第19話 地獄行きのデスドライブ


 建物から脱出していた彼女は、椿とともに身を潜めていた。腕にはもとの姿に戻った祭を抱きかかえている。「ですが」と続ける桜に、「大丈夫だよ」と拳を固く握りしめた。


「考えがある。私なら八重もあの人も連れて、ここから逃げられるよ」

「万が一あなたが傷ついては顔向けが――」

「私も怪我しない!」


 チセは腕を突き出しながら強気に笑った。


「私たちは逃げられる。みんなはちゃんと戦える。これで一発逆転だよ」


 彼女は強く言い切った。眼差しは揺らぐことなく真っ直ぐだ。

返事に迷っている桜と視線を合わせたまま、逸らさない。


「……本来、わたくしどもがチセ様のお力を借りるなどあってはならないことです。あなた様は女王の候補者。巫女衆は切り捨てられてしかるべきです。それでも今はどうか――全員の無事のためにお力添えを」

「任せて」


 チセは頷いた。

 彼女たちの位置から八重たちの隠れる車まではそれなりに距離がある。チセの足はそこそこ速いが全力で走っても十秒はかかるだろう。


 彼女が無傷で駆け抜けるためには、隙を与えない援護射撃と、いざというとき盾になる役割が必要だ。


 桜は綿密な指示を出しながらチセの前に立った。彼女の左手首を掴んで位置を固定する。大木の隙間から森の方を睨んだ。


「覚悟はよろしいですか」

「いつでも」


 二人は顔を見合わせて頷きあう。椿が腕を振った。


「射れ! 一番町に桜様を狙う隙を作らせるな!」


 大量の矢が射られるとともに二人は躍り出た。身を守るものは何もなかった。ただひた走るしかない。空は敵味方の矢で覆いつくされていた。


 狙いの外れた矢がチセのもとへと降り注いだ。一瞬見上げたチセの足が止まるが、桜は引きずって走らせる。握りしめていた左手を開いて振りかぶった。


「右耳を塞いで、頭を下げて!」

「え!?」

「地面を見てください!」


 反射的に首を丸めたのを見て、桜は投擲した。

 宙に投げられたのは黒い球だ。短く伸びた紙紐に、不意に火が灯った。桜の異能によって火をつけられたそれは、不自然な軌道を描きながら空に浮き、そして二人の真上で爆散する。


 緊急用の小型爆薬だ。


 爆風が吹き荒れてあたりには砂埃が舞った。チセの細い身体はひっくり返りそうになるが、桜に押さえつけられて耐えた。強制的に作られた風は弓の軌道を変えてしまう。吹き飛ばされた矢は、宙を舞ってぱらぱらと墜落する。


