第26話 戦争だよ、全員集合(2)

 一時間をかけてたどり着いたのが、今回の標的である研究所だ。

 目の前にそびえ建つのは白塗りの建物である。


「…………なんだこれは」


 ただ、それを研究所と呼んでもいいのかは怪しかった。


 窓はあるが、木やら鉄やらが打ち付けられていて中の様子は覗けない。なのに上方の観測所からは常にこちらを伺っている人影が見えた。屋上には銃口がずらりと並んでいる。正面の門は固く閉ざされていて、おまけに大砲が二門鎮座していた。

 下から上までゆっくりと見上げた八重はぽつりと呟いた。


「研究所っていうかほぼ城塞だろ、これ」


 呟くというより、唖然としてしまったという方が正しかった。

 槍を持つ腕がだらんと垂れたまま、首だけが上を向いていた。威圧感しかない。だらだらと冷や汗が流れている。さっと桜を見るが、彼女は視線を合わせることなく平然と言い放った。


「ですから事前に申し上げたではないですか。籠城戦は厳しいものになると」

「ここまでガチガチに固めてるってのは聞いてないぞ……⁉」

「奇遇ですね、わたくしも大砲は聞いていませんでした」

「どっこも奇遇じゃねえんだよ! 一切自分が悪いと思ってないならこっちを見て話せよ!」


 温和な笑みは崩れないが、彼女が八重の方を見ることはなかった。

 確かに桜から伝えられた情報に間違いはないが、五番町の予想をはるかに上回る要塞ぶりである。これは明らかに食い違いといってしかるべき現象だ。


 再びどよめきが広がっていた。嫌な空気だ。チセが横目で見ながら「大丈夫じゃない気がするんだけど」と耳打ちしてくる。八重は「大丈夫じゃないからな」と即答した。


「攻めるとなれば相当難しいぞ……」

「もしかしてヤバイ?」

「もしかしなくともヤバイだろ」


 奇襲は失敗。戦力はすでに想定以上に削られている。人数さえあれば落とせると思っていた目標も、侵入することすら困難な鉄壁の要塞ときた。ここで絶望感を覚えないほうがおかしい。


