第24話 結論ありきの作戦会議



 息がしたいと思って、目を覚ました。


 ゆっくりと瞼を開けると、目の前で祭のしっぽがゆらゆら揺れていた。寝ぼけまなこで瞬きを繰り返す。視界のほとんどをしめているのは祭の身体だった。妙に息苦しいと思えば祭の全体重がかかっているのだ。


「……おい、俺の首からのけ。窒息死させる気か」


 掠れた声で訴えかけると、不満げな鳴き声とともにしっぽの端で頬を叩かれた。八重がどれだけ弱っていようが容赦のない仕打ちである。


「みゅ?」

「あー、治ってる。あいつ、俺が寝ている間に解毒剤を打ったな」


 部屋には見覚えがあった。桂木邸の一室だ。

 なぜここに寝かされていたのか思い出そうとする。車が衝突するときの衝撃からチセを庇い、無事に脱出、資料を桂木に渡したはずだ。少し話をした覚えもある。

 だがそこから先の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。恐らく毒が完全に回って意識を失ったのだろう。


「チセは?」


 短く問いかけると、祭が軽やかに飛び下りた。襖の隙間をぬうようにして外へ出る。木の廊下をぱたぱたと駆ける足音がして、しばらく待っていると足音が一人分増えた。


「八重! まだ起き上がっちゃ駄目だよ」


 がらりと障子を開けたのはチセだ。足早に近づいてくるとすぐそばで腰を下ろした。どっかりと座りこんだ彼女は、むっとした顔つきで八重を見た。


「もう大変だったんだよ! 八重動かなくなるし、重くて運べないし!」

「そりゃ悪かったな」

「それに僕の屋敷も半壊したしね」


 障子の向こうからひょっこりと顔を出したのは桂木だった。「まったくめちゃくちゃだよ。僕のこだわりの縁側を返してもらえるかな」とぼやきながらチセの隣に座った。


「消火活動に勤しむ羽目になった僕の気持ち考えた?」

「風通しを良くしてやったんだよ、最近蒸し暑いからな」

「君、さては意地でも僕に謝りたくないんだね?」

「今なぜか、無性におまえを殴り飛ばしたい気分なんだよな……」

「謝れって言ってるんだよ僕は! どうしてさらに加害しようとするのかな!?」


 長い夢を見ていた気がするからそのせいかもしれなかった。「まあ大抵の場合、おまえに殺意を向けいてるな」と付け加えれば、「恩人に言う台詞じゃないね」と肩をすくめられた。


「はっきり言って、おまえに恩を感じたことは一度もない」

「僕がいなきゃ今でも死にかけてたんだからね。大体君、毒にはもう懲りたんじゃなかったの?」

「これはおまえのとこのを庇っただけだ。不可抗力だよ」

「君のおかげで、巫女衆は全員無事に帰還できたけど――ってチセさん、急に何……?」


 蚊帳の外になっていたチセは、桂木の着物の袖をつまみ上げると、そっとめくりあげていた。


 桂木が困惑気味に身を引くのも気にせずに、肩までまくって露出させる。普段は着物の下にシャツを着ているはずだが、今は着物一枚なので、素肌がよく見えてしまっていた。


 そういえば、今度桂木に会ったら袖をめくってみろと言ったのは自分だったな、と思い出す。

 ただタイミングが不自然すぎるのだ。いつでもいいとは言っていない。


「何これ、僕もしかして襲われてる? 悲鳴上げた方がいい?」

「うわ、本当にすごい。刺青みたいだ」

「ねえチセさん、一回僕の顔見てよ。だいぶ引いてるから」


 桂木の左腕は、肘の下から肩の手前まで花唐草の紋で埋め尽くされていた。

 すべて彼の契約印である。巫女衆全員分と八重との契約は計五十を超えているから、常人では考えられない柄になってしまっている。チセは視線で辿りながら、「あれ?」と声を漏らした。


「一個だけ柄が違うよ? 鳥?」

ふくろうだね」


 絡み合うつる草に降り立つように、梟が肩に止まっていた。どうやら状況を理解したのか、桂木は自分で袖をまくりながら、チセに見えるようにしてやる。


「それは八重との契約印。いつもは僕の柄が出るんだけど、八重の時だけは違ったみたいでね。力の総量で負けたみたい」

「ってことは、八重にも同じ柄がある?」

「そういうことになるね。ちょうどいい教材だし、見てごらん。背中にあるから」


 桂木が指さすと、チセがぱっと視線を向けてきた。見せてもどうということはないが、まじまじと凝視されても反応に困ってしまう。反射的に背を隠せばチセが身を乗り出した。


「俺の人権にも配慮してからものを言え!」

「僕のを教えたのも君じゃないか」

「おまえのは例外だから――おいチセ、人の着物を剥ぐのをやめろ! 絵面がヤバいぞ!?」

「まあまあ、私たちの仲じゃん」

「これは誰が見ても襲われてるだろ!? やめっ……、本格的に倫理観がまずい!」


 着物を引っ張るチセと、身を守ろうとする八重でもみくちゃになる。意外にも力が強い。大人しくしていたはずの祭まで、着物の裾を噛んで引きちぎろうとしていた。「いったん落ち着け!」と止めるが、気付けば帯も解かれていた。桂木はニヤニヤ笑いながら野次を飛ばした。


