第28話 降りていく


 正門の攻防は苛烈を極めた。


 敷かれた石畳はほとんどめくれあがり、大小のがれきが散乱している。草木に引火して黒煙があたりを覆いつくしていた。夜中だというのにそこら中で炎があがっているから、うすぼんやりと明るい。


 眩い光と衝撃音のはざま、敵味方の怒号が入り乱れていた。


 大砲が轟音を鳴らしながら地面をえぐった。石のつぶてが飛んで、肌を傷つける。硝煙の臭いが鼻の奥にしみついて取れない。要塞を覆いつくしていた木は飛び火でパチパチと燃えあがり、異能を発動させた椿は、すでに力を使い果たしてぐったりと倒れている。


 砂と灰で薄汚れた巫女装束が舞った。桜は額から流れる血を拭い取って弓を引き絞る。矢を放とうとしたその瞬間、「あ……」と言葉にもならない声が零れた。


 固く閉ざされていたはずの門が、わずかに動いた。


「――開門しろ!」


 聞き覚えのある男の声だ。低く、けれどどこか温かみのある声。


 細い光の線が通るだけの隙間は、やがてゆっくりと押し開かれていく。


 一番町の銃撃が止んで、誰もが引き金に指をかけたままで背後を振り返った。門が完全に開かれたころ、銃口を向けている者はもういなかった。


「……総員、武器を下ろせ……」


 一番町の司令官が弱々しく命令する。


 指令室にこもっていたはずの彼は縄で拘束されている。両隣りを五番町に固められていて、完全な捕虜となっていた。一番町の兵は次々に武器を手放し、銃が地面に落ちていった。全員が膝をついて両手を上げたのを見計らって、桜は高らかに宣言した。


「正門、制圧完了!」


 門の向こう、八重とチセは軽く片手を掲げた。






 一番の難所である正門さえ落とせば、あとは雪崩のように守りが崩れていく。


 主力部隊が踏み入り、まだ攻撃を続けているところを順番に撃破していく。

 指令室を乗っ取った桜は、壁に張られた館内図に赤いバツ印をつけていった。バツはみるみるうちに増えて、やがて研究所の一室を残してすべてに書きこまれた。


 最深部――研究の要となっている実験場。


 司令官はあくまで戦力を動かすための人間で、研究所を運営している所長や研究員はいまだ行方不明だ。残っているのは実験場のみで、そこに固められている可能性が高い。

 八重は腕組みしながら地図を睨みつけた。


「戦闘には……ならないだろうな。だが念のため、巫女衆からも十人くれ」

「ではわたくしもお供しましょう。処理は他の方に任せます」


 その場で編成された制圧部隊が足並みをそろえて最深部へ向かう。地下へ続く階段からはひやりと冷たい空気が流れていた。八重が足を踏み出そうとすると、身体の前に腕が割りこんだ。


「わたくしどもが先行いたします。八重様たちは後から追ってください」

「なんでわざわざ」


 桜は耳元に唇を寄せて、囁く。


「手柄を譲っていただきたいのです。巫女衆としての面目を保たせてください」


 はは、と苦笑いを零した。確かに椿あたりが「なぜあのような男にばかりに頼るのですか!」と噛みついてくる様子が目に浮かぶ。ちゃっかりしているなと思いつつ、「俺は興味ないから好きにしろ」と片手を振った。

 というわけで二人と一匹だ。


 階段を下るチセは静かだった。ゆるく唇を結んだまま、腕には獣の姿の祭を抱いている。時々指先が毛並みを確かめるように撫でた。「きゅう」と心地よさそうにとろけている祭だが、チセは声をかけることもない。

 しばらく眺めていた八重はため息を吐き、槍の柄で小突いた。


「何大人しくしてるんだ、おまえは」


 いてっと声をあげた彼女は、しばらく視線をさ迷わせていたが、何か思いついたように勢いよく顔を上げた。


「えっ騒いでいいってこと? やった、オリジナルラップとか披露しちゃおう!」

「時と場合はわきまえた方がいいだろうな」


 ラップとやらは謎だが、直感だけで却下した。「ええー。意外と才能あるかもじゃん」とにやつくチセに、「知らねえよ」と返す。

 くすくす笑う彼女は八重を追い抜いた。軽やかな足取りでとんとんと降りたかと思えば、急に立ち止まって振り返った。


「私の勝ちー」

「何がだ」


 勝負をしていた覚えはない。

 顔をしかめたふりをするが、上手くできない。結局少しだけ笑ってしまった。


「ねえ、八重」


 チセはふと足を止めて振り返った。八重も思わず立ち止まって怪訝な顔で見る。下から見上げてくる金色の瞳は、暗い階段でも淡く輝いているように見えた。


「八重はさ、これでよかったの?」

「これで?」

「…………前にも言ったけど、八重って本当は全然関係ないじゃん」


 またその話か、と口角を下げる。何回蒸し返されたって結論は同じなのだ。八重はため息交じりに返す。


「俺は用心棒として――」

「そんなの私にはどうだっていいの」


 彼女は遮った。声を張りあげたわけではないのに、八重は思わず口を閉じていた。チセは短く息を吸って続ける。


「私は五番町の用心棒と話してるわけじゃないんだよ」

「……どういう意味だよ」

「八重はあたりまえみたいな顔して私のこと助けてくれるよね。いつだって、初めて会った時だって。ずっと味方でいてくれる。私なんて素性も分からない記憶もない、怪しい人間なのにさあ。嬉しいよ。ちゃんと嬉しいって思ってるけど――なんでかな、無性に悲しくなってくるの」


 チセは困ったように笑った。


「そんな理由で怪我をして、平気な顔されるの、私は好きじゃない」


 冷えた風が吹き抜けて、二人の髪をなびかせる。


 八重は反射で声をあげそうになった。

 寸前で飲みこんだ。けれど見開かれた瞳は揺れたままだ。


 ――そんな理由?


 思わず怒鳴りたくなってしまった。八重の今までを“そんな理由”なんて言葉で片付けられたことが許せなかったのだ。八重の人生についてほとんど話したことはない。けれど、彼女の言う“そんな理由”は八重にとってのすべてだったのだから。


 八重が両手を力ませたのをチセは見ていた。彼女は眉を下げると「ごめんね、変なこと言って」と呟いた。


「そんな顔させたかったわけでもないんだよ、本当に」


 そうこうしているうちに短い旅路は終わり、目の間には扉が一つあった。

 無言で目配せする。祭は槍に変わり、チセの手のひらに収まった。チセも身を引いて背後に隠れる。お互いの位置を確認してからドアノブに手をかけて、柔く力をこめながら押こんだ。

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