第3章

第25話 戦争だよ、全員集合(1)


 二日が過ぎて、作戦決行日。

 星の降るような真夜中に八重たちは境界を越えた。


 あたりは真っ暗でお互いの姿もほとんど見えなかった。森は背の高い木が生い茂っているから、光もほとんど差しこまない。草木を踏み荒らす足音だけがかすかに聞こえていた。


 八重は一足先に塀の上に片手をついた。

 足を抜くように一気に乗り越えて、焚火の前に降り立つ。


「は――ッ⁉」

「どうも、夜分遅くに悪いな。寝てていいぞ」


 剣を下げている見張りを背後から襲い、声をあげるもなく気絶させる。他の隊に連絡される前に全員を片付け、茂みの方に放り投げる。そして八重は槍を高くかかげた。


 安全確保の合図だ。

 武装した五番町の住人が、次々に塀を乗り越えてきた。


「これより第二段階に移行します。予定通り、三部隊に分かれて行動してください」


 全員が境界を越えて一番町への侵入に成功した。巫女装束をまとった桜が手短に指示し、片手を大きく前へ振った。隊列を組みながら素早く森を抜けて町へと向かう。


 一番町を攻撃する――決定から行動までは早かった。

 桂木は町内会と連携を取って戦力を揃え、一番町が勘付くよりも早く攻撃に打って出る。


 すなわち奇襲だ。


 この作戦は時間との戦いでもあった。

 一番町はその卓越した技術力をもって、女王の権能を疑似的に作り出してしまった。分所を襲撃された今、本体となる研究所が隠される可能性が高い。証拠隠滅をされる前に襲撃し、技術者を捕縛するのが今回の目的だ。


 作戦に参加しているのは、桂木の私兵である巫女衆が五十三名、町内会の保有する警邏隊けいらたいが七十名、加えて用心棒である八重とチセと祭だ。総勢百二十六名の大規模な作戦である。


「……なんかずいぶんあっさりと通れたね? 境界ってもっと警備が厳しいのかと思ってたのに」


 隣を走るチセが小声で囁いた。彼女の疑問はもっともであるが、答えは単純明快だ。


「一番町は技術力こそ高いが、大した軍事力を持っていない。逆に五番町は武力だけでいえば他の町より抜きんでてるんだよ」

「それって桂木さんがいるから?」

「巫女衆も強いが、そもそも警邏隊にもそれなりに人数がいる。人数の差は戦力の差だ。数で押せば大抵のことは通るんだよ」


 前回の分所襲撃はその場の流れだけで起こった、いわば突発的な事件だ。だが今回のようにほぼ全員が出向けば、並の組織では勝負にもならない。それに加えて、警邏隊――町内会によって組織された治安維持組織である――も集まれば、それこそ数で圧倒できる。


「一番町は戦力を本命に集中させているはずだ。つまり境界の警備には人数を割けない」

「じゃあ勝負は研究所にたどり着いてから、ってことだね。この調子なら余裕だったり?」

「そこは微妙だな」

「あれ?」

「籠城戦になることは明らかだ。籠城戦ってのは、攻める側が不利になるようにできてる。戦力差があるとはいえ、まともにやりあったらさすがに勝機が薄い」


 そのうえ研究所は一番町の町の中心に位置している。敵地のど真ん中、退路を維持するだけでも至難だ。応援を向かわせるのも一苦労である。圧倒的に不利な場所で戦わざるをえないのだから難局だ。八重は町の向こうを見やった。


「だからこその奇襲なわけだが、情報通りだとなかなか厄介だぞ」


 町は規則的に道が交差している造りだ。整然とした大通りを突き進んでいく。

 すでに真夜中とはいえ町の中は異様に静かだ。通りを挟むように民家が並んでいるのに、住人が逃げようとする気配すらしない。


 足音と武器の金属音しか響いていない。

 何かおかしい――と勘付いたころには敵もすでに動き始めていた。


「――撃て!」


 大通りの向こうから人影が現れた。同時に民家の窓もガラリと開いて、数人の姿が見えた。そこかしこから「敵襲!」という報告があがる。八重たちは中央を走っていたが、前方も後方も足を止めてしまったので身動きが取れない。完全に膠着してしまった五番町は袋のねずみだ。