「わあ、大胆」

「俺の味方は一人もいないんだな!?」


 散々どたばたと暴れまわった結果、無理やり脱がされる。まだ体力が戻りきっていないので、ぜえぜえと呼吸しながら遠くに投げ捨てられた帯を回収した。

 八重の背中にはひっかき傷一つなく、肩甲骨の近くに梟の契約印が刻まれていた。チセは指先でつついたりさすったりする。


「本当だ、一緒の柄」

「摩擦で消そうとするのをやめろ。擦り切れるわ」

「契りを結ぶときに刻まれて、破棄されるまで消えないんだよ。契りを結ぶことの利点は、絶対の強制力があることだからね。女王陛下の名のもとに誓うっていうのはそういうことだよ」

「でも今って女王様がいないんじゃなかった?」

「建前の話だよ。実際のところ、何が保証人なのは謎。僕はこの世界の仕組みなのかなって考えてるけど、証明もできないね」


 契りを結べば契約印によって縛られ、破ればどこからともなく厳罰が下る。女王の百年空位問題が続いている今も機能しているということは、桂木の予想は的を射ているのかもしれない。


 何にせよ、契りは安易に結ぶべきものではない。

 八重がげんなりとした顔でチセを見たのと同時に、桂木は期待の視線を投げかけた。


「君が女王陛下になってくれたら、すっごく嬉しいんだけどなあ」

「桂木さんって隙あらば狙ってくるよね。そういうとこ良くないと思う、普通に」

「なんか僕に対する態度が八重に似てきてない? 主に辛辣さとかが」

「英才教育のたまものだよね。子は親に似るって言うじゃん」

「おい誰が親だ、誰が」


 単純な年齢差でいえば、親どころか立派な子孫である。桂木は苦笑いした。


「言っとくけど僕、この町を牛耳ってる重要人物なんだよ? 君らちょっとくらい媚びといた方がいいんじゃないかな。今後のためにも」


 紛れもない事実ではあるが、八重は大きくため息をついて、ばっさりと言い切った。


「おまえに媚びるぐらいなら俺は死ぬ」

「だから君、死なないじゃん」


 すでに八重の異能について聞いたのか、チセは「本当だ」と思い出したように呟いた。


 どこから漏れたかなど考えるまでもなく桂木だ。自分から話すのは気乗りしなかったとはいえ、当の本人が倒れている間に、許可を取ることもなくぺらぺらと喋った桂木には釈然としない。横目で睨むと彼は誤魔化すように手を叩いた。


「気が変わったらいつでも言ってもらうとして――そろそろ本題に入ろうか」

「本題?」

「君が一番町から回収してくれた資料の中身だよ」


 燃え盛る建物から奪い取ってきた紙束は、桂木の手に渡っていた。そっくりそのまま返される。ぽんと手渡されたそれは機密資料といって差し支えなかった。

 チセと祭が横から覗きこんでくるので、八重は手元でぺらぺらとめくった。


「内容はもう改めたから、君たちにも見てほしいところだけ抜粋した。とりあえず目を通して」


 一枚目には資料のタイトルだけが端的に示されている。


 ――絶対命令権付与、およびに強制召喚術式の構築について。


 八重はこのタイトルを見て、チセに関係する何かが書かれているのではないかと予想し、持ち帰ったのだ。桂木の態度からして当たりを引いたようだ。


 先を読むように促されて、一枚めくった。

 女王の権能・絶対命令権についての概要がつらつらと続いている。この世界の住人ならば大方知っていることなので読み飛ばし、次の紙へといく。


「精神に刻まれたあらゆる情報を抹消し、純粋な器とすることによって、絶対命令権の付与を可能にする――?」

「そう、そこが一番問題」

「情報というのは、つまり……」

「記憶だろうね」


 その言葉を聞いた瞬間、指先が固まって動かなくなった。背中にぞわりと悪寒が走って、鳥肌が立っていた。止まっていた息を静かに吐き出して、ゆっくりとチセを見やる。


「――私の、記憶」


 彼女は襟元を強く掴んでいた。


 青い顔で小さく呟いたきり、次の言葉を発せずにいる。すぐに取り繕っていつものように笑みを浮かべるが、今さっき見せた動揺は隠しきれるものではない。桂木はさりげなく視線を外して何も見なかったふりをしているが、祭はか細く鳴いて彼女の膝にすり寄った。


