第29話 地下室に踊る影(1)
だだっぴろい地下空間には、三十人ほどの拘束された住人がまとめて転がされていた。白い衣服をまとっている彼らは、ここで働いていた研究員なのだろう。
実験場には五つの巨大な機械が置かれていた。色とりどりの線が天井に伸びている。八重が寝そべってもまだ余裕のありそうな大きさだ。分所で見たものと似てはいるが、違いなどさっぱりわからないので、槍の底でコンコンと叩く。
八重にとっては鉄の塊でしかないが、一番町にとっては事情が違うのだろう。
「叩くな! それがどれだけ精密な機器か分からんのか⁉」
一人、集団から離れた位置に座らされている男が声を張りあげた。びくびくとしている捕虜のなかで一人気概を感じる。「こいつは?」と指差せば、桜が「ここの所長です」と答えた。
彼は身をよじりながら八重のもとへ這いよってくる。かと思えば「壊れたら貴様の責任だぞ! 末代まで呪ってやる!」とひたすら呪いの言葉を吐き始めた。
「たぶん俺が末代だけどな」
「ならば延々と貴様を呪ってやるわ! よくも我々の研究を台無しにしてくれたな! 分所に飽き足らず、こちらまで――」
「せっせと呪っていただいてるところ悪いが、こっちにも聞きたいことがあるんだ」
しゃがみこんで縛られた男と視線を合わせた。歯を食いしばっている所長に、右を見るように言う。つられて首を回した彼は、そこに立っていた少女――チセを目にして動きを止めた。
どうやら説明は必要なさそうだ。八重は視線を鋭くする。
「チセについて知ってること、全部教えてもらおうか」
男はわずかに口元を強張らせたが、すぐに言い切った。
「貴様らのような野蛮人には死んでも口を割らん」
「ほーう」
分かりきった返答だ。八重はわざとらしく返すと、首だけ動かして背後に立つ彼女を見た。
「だってよ、どうする桜?」
「困りましたね……」
桜は頬に手を添えながら、こちらもまたわざとらしい調子で答えた。
「わたくしも紳士的に尋問したかったのですが、身体の方にお尋ねするしかなさそうですね。主に爪のあたりから」
「……つ、爪? 剥がすのか? 私の爪を剥がす気か⁉」
「死んでも話さないらしいからな、いたしかたない。おいおまえら! 鈍器となるべく先のとがったもん持ってこい! 消毒はいらないぞ!」
「私の爪に何をする気だ⁉」
所長は身をよじりながら後ずさっていくが、胸倉を掴んで引き止めた。身体がガタガタ震えているのが伝わってくる。至極楽しそうに笑った八重は、ニヤリと口角を上げた。
「残念だったな、爪が済んだら次は指だ」
いざ拷問を仄めかされて毅然としていられる者などそういない。戦闘員でないならなおさらだ。所長の顔はみるみるうちに青くなっていく。プライドと恐怖の葛藤の末、やがて「言います……」と力なくうなだれた。
「まあ! わたくしたちは町の垣根を越えて分かりあえると信じていました」
「おまえは辞書を持参した方がいいぞ」
思わず「本気で言ってないだろうな」と訊いてしまう。「冗談です」と返ってきたことが何よりもありがたかった。八重は腰を上げて、所長を見下ろした。
「訊きたいことは山ほどがあるが――まず最初に答えろ。チセの記憶を消したのがおまえらなら、記憶を戻すこともできるんだろうな?」
ここに来た一番の目的――それはチセの願いを叶えてやることだ。
チセは元いた世界に帰ることや、自身をいじくりまわした一番町への復讐よりも、自分の記憶を取り戻したいと言った。絶対的な支配者の力を手に入れようとなお、チセはチセである。
知りたい。
大それたことではない。
たったそれだけの願いだ。
「……我々にできるのは記憶の抹消のみだ。復元することはできない」
八重の目が見開かれる。視線を逸らしたままで彼は言った。
「おそらく、もう二度と」
ならば、たったそれだけの願いも叶えてやれない八重は、何者だというのだろうか。
ふっと全身の力が抜けて、それから軋みそうなほどに槍を強く握りしめた。腕の筋肉が引きつるように痛んだ。それでもやめられなかった。予想していたわけではない。彼女の望みを聞いたときから、そういう可能性もあるだろうとは思っていた。
一度壊れたものは、同じ形には戻せないように。
砕けたガラスはくっつかない。手折られた花は咲かない。
同じことだ。こちらとあちらの世界のはざまで、チセの記憶は霧散してしまった。
二度と戻らない。
それでも一縷の可能性に賭けていた。
もしかしたら――そう、祈るような気持ちだった。がらにもなく祈っていたのだ。
唇を固く結びながらチセを見やる。彼女の金色の目はまっすぐに見据えていた。瞳が揺れることはなかった。けれどきつく握りしめられた手には爪がくいこんでいて、何かを懸命に堪えるようだった。取り乱すようなことはなく、ただ荒ぶる感情もあらゆる言葉も押しこめている。