 広がるどよめき。耳をつんざくような破裂音と、焦げ臭いにおいがただよった。八重のすぐそばの地面が欠けて破片が飛ぶ。足元には鉛の弾が命中していた。


「……銃だ! 気をつけろ!」


 窓からのぞいている銃身が引っこんだ。


 一番町は技術こそ優れているが、火薬を手に入れることが難しく、数は揃っていないはずだ。だというのにすでに持ち出されているところから見るに――。


「出し惜しみはしないというわけか。これはいよいよ全面戦争だな」


 槍をきつく握りなおしながら苦笑した。

 わずかな動揺とともにある疑問が浮かんでくる――なぜこんな状況に陥っているのか。


 八重たちは奇襲を仕掛けたはずだ。相手の準備が整うよりも早く攻めこむことによって、素早く制圧するのが目標だった。しかし一番町は明らかに迎え撃つ体制を整えている。


 八重の口角がピクリと震えた。そこから導き出される答えは一つしかない。


「さては情報が洩れてるな……⁉」


 奇襲が奇襲でなくなっている。

 これは由々しき事態である。敵に知れ渡っている奇襲ほど間抜けなものはない。


「巫女衆、防御を展開!」


 桜の指示とともに、地面が激しく振動した。土にヒビが走り、盛り上がって粘土のように形を変えていく。あたりを遮る壁のようにせりあがった土は、八重たちを守る盾だ。


 射撃音が聞こえるが、土の壁に穴を開けられるほどの威力はない。これで攻撃はしばらくの間しのげる。けれどいつまでも守りに徹しているわけにもいかず、問題はどう突破するかだ。


 恐怖は伝播していく。チセは八重の着物の袖を握りしめながら叫んでいた。


「銃なんて撃たれたら終わりじゃん! こっちと文明レベルが違いすぎない⁉」

「いや、一応うちにも銃はあるぞ」

「マジで?」

「ただし開発が追いついていないから、二回に一回は暴発して自滅する」

「それをあるとは言わないよ!」


 もっともな意見だったので、「そうだな」と棒読みで返した。


「順当に考えれば、遮蔽物を利用して少しずつ進むしかないが――」


 それでは一番町の術中にはまっているのと同じだ。彼らは優位な武器でじわじわと五番町の戦力を削ることができるし、何より時間稼ぎにはうってつけだ。撤退の準備を進められてしまう。

 八重たちはできる限り短時間で研究所までたどり着かなければならない。


 だが三方を囲まれている以上、犠牲なしには進軍不可能だ。

 何より正面を陣取られているのが痛い。


 さあ、どうする――?


 お手並み拝見、とそばにいる桜を振り返ると、彼女は一切の躊躇なく前を指示した。


「第三部隊は足止めと導線の確保! 残りはこのまま突っ切ります!」

「えっ」

「まずは正面から切り崩し、その後側面に攻撃をしかけます!」


 実に思いきりのいい指示だった。

 警邏隊からはどよめきが聞こえるが、無慈悲にも「進軍!」の一言で断ち切っている。


「まあそうなるよな……。あいつらは根が蛮族か戦闘民族だから……」


 その士気を警邏隊にも求めるのは価値観のすれ違いというか、不幸ではあった。個々の力量がずば抜けている巫女衆と違って、彼らはあくまで町の警備を任されているだけの住人なのだ。


 ここは八重たちの仕事である。槍を構えて、前を見据えた。


「チセ、祭、行くぞ!」

「ラジャー!」


 八重は地を蹴って、人波をかいくぐるように駆け抜ける。


 桜の合図で正面の壁だけが崩れ落ちて道が開かれた。一人飛び出して敵との距離を詰める。

 いくつもの銃口が向けられ、発砲音が何度も鳴り響いた。八重は足を止めることなく軌道を変えながら近づいていく。弾は当たらない。照準を合わされるよりも早く走る、ただそれだけだ。


