と繰り返した。

 チセといる理由。


 そんなものは一つしかない。八重が五番町の用心棒で、彼女は五番町の住人だ。

だから一緒にいた。単純明快、ただそれだけの話である。


「…………わかりやすいだろ」


 言い訳じみた言葉は空気に溶ける。見上げた空は星一つ見えない真っ暗闇だ。


 すべて彼女の言う通りだった。八重の理屈でいけば、一番町につくと宣言した彼女を追う必要はないし、万が一邪魔をするようなら斬って捨てることもあるだろう。チセは自ら八重のテリトリーを抜けたのだから、仕方がない。


 自分にはもはや無関係。例外や特別は何一つない。

 今までそうしてきたのだから、これからもそうする。

 そうやって永遠を生きていくだけだ。


「――キュウッ!」


 八重の手から祭が抜け出し――飛び跳ねたかと思えば、八重の顔面を蹴り飛ばした。

 強かに、鼻先に蹴りを入れたのだ。


「だァッ……⁉」

「きゅ、う! みゅ!」


 真後ろにひっくり返る八重を横目に、鮮やかな着地を決めていた。痛い、痛すぎる。鼻の骨がひしゃげた気がする。確実にヒビが入った感覚がする。顔を抑えて悶絶する八重にさらなる追い打ちをかけるべく、牙をむいて噛みつこうとしているのを見て、思わず後ずさった。


「――あ」


 そして我に返った。

 引いていく痛みとともに思考はクリアになっていく。こんなところで呆然としている暇はない。五番町の用心棒としてやるべきことが多すぎる。早く戦わなけれなばならない。


「……祭、悪いな。おまえにはもうしばらく付き合ってもらうぞ」

「きゅ」

「本気で嫌そうな顔するなよ。八十年やってきたんだから、今日一日くらいいだろ」


 再び槍の姿をとった祭を握って、庭の向こうへ突き出した。闇がゆらめいているのが見える。「斬れそうか」と尋ねれば、腕が一人でに上がった。祭に身体を操作されるのは本当に久しぶりのことで短く笑った。いつになっても気味の悪い感覚だ。

 ぐっと握りしめて右足を後ろに引く。槍を構え、そして。


「――ッ!」


 勢いよく斜めに切り裂いた。

 穂先は鋭く一直線の軌道を描き、空間に切れ目を入れる。光の筋が差しこんだところから次第に押し広がり、敷地を覆い隠していた闇は晴れる。


 そして町の様子がようやく明らかになった。八重は「はは」と皮肉じみた苦笑いを漏らした。


「俺の幻覚だったりしてくれたら助かるんだが……」

「……きゅうう」

「違いそうだな、誠に遺憾だよ」


 ぼんやりとした人型を取る影が、そこら中を我が物顔で徘徊している。輪郭もはっきりせず、端からどろどろと崩れ落ちるそれは、しかし確固たる意志をもって町を襲っているのだ。


 大通りをのそりのそりと進むそれ、屋根によじ登って窓から滑りこもうとするそれ、引き戸をガチャガチャと乱暴に動かすそれ――悲惨としかいいようがない。


 五番町は完全に侵攻されている。


 家が破壊され、住人が外へ追い出され始めていた。

 警邏隊が戦っているが、まったく追いついていない。八重が加勢したところで一時しのぎにしかならないし、どのみち他の区画までは手が回らない。けれど今この状況を捨て置いて離れるわけにもいかない。


「くそ、どこから助けに――織部!」


 隣の家の引き戸が押し倒された。砂埃とともに影が侵入する。

 八重は低い石垣を乗り越えて、隣の敷地へ。引き戸を踏みながら家の中を覗きこんだ。


「どこだ織部、無事か⁉」

「……生きてますよ! 最近昼夜逆転しすぎて、逆に朝型になったもんで!」


 織部は薪割り用の斧を盾に、影との押し合いをしていた。

 学者見習いである彼は非力だが、影も一体ずつはそう強くない。ギリギリで持ちこたえている。後ろに回りこんだ八重が仕留めて、事なきを得た。


 ぶらりと腕を振っている彼は「筋肉痛になりそう」とぼやきながら、ふとあたりを見回した。


「チセちゃんは? 一緒にいなくて大丈夫なんです?」

「あいつのことは気にしなくていい。一番町につくんだとよ。……俺とはもう無関係だ」


 ふいっと視線を逸らして槍を地面に付いた。何気なく言ったつもりだが、次の瞬間、注がれたのは絶対零度の凍てつく視線であった。


「あんた、馬鹿じゃないですか?」

「……はあ?」

「馬鹿以外の何物でもないでしょ。ばーか、ばーか。最悪、最低。こんな状況じゃなかったら俺が張り飛ばしてやったのにな!」


 助けに来てやったはずなのに、いきなり睨まれたあげく罵倒された。まるで納得がいかない。

 ずっしりと重い斧を持ち上げた彼は、追い払うようにしっしと手を振った。


「早く行ったらどうですか。八重さんがこんなところにいても仕方ないですし。町内会が議会所で指揮を取ってるみたいですよ」

「俺が行ったら、おまえらはどうするんだよ。どこの誰が戦って――」

「それこそ馬鹿にしないでもらえます? 俺たちがおうちの中で小鹿の赤ちゃんみたく、ぶるぶる震えあがってるとでも思ってるんですか?」


 織部は家の外を指さした。


「そんなにお行儀いいつもりはないですけどね」


 引き戸の外れた扉の向こうはよく見える。

 ――おお、と口から声が漏れていた。

 それは驚愕であったし、感嘆であったのかもしれない。


ただで攻め落とされるほど、五番町は殊勝な町ではない。


 崩れ落ち始めた家から出てくる住人は、誰もかれもが武器らしき日用品を片手に、逆に影を追いかけまわしている始末だ。物干しざおやら肉切り包丁やらを振り回している様は、果敢というよりいっそ暴力的で、ひっちゃかめっちゃかの無法地帯である。


 こんな光景は、八重の想像にはなかった。

 全員が戦っている。

 自分の町を守るために、誰もが立ちあがっている。


 ぽかんとしている八重の背を押したのは、織部だった。


「今度うちの屋根直してくれる約束、忘れてないでしょうね」

「…………おまえの屋根、もう半分吹っ飛んでるけどな」


 それだけ言って、八重は駆けだした。

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