第23話 用心棒とゴミ


 それから百年がすぎても、八重はまるで変わらない姿で生きていた。


 あの夜押し寄せる影を狩り、一人も死なせることなく全員を守りきった。だがもはや村に居続けることもできなくなって、そのまま立ち去った。


 居場所をなくし、彷徨うように生きた。


 村を一歩出ると、森と呼ばれる未開の領域が広がっている。森の中は影がはびこり、誰も近づこうとはしない。八重は転々としながら、時々は影を狩りながら生活をしていた。


 八重の身体はたとえ致命傷でも即座に回復を始める。だから今まで死ぬことがなかった。


 それが悪い方向に出たのは、その時が初めてだった。






「――ッ」


 ずるずると崩れ落ちるように座りこむ。木の幹によりかかったきり、もう立つことができなかった。自分の意志で動かなくなった身体は、腕を上げることすらままならない。


 どこかの村が仕掛けたらしい、弓矢の罠にかかったところまでは良かった。影を狩るためのそれを誤作動させてしまうことは珍しくなかったのだ。

 今回も矢が二の腕に刺さっただけで、矢じりはその場で抜いた。


 だがそれからというもの、身体がおかしい。


 鼓動が異様なまでに速く、息を吸っているはずなのに肺へ空気が入ってこない。喉が引きつるように音を鳴らしていた。次第に全身の力が抜けて、手足が動かなくなった。


 八重は目だけを動かして腕を見る。傷は綺麗に塞がっていて傷跡一つ残っていない。だというのにいつまでたっても身体が動かないどころか、時間がたつごとに苦しさが増すばかりだ。

 もうずっとこの状態が続いている。八重は低く唸りながら喉を掻きむしった。


「きゅう、キュ!」


 足元にいる小さな獣が鳴いた。

 八十年ほど前、森の中で出会い、それ以来行動を共にしている。祭の異能は八重にとって便利だったし、祭も燃費が悪いのか、食事だけでは回復しきれない力を八重の血液から摂取することができたので都合が良かったのだ。


 なぜか出会って数日で好感度が底辺にまで落ちたが、さすがの祭といえど見捨てられなかったのだろう。遠くから木の枝を踏む音を聞きつけると一目散に駆けだした。

しばらく空を仰いでいると、一度遠ざかった足音が数を増して戻ってきた。


「――あの?」


 祭によって連れてこられたのは、まだ年端もいかない少女だ。黒髪を丁寧に切りそろえた彼女は、淡い桜色の瞳に八重を映した。すぐに八重の異変に気付くと正面で膝をついた。


「大丈夫ですか? 落ち着いて、ゆっくり息をして――」

「ちょっと桜、僕を置いて勝手に行かないでくれるー?」


 割りこむような声に彼女は顔をあげた。


「桂木」


 後ろから小走りで追いかけてきた青年も、まだ十代後半といったところだ。大量の荷物を背負っている彼はよたよたと走った。森を横断しようとしていたところからして素性はあやしい。


 桜と呼ばれた少女はちらりと振り返りながら、「毒のようです」と端的に答える。


「そばに矢が落ちていました。五番町が仕掛けたものだと思われますが。傷を焼きますか?」

「初手が荒いんだよ君は。僕に代わって。ええとお兄さん、ちょっと失礼」


 彼は愛想のいい笑みを浮かべながら腰を下ろした。瞼に指をやって瞳孔を見たり、着物の袖をまくり上げて手足を観察していく。手早く確かめたあと、八重の血がこびりついたままの矢じりを見て、彼は大きく首を傾げた。


「…………なんでまだ生きてるの?」


 彼は矢をつまみ上げた。


「これ、とっくに致死量だと思うんだけど。普通なら即死だよ。大体、矢の傷はどこに?」

「なお……った……」

「治った?」


 彼はしばらく無言だったが、ふと思い立ったように手を伸ばした。指先を添えるように八重の首筋にあてて、目を閉じる。

 脈の速さでも測っているのかと思ったが、どうやら異能を使っているらしいと気づいたのは、彼が徐々に目を見開き始めたからだ。


「――不老不死?」


 しんと静まる森に彼の声だけが響いた。八重は返事をしなかったが、それが彼の異能なら誤魔化せるはずもない。無言を肯定と取った彼は、目を伏せたままでぶつぶつ呟き始めた。


「……ああ、そうか、なるほど。毒は排出できないから治癒できないわけか。でも毒によって傷ついた内臓なら治るから、結局いつまでも死ねないわけで――これは地獄だね。お兄さん、何時間この状態やってるの?」

「みっ、か……」

「うわあ、想像しただけで吐きそう。僕なら今すぐ自決するね!」


 そう口にしたあとで「あ、死ねないから困ってるのか」と一人で手を打った。あまりにも不謹慎である。そばにいる少女はやや眉を吊り上げながら青年を見た。

 彼は特に悪気のなさそうな顔で謝罪すると、「ところで」と目を細める。


「話は変わるんだけどさ、お兄さん綺麗な銀髪してるよね。……朝霧村の生き神って、あなたのことだったりする?」

「――っ!」


 八重の反応だけで理解したのだろう。彼は両目を輝かせて、八重の手を握りしめた。


「へえ! 実在してたなんて驚きだ! おとぎ話か何かだと思ってた。不老不死っていうからまさかとは思ったけど、実際お目にかかれるなんて光栄だね。それにしてもいい異能だよ。伝説通りならもう四百年生きているはずだけど、とてもそんな風には見えない!」