「……おまえは」
声がかすかな震えをともないながら、口から吐き出される。
「おまえらはそれで満足か? 一人の子どもの尊厳を踏みにじって、目当てのものを手に入れて、それで満足なのか?」
「私たちはそれが最良だと信じていた! 信じていたからそうしたまでだ!」
「――はあ?」
地を這うような低音。わずかに殺意が滲む。
八重が守るべきだと己に銘じているのは五番町のみだ。彼はその範疇から外れている。八重にとって守るべき者でなければ、優しくしてやるいわれもない。契りにも反していない。
理由さえあれば槍を突き立てることさえできる。
考えた。理由を。
五番町の住人を――八重のもとにやってくる前だとしても――傷つけた。
もう充分だ。考えるだけ時間の無駄だった。
やや穂先を上げながら視線を投げかける。
「言い分はそれだけか」
「そうするより手がなかった――このままではこの町は、いやこの世界ごと、いずれ影に飲みこまれる! 女王は百年空位、すでに世界の楔は壊れかけている。早急に手を打たなければならない!」
所長は身を乗り出した。唾を飛ばすほどの剣幕で訴えかける。
「もう限界は近い――彼女はこの世界を守る切り札だ!」
石の壁はよく声が響く。鼓膜が破れるくらいに反響した。地下室はしんと静まった。彼の荒い呼吸だけが耳についた。八重は槍を動かすことができず思考だけをぐるぐると巡らせていた。
この世界が影に飲みこまれる――。
「それってどういう意味?」
チセが一歩前に進み出た。もう一歩、足を前に進めてこちらに近づいてくる。手を伸ばして制そうとしたが距離がありすぎる。彼女は抑揚を抑えた声で訊いた。
「私に何をしてほしかったの?」
「……女王陛下は影を制御するのが最も重要な役目だ。しかし今や陛下はおらず、影の動きは日に日に不可解なものになっている。陛下が残した結界も多くが壊された」
「結界?」
桜が割りこんだ。
「お待ちください、結界とはなんですか?」
「陛下は自身の退位後を考え、十の結界を残されたのだ。結界はひそかに町を影から守ってきた。我々一番町も存在を知ったのはここ数年だ。……そもそもおかしな話ではないか。女王の空位が百年も続いているにも関わらず、いまだ影は森にのみ現れるなど」
住人は町に、森は影に。
それはこの世界の常識だ。はるか昔、初代が定めたルールである。
だが言われてみれば不思議だ。八重が知る限り――つまり三百年の歴史ということだが――影は増えすぎさえしなければ森をうろついているだけだ。女王がかわるがわる即位していたころと今で、特に大きな違いがあるわけでもない。
なら女王なき今、誰がどうやって影を森に縛り付けてきたのか。彼は答える。
「結界は長く機能してきた。すべての町を影の浸食から食い止めてきた。しかし時間が経ちすぎたのだ。三年前、異能の研究をしていたとき、偶然結界の存在に気付いたまではいいが、ほとんど綻んでしまっていて今にも朽ちそうだった」
「それで、どうしたの?」
「我々は極秘に技術を結集させ、二つの装置を開発した」
所長は縛られたままの身体をぐいと動かし、そばにある機械を示した。巨大なガラスの向こうに大きな白い結晶が浮いていた。
「一つは結界の維持装置。まず一番町にある結界を固定しようと考えたのだ。だが陛下の権能をもってして作られた結界を修復することはできず、ただの時間稼ぎにしかならなかった。だから次に考えたのは――」
より根源に迫るための技術。作られたものが駄目なら、それを作りあげた者へ。
「――女王の権能、絶対命令権を疑似的に再現する」
その結果連れてこられたのがチセだ。
記憶のほぼすべてを消され、強制的に門をくぐらされた――女王の権能と引き換えに。チセは何一つ望んでいなかったのに。
「もう他に手の打ちようがなかったのだ! たった一人でよかった、たった一人成功すればそれで世界は救われる! たった一人で……」
たった一人の犠牲。不運にも色の塗られたくじをひいてしまったチセは、切り札となるべく呼び出された。
彼女はしばらく黙りこんでいたが、ふらりと手を伸ばした。そばにあった結界の維持装置のガラスに指をつけ、なぞる。
「どうして――」
ひとり言。
しかし最後まで言い切られることはなく、ガラスに亀裂が走った。指先から線が細く長く伸びていく。中に浮いていた白い結晶はふっと落下した。
「熱っ……」
チセの瞳が黄金に輝いた。
まばゆい閃光を発する。
「――あ、ッ」
水面の波紋のごとく衝撃が広がっていた。
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