 チセは片耳を押さえながら声を張り上げた。


「八重、扉を開けて!」

「扉!?」

「車の! 奥に入って!」


 八重は扉の取っ手を掴んだ。手前に引っ張れば開け放たれる。足元で意識なく倒れている巫女の身体を抱き起して、車の後ろに放りこんだ。前の扉も開けて自分も中に入る。


 扉は開けっ放しだ。たどり着いたチセが飛びこんで、続いて祭も身体を滑りこませた。椅子に腰かけると勢いよく扉を閉めて、差しこまれた鍵を回す。


「エンジンかかれ、エンジンかかれ……!」


 反応はない。チセは祈るように呟く。


「かかれ……!」


 前のめりになりながら唇を固く結ぶ――そして車体がガタンと大きく揺れた。


「おわっ!」

「やった!」


 いきなりの揺れに、八重は額を正面のガラスにぶつけた。ゴンっと激しい音がする。彼女は車体から伸びるベルトをいそいそと身体に巻きつけ、八重にも真似するように言った。


「エンジンかかった。ベルト締めた。ハンドルも動く。よし、発進――って、ああ⁉」

「今度はなんだ⁉」

「アクセルに足が届かない!」


 チセは浅く腰掛けながら足を伸ばした。右足はすかっと空ぶっていた。ほとんど滑り落ちそうな体勢になるとようやく足先が届いたが、今度は前が見えない。


「そのアクセルってのを踏めないとどうなるんだ」

「ただの鉄の塊だよ!」

「それは最悪だな! 何の解決にもなっていない」


 八重の身長なら充分届くだろうが、運転の仕方を知らなければ、今も眩暈で視界が明滅している。背もたれに体重をかけながら浅く呼吸するので精一杯だ。


 チセはうなりながら足をピンと張っているが、急に伸びてくれるわけはなかった。


「あ、足がもげる……! すらっとした足長美人になっちゃう……!」

「それはおまえの願望こみだろ……」

「キュ!」


 まさかの窮地に助け舟を出したのは祭だった。チセの膝からぴょんと飛び下りると彼女の足元にもぐりこんだ。全体重をかければ、ペダルは軋みながら最大まで沈む。


「祭、すごい! そのまま私の代わりに踏んでて!」

「きゅう」

「今踏んでるのがアクセル、左はたぶんブレーキだけど――踏む必要なし! 突っこむよ!」

「キュー!」


 祭は勇ましく鳴いているが、何やら聞き捨てならない言葉が聞こえた気がした。

八重は身を乗り出す。


「つ、突っ込む? 今突っこむって言ったか?」


 チセはハンドルをぎりぎりと握りしめていた。返事らしき返事がなく、八重は「待て待て待て」と割りこんだ。


「おまえ、本当に動かし方を知っているんだよな?」

「……小さいころにシミュレーションゲームやりこんでた! 気がする!」

「それはまさか、本物を触ったことがないって意味じゃ――」

「事故上等ッ!」


 チセは左でレバーをがちゃがちゃと引いて操作する。車はけたたましい音を立てながら上下左右に振動した。お互いの声も聞こえなくなるほどの騒音の中で、チセは深呼吸し、前を睨みつけるように見据えた。


「シートベルト締めてたら何とかなる! あとは神様に祈ってて! よおし出発進行!」

「生きて帰れるんだろうな!? 大丈夫なんだよな!?」

「きゅいい!」


 祭がペダルを押しこんだ。車がつんのめるように跳ねたかと思えば、全身が後ろに引っ張られる。背もたれにぶつかりながら、車が急激に前に進んだのだと分かった。


「おおおおおお」

「八重、舌噛むよ!」


 かつて体験したことのない速さで景色が近づいてくる。


 速度は一切落ちることはなく、むしろ加速を続けている。アクセルは常時べた踏みだ。祭はアクセルの踏みこみ加減で速さが変わることを知らなかったし、チセもすっかり言い忘れていたのだ。


 八重は椅子に両腕を巻きつけながら、悲鳴ともつかない声をあげ続けていた。


「っておい、前、前!」


 八重が指さした。敵の潜んでいるであろう森へ突撃した車は、そのまま茂みへ走った。真正面から車を狙おうと敵が二人武器を構えている。

 悠長にも狙いを定めている彼らは、八重側の事情など露知らない。


「あの人たちなんで逃げないの!?」

「止まれ、いったん止まってやれ!」


 この勢いで突っこめばはね飛ばしてしまう。敵とはいえむごすぎる光景だ。


 チセの肩をわしづかみにして揺さぶるが、アクセルの権利を握っているのは祭であり、当の祭には何も伝わっていないので車は止まらない。チセは窓から顔を出すと叫んだ。


「車は急には止まれないんだからね!?」


 チセの目は完全に据わっていた。


 車は減速の気配を見せない――当然だ、祭はブレーキの存在を一切認識していないのだから。


 弾丸のごとく突っこんでくる車にさすがの敵もうろたえ始めた。どうやら止まるつもりがないと気が付いたのか、徐々に顔が青ざめていく。命の危機に立たされているのは彼らの方だ。


 敵は武器を放り出して真横に飛ぶ。次の瞬間には車が高速で走り抜けた。


 土には車輪の跡がくっきりと浮かんだ。

 まさに間一髪である。八重は押し殺した声で言った。


「はねてたら、おまえ、事案だぞ」


 心臓がバクバクと高鳴っていた。八重は毒のせいか動揺のせいか分からない冷や汗を流した。


「た、大抵のことは正当防衛になるって言ったの八重じゃん!」

「限度ってもんがあるだろ!」


 車は森の起伏に合わせてガタガタと跳ねた。腹の中をかき混ぜられる揺れに、八重は顔を背けて嗚咽を漏らした。息を細く吐いて堪える。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る