「そりゃ、どうも」

「桜、解毒剤出して。青色の小瓶」


 ようやくこの苦しみから解放されるのか、と八重は心底ほっとしていた。今まで毒を浴びたことなどなかったから、自分の異能にこのような欠点があるなど知らなかったのだ。

 もし彼らが通りかからなかったら、それこそ数年生き地獄を続けることになっていてもおかしくなかった。怪しい二人組ではあるけれど、善意で助けてくれるのだから感謝してもしきれない。


 八重は脂汗を滲ませながら、縋るように青年を見た。

 青年は柔らかな微笑を浮かべて、八重と視線を合わせた。


「――ここで相談なんだけどさ」


 小瓶を見せつけるように八重の前で揺らす。


「解毒剤が欲しいなら、僕と契りを結んでくれない?」


 小瓶の中では液体がとぷりと揺れていた。


 思わず「は……?」と声が漏れていたが、青年は笑みを崩すことなく、八重の返事を待つだけだ。解毒剤の蓋を開ける気配は一向にない。


 じわじわと言葉の意味を理解し始めていた。


 瀕死でありながら、死ぬに死ねない八重に解毒剤をちらつかせながら、取引を持ちかけているのだ。対価を要求するのは当然ではあるが、契りを迫るのはあまりにも卑劣だった。

 契りは互いの命と尊厳を賭けるものであって、安易に踏みこんでいいものではないのだ。


 言葉を失っていると、青年はわざとらしい仕草で「ああ」と声をあげた。


「これ一本しかないんだけど、早くしないとうっかり落としちゃうかも!」

「……おまえ……人間性がゴミだな……」

「そのゴミに助けてもらわないと困るのはそっちだよね。もう少し言葉を選んだら?」


 力関係ははっきりとしていて、八重には最初から選択肢がなかった。一方彼はここで見捨てようが何も困らないのだ。

 涼しい顔をしている彼を睨みつけても状況は変わらない。言うべき答えは決まりきっていて、感覚のない腕を必死に持ち上げて、胸倉を掴み上げた。


「……俺に何をさせるつもりだ?」

「五番町の用心棒になってもらう」


 用心棒、と呂律の回らない口で繰り返す。彼はゆるく頷いた。


「僕は僕の理想の町が欲しいんだ。近い将来、僕は五番町を掌握してみせる。そのときが来たら、あなたには五番町の用心棒として尽くしてもらう。簡単なことだよ。あなたが何百年やってきたことを、今度は僕の街でしてもらうだけ。たったの十年間ね」

「十、年」 

「そんなに悪い話じゃないと思うよ? 今はすべての村が解体されて五つの町になっている。あなたのいた朝霧村は五番町に吸収されたんだし、守る理由なら充分あるでしょ。僕の町で好きなだけ神様をやってくれればいいんだからさ」

「……ッ!」


 彼が八重を知っているのなら、村でどのような結末を迎えたのかも知っていたはずだ。それでなお口にしたのだから、八重の古傷をえぐる以外の目的はなかっただろう。


 唇を震わせても、彼は一切に動揺を見せることなく、煽るように小首を傾げるだけだ。


「それとも、もう嫌いになってしまった?」


 温度のない声だった。つられるようにわずかに視線を上げると、底の冷え切った瞳が八重をじっと見つめて離さなかった。

 唇は笑みを描いているのに、その実、八重を便利そうな道具だとしか見ていないのだ。


 直感で、嫌だと思った。


 この男は支配欲にまみれすぎている。他人の尊厳を踏みにじることに一切の躊躇がない。吐き気がするほどの嫌悪感に苛まれる。

 それでも彼の手を握って強く引き寄せる。彼は驚いたように口を開けた。


「俺は誰でも守ると決めたんだ――おまえみたいな、最低な奴だったとしても」


 最悪の異能を発動させてしまってから、ずっと自分の生きている意味を考えていた。何か理由があるはずなのだ。もし理由などなかったとしても、そう思わなければやっていけなかった。


 長い時間をかけて考えて、八重はそれを他人に求めることにした。


 自分より弱くて、自分よりも何もできなくて、自分より守られるべきだと思う者たちがいた。だから守ろうと決めたのだ。それが自分の生きている意味だと信じたかった。報われなくても、裏切られても構わない。

 絶望などとっくにしているのだ――こんな異能に気付いてしまったその日からずっと。


「好きなだけ利用しろ。俺は誰でも守ってやる」


 無条件に愛そう。

 今までそうしてきたように、これからも。


 八重の背に契約印が刻まれる。


 その日八重は朝霧村の生き神という名前を捨てて、五番町の用心棒になった。


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