 土嚢を飛び越えて背後に回りこんだ。振り向きざま、銃口が上がったのを見逃さない。


「――っと!」


 槍の穂先をひっかけて弾き飛ばした。銃身が宙を舞う。


「くそ……!」

「やめろ、撃つな! 流れ弾が当たる!」


 くるりと槍を回して、もう一撃。流れるような動きで叩き落とす。懐にさえもぐりこんでしまえば銃の利点はなくなるのだ。


 痺れる腕を抱えてうずくまる敵の一人は、懐に手をやった。八重が距離を取るために飛びのいたの同時に、後ろから羽織を引っ張られた。


「八重、どいて!」

「うおっ」


 身体が傾いて、真っ逆さまに倒れていく。

 追いついてきたチセが入れ替わるように前に出た。大きく足を踏み出して、土嚢に片足をかける。突き出した柄を敵の鳩尾にくいこませて仕留めた。今日の祭も絶好調だ。


「………おい」


 そのころ八重といえば、足を滑らせて背中から落下していた。

 ごろごろと地面を転がって、全身砂まみれだ。


「おまっ……、ギリ受け身を取れたからいいものの、失敗したら後頭部激突してたぞ⁉ こちとら貴重な戦力なんだからな⁉」

「私じゃないよ、祭がやった!」

「だろうなあ! おまえに言ってんだよ祭、明日の鍋の食材にするぞ!」


 槍の姿になっている祭は受け答えができないので、チセの身体を操って意思表示してくる。親指を立てると、スッと首を掻き切るジェスチャーをした。

 八重は言葉もなく唇の端をぴくぴくと動かすしかない。具体的なだけにより陰湿であった。


「わあ、今日もめっちゃ険悪だね――って、後ろ!」

「あ?」


 槍を振るってこめかみに叩きこむ。背後から襲いかかってきた残りの敵も、一瞥することもなく仕留めた。土嚢の上に立った八重は、「今のうちに進め!」と腕を振って進軍を促した。人混みはぞろぞろと走りだす。


「……なぜおまえが命令している! 総指揮は桜様だろう!」


 すれ違いざま、椿がじろりと睨みつけてきた。八重はひらひらと手を振って適当にあしらう。


「俺も隊長だからいいだろ。ちんたら走ってないでさっさと行けよ」

「前の速度に合わせたらこうなるだけだ!」

「じゃあ前の速度に合わせてさっさと行け。頼むから今日は言うこと聞いていい子にしてろ」

「なっ――!」


 椿は顔を真っ赤にして口をぱくぱくとさせた。まだ言い足りなさそうに声をあげているが、波に押し流されるように消えていく。


 左右はいまだ応戦中だが、正面が切り開かれたことによって道はできた。

 ある程度が通過したところで、長い黒髪をたなびかせる女を見つけた。八重も土嚢から飛び降りる。ややスピードを落としながら隣に並んで、「桜」と小声で囁きかけた。


「……おまえはどう見てる? まずいだろ、これは」


 敵の陣を突破できたといっても先は長い。

 今や流れは一番町が握っているのだ。桜は視線を向けないまま、声を抑えて返した。


「少なくとも奇襲は失敗でしょうね」

「どこから情報が漏れた?」

「わたくしどもと同じく、密偵を放っていたのでしょう。ただ一番町も研究所を捨てずに立てこもっているとの情報は確かです」

「さすがに二日じゃ何も持ち出せなかったんだろうな。分所を見る限り、大掛かりな設備なのは想像がつく。それでどうする? 立て直すか?」

「このまま正面衝突で押しきるしかないでしょう」

「押しきるにしても、今のでだいぶ人数が削られたぞ。引き返すなら傷の浅い今だが……」


 ちらりと視線をやると、彼女は首を傾けた。長い黒髪がさらりと揺れる。


「あら、そんな冗談をおっしゃるなんて、もうお疲れですか?」

「……いちいち訊いたのが馬鹿だったよ。せいぜい上手く俺を使ってくれ」


 八重は笑いながら返して足を速めた。


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