 一番町は異能を再現する研究をしていた。今まで誰も考えもしなかった技術だ。異能は生まれ持ったものであり、後天的に得ることなどあり得なかったのだから。


「それを可能にするのが一番町の研究ってわけ。すでに出来上がってしまった身体を、人為的にリセットするんだよ」


 桂木は自分のこめかみに指先を当て、トントンと叩いた。


「記憶を消して、一度まっさらな状態に戻す。精神をなくして肉体だけ――つまり異能を引き継ぐための器とするんだ。そして疑似的に、異能を与えられる過程を再現する」

「……その結果がチセだっていうのか……?」


 自分で口にしておきながら、結論は分かっていた。

 記憶がほとんどすべてないというのが何よりの証明だ。


「強制的に門を開かせて、別の世界から迷い子を連れてくる。そのときに干渉して記憶を抹消、器を作って女王の権能を与える。ただどうも手違いがあったみたいだね。本来、門は一番町に開かせるはずだったのに、ずれて五番町の、しかも空中ときた。八重がいなかったら大事な成功例が肉塊になるところだったわけだ」

「一番町の連中がやけに早く駆け付けたのも納得だな。自作自演なら知っていて当然だ」

「でも最大の失敗は、その中途半端さだろうね」


 どういう意味か分からない。黙って続きを促すと、桂木が眉を下げた。


「欠乏症だよ」


 チセが絶対命令権を発動させたのは数回だけだ。そのたびに彼女は欠乏症になり、たった一度で気絶してしまう。これは歴代の女王には見られなかった現象だ。


「器にも適性があるということか?」

「そもそも異能を無理やり与えるなんて土台無理な話なんだよ。身体に馴染むわけがない」

「でも一番町は私のこと連れて行こうとしてたよ?」

「価値なら充分だろうね。新しい女王を即位させたいだけなら権能がありさえすればいい」


 女王の百年空位問題はすべての町にとっての問題だ。絶対の統治者を失っているこの世界は、ますます揺らぎを見せ、長いこと戦争状態が続いていた。


 もし自分たちの町から新たな女王を即位させることができれば、必ず優位に立てる。


 桂木がチセを囲いこもうとしているように、一番町も自分たちにとって都合のいい女王候補を求めているのだ。


「僕としてはこれ以上新しい女王候補を作られても困るし、一番町の研究を止める。君らが見つけたのは分所らしくてね。本命の研究所を見つけ次第、巫女衆を向かわせる予定だ。……八重はどうする?」

「珍しいな、俺に選択権があるのか?」

「いや、ないけど」

「ないなら最初から訊くなよ」


 仕方のないものを見るように眉をひそめて、それからチセの方へ向き直った。


「チセ、おまえはどうしたい?」

「…………私?」


 彼女は自分を指さして首を傾げた。「話の中心はおまえだろ」と突っこめば、「それはそうなんだけど」と口ごもりながら返された。


「もし元の世界に戻れる方法があるとすれば、戻りたいか? それともおまえをこんな面倒に巻きこんだ一番町に復讐でもするか? 女王になりたいっていうならそれでも構わないが」


 指折り可能性を数えていく。チセはそのどれにも答えることなく黙りこんでいた。何が不満なのか分からなくて、もういくつか選択肢を付け加えたが、それでも唇を結んでいる。


 袴をぎゅっと握りしめた彼女は、ぼそぼそと呟くように言った。


「……なんでそんなこと訊いてくれるの?」

「なんで?」

「桂木さんはともかく、八重って本当のところ全然関係ないよね。首突っこんでも損するだけじゃん。私のこと面倒だって言ったくせに、なんでどうしたいかなんて訊いてくれるの?」


 思わず黙りこんだまま、瞬きだけを繰り返した。


 まさかそんな返事があるとは思っていなかったので、何をどう訂正すればいいのか見当がつかなかったのだ。うっかり桂木に助けを求めて目を向けると、笑うのを堪えるように顔を逸らしていた。祭は我関せずといった様子であくびをしている。


 理由など言うまでもなかった。

 八重は最初からそうすると決めていて、損得勘定などとっくの昔に捨てているのだ。


 わざとらしい咳ばらいをしてから「愚問だな」と吐き捨てた。


「最初に言ったはずだぞ。俺は五番町の用心棒だ。おまえがこの街に落ちてきた以上、俺はおまえを助ける。おまえが善人でも悪人でも、どこの誰にどんな理由で狙われていようとだ」


 それが八重の選んだ生き方である。

 四百年ずっと貫いてきたそれを、これからもただ続けるだけだ。


「ごちゃごちゃ言ってないで、おまえがどうしたいだけ言え」

「私は……」


 彼女は意を決したように顔をあげた。


「記憶を取り戻したい。後のことはそれから決める。今はちゃんと知りたい、自分のこと全部」


 ゆっくりと口角を上げた。どんな言葉が返ってきても彼女の味方をやめるつもりはないが、それでも八重好みの答えだ。


「今回は珍しく利害も一致だね。態勢を立て直したらすぐに一番町へ攻めこむよ」


 桂木は軽やかに手を叩いた。


「さあ、楽しい戦争だ」

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