 実際、どよめきは落胆の色を帯びていた。

 下がった士気を取り戻すことは難しく、取り戻したところで上手くいく確証もない。


「それでもやるべきことは一つだ」


 八重は身体に立てかけていた槍をつかみ取った。

 いつものように手首で回して身体に馴染ませる。悪くない感触だ。


 隣に並び立つチセをちらりと見る。彼女は祭をぎゅっと抱きしめて、緊張の残る面持ちだ。だがじっと前を見据えていて、すでに覚悟の決まっている目をしていた。


 ――今はちゃんと知りたい。


 あのときと同じ目だ。


 彼女の言葉は今でも脳裏に響いている。思えばはっきりと自分の望みを口にしたのはあれが初めてだった気がする。彼女がそう願うなら、叶えてやるのが八重の役割だ。


 叶えてやりたいと心から思っていた。

 それが八重にとってのすべてだ。


「桜、予定変更だ。あれいくぞ」

「ええ」


 とんと肩を叩けば短い頷きが返ってきた。

 防御の構えで少しずつ距離を詰めていく。敵の砲台がゆっくりとこちらに向けられた。じわりと陣を進める。そして射程圏内に入ったところで足を止めた。


 八重と数人の巫女だけが前に進み出た。一人が八重の肩に手を添えると、軽く叩いて合図を送ってくる。八重は深く息を吸いこみ、口を開いた。


「……あー、あー」

「っ⁉」


 声がぐわんと反響した。

 背後に立つ五番町の住人たちはとっさに耳を塞いでいる。


 八重の肉声が要塞の奥深くにまで響き渡った。音を操る異能を持つ彼女を通して、拡声しているのだ。喉の調子を確かめるように数回声を出してから、ついに本題に入る。


 ニヤリと口の端を吊り上げた。

 戦場、それも敵陣の前で叫ぶことといえばたった一つである。


「こちらは五番町。我々は一番町の蛮行を看過することはできず、女王陛下の名誉を守るべく参上した。ただ今をもって一番町への攻撃を開始する!」


 ――正式な宣戦布告。


 すでに奇襲ではなくなっているのだから、ご丁寧に知らせるのが誠意というものである。

 八重は槍で地面をとんとんと突きながら言葉を選ぶ。


「だから、つまりあれだ――」


 言いよどんでいるとドンと後ろから突撃された。足元がぐらついて前につんのめる。その隙にチセが触れていて、彼女の息遣いが振動となって遠くまで伝わった。


 チセは握りしめた槍を突き出すと、にっと不敵に笑って叫んだ。


「一番町のみなさーん! あーそーぼッ!」


 戦場には似合うはずもない陽気な声かけ。

 それはもはや侮辱といって差し支えなかった。


 ピシリ、と空気が凍り付いたのが分かって、八重たちも石像のごとく固まる。


「て――敵方、動きだしました!」


 そこからは早かった。

 即座に大砲に着火されて、砲弾が飛んでくる。一秒後には周囲の木々が吹っ飛んで黒煙が立ちのぼっていた。怒り混じりの集中砲火だ。火薬のにおいの漂う熱烈な歓迎であった。


「……こうなるに決まってるだろうが!」


 八重はチセの身体を抱えて全速力で後退した。ぶらんぶらん揺れる彼女は「うわわわわ」とわけのわからない声を発している。舌を噛みそうだ。射程圏内を外れると、ぜえぜえと呼吸しながら放り投げ、血の気の引いた顔で彼女に拳骨を落とした。


「いった⁉」

「おまえは馬鹿なのか⁉」

「八重の言いたいこと要約してあげただけじゃん!」

「ようし、分かった。お前は馬鹿なんだな⁉」


 まるで反省の色が見られないのでもう一度拳骨を落とす。頭を押さえながらうずくまるのを見下げながら、つらつらと説教をしようとしたが、着弾の衝撃にすべてかき消された。さらに声を張り上げるも発砲音で何一つ聞こえない。


「開戦しているんですよ⁉ 親子喧嘩でしたらご自宅でなさってください!」

「だから親じゃないって言ってるだろ!」


 正門は銃撃と砲撃で完全防備されている。一歩踏み出せば身体に穴が開いてしまうありさまだ。武器に差がある以上、生身で飛びこむわけにはいかない。


「予定通り、正門はわたくしどもが押さえます。第一部隊、攻撃開始!」


 第一部隊は桜を筆頭に、巫女衆を中心にして編成された主力部隊だ。


「椿、要塞上部を狙ってください!」

「はい!」


 短い髪をふわりと揺らしながら椿が躍り出た。そばにあった木の幹に触れて異能を発動させる。木の枝がぶわりとしなったかと思えば、生き物のようにぐにぐにと動きだした。


 大きく育ち続ける木が、椿の視線一つで正門へと伸びる。太く伸びた枝や幹が建物を絡めとって、あっという間に覆いつくした。緑にまみれる要塞はまるで廃墟だ。


「よし、観測所を潰した! これで多少動いてもこちらの動きが見えないな」

「椿は木を操る異能ってこと?」

「植物……でしたら、大抵のものはっ、操作できます……!」


 顔を歪めたままで答える。限界寸前まで異能を発動させる中、チセに訊かれたのできちんと返答するあたり律儀なのは変わらなかった。八重相手には敵意をむき出しにするが、そうでなければ基本的に従順なのである。

 八重は感心しているチセの首根っこを掴むと、ずるずる引きずった。


「俺たちは向こうだ。桜、土の異能の奴を借りてくぞ」

「まっ……!」


 椿が両手を付いたままで振り返った。ふるふると首を振って、必死に引き止める。


「彼女は防御の要だ、連れていかれるとこちらが――!」


 そういやそうか、と呟いた。防壁を作るのにあれだけ便利な異能なのだから、大砲の遮蔽物として利用するのは当然だ。考え直すか――と八重が口を開きかけたとき、桜が「構いませんよ」と軽く返した。


「どうぞお連れください。椿は優秀な子ですから、単騎でも充分持ちこたえられます」

「桜様⁉ わ、私、これ以上力を使うと欠乏症になるんですが……」


 引きつった笑みで身体を強張らせる。頼むから考え直してくれ、という気持ちが痛いほどに伝わってくるが、桜は両手を合わせて優しく微笑んだ。


「失神しても大丈夫です」


 あっさりと許可が出てしまったので、椿は観念してうなだれた。

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