第18話 その用心棒、永遠


 仰向けに寝転がっている八重は、青い空に立ちこめる黒煙を見上げていた。


 自分の荒く呼吸する音しか聞こえない。全身が砂まみれだ。どうにか首は守ったが、左足は折れた感触がしていた。おまけに全身から焦げたにおいがするのもよくない。


 氷の張った窓が開いて、何人もの巫女たちが顔を出した。中にはチセもまじっている。揺れる瞳に応えるように、八重は座ったままで紙の束を真上に掲げた。


「回収した」


 奥から窓際へやってきた桜は、一目見ると声を張り上げた。


「撤収!」


 ばたばたと足音が響いていたが、しばらく立ち上がる気にもなれなかった。

八重は空を見上げながらぼうっとしていた。槍を忘れてきてしまったのか見あたらない。祭ならば自分で追いかけてくるが、普通の槍はそうもいかないところが難点だ。


 何はともあれ、無事に脱出できただけで良かった。

 八重が一息ついて重い腰をあげたそのとき、背後からそれは飛んできた。


「――敵襲か!?」


 木々の向こうで矢じりがにぶく光る。

 気付くのに一瞬遅れた。


 放棄した建物を見張る敵がいることは充分想像できたことだが、肉体も精神も疲れ切っていたのだ。だから反射で構えようにも槍がないことにも、避ける時間も残っていないことにも気付かなかった。


 八重を狙ったと思われる数本の矢は、しかし八重の身体をかすめることができず、さらに遠くへと向かう。八重はほとんど無意識で腕を伸ばした。

 そこには一足先に外へ出ていた巫女が立っていたのだ。


「い――ッ」


 赤い袴が舞った。


 巫女は悲鳴を噛み殺しながら倒れこんだ。流れ矢は不運にもふくらはぎに突き刺さり、動きを封じてしまう。彼女は土を這いずるように逃げるが、死角までは遠い。

 

 またしても矢が飛んだ。

 標的を八重から手負いへと変えたのか、数本の矢が彼女へ向かった。


 巫女衆のほとんどは室内にいて矢を放てない。異能の発動にも時間差があった。桜も指示をするのに手間取っている。そうこうしているうちに矢は彼女の数センチ横へ刺さる。


 日差しが爛々と降り注いでいた。


 八重は自分の手に槍がないことを知っている。


「くそ――」


 それでも躊躇なく地面を蹴った。


 駆けだし、彼女のもとへ駆けつける。反撃の術はなかった。動けない巫女に覆いかぶさるようにして全身で庇う。「離れて、あなたまで射られる」と悲痛な声がしたが無視する。

 次の矢が飛んだ。鋭い矢じりが日光を反射して鈍くきらめいた。


「――、――ッ!」


 八重は逃げない。


 数本の矢が八重の背に突き刺さる。


 反動で身体が跳ねて、わずかに遅れて裂くような痛みがきた。着物に赤黒いしみが広がっていく。背から腹まで滴った鮮血がボタボタと土を濡らす。


 チセが叫んでいるのが聞こえていた。わずかに視線だけ上げれば、窓から身を乗り出して叫んでいた。後ろから羽交い絞めにしているのは椿だ。じたばたと暴れる彼女を引きずるように奥へやって、敵から身を隠す。


「……は、っ!」


 八重は最後の力を振り絞って上半身を持ち上げた。呼吸は不規則だ。巫女の胸倉を乱暴に掴んで、ほとんど腕の反動だけで突き飛ばした。

 敵の位置は矢の方角から見当がついているから、死角になるように、車の影に彼女の身体を滑りこませる。


 彼女の安全は確保できたが、八重はそれ以上動くことができなかった。背からの出血は止まることなく血だまりをつくっている。

 手足の感覚がなくなって、指の爪から青白くなっていく。起き上がろうとしても指が土を掴むだけだ。


 失血しすぎたのだ。

 平衡感覚がなくなって、頬がべったりと土につく。


 八重はうつ伏せになったまま、ピクリとも動かなくなった。


「八重、や――」

「総員構え――射れ!」


 巫女衆も黙ってはいなかった。そろって矢を放つ。正面玄関に敵を引きつけつつ、裏から何人か抜け出す。刀を携えた彼女らは別動隊として挟み撃ちをするのだ。植物の異能も発動して、建物を絡めとるように木の幹を伸ばし、彼女らは隙間から伺うように弓を引いている。


 両方向からあられのように降り注ぐ弓矢に、敵も味方も釘付けになっていた。


 八重は依然として横たわっているだけだ。

 血だまりは広がり、八重の身体はぐったりとしたままだった。


 もう八重を狙おうとする敵はいない。背には四本もの矢が刺さり、失血量を見ただけでもう助からないことは明らかだった。狙うだけ矢の無駄になる。


 一瞬、矢が止んだ。


 遠くで木の葉がわずかに揺れる。敵の一人が移動しようとしているのだ。視野の狭い巫女衆からは死角になって、中間地点で伏せている八重だけが見ていた。

 

 光の消えない、紫の瞳だけが見ていたのだ。


「――痛い」


 八重は起き上がる――まるで致命傷などなかったかのように。


 折れていたはずの足で地を力強く踏みしめた。口に溜まった血を吐き捨てる。

 巫女が落としていった弓を掴み、散らばった矢を一本掴んでつがえた。血まみれの手で弦を引く。よどみのない手つきだ。キリキリと充分に引き絞り、そして鮮やかに放つ。


 あたりは開けていてよく見えた。敵を狙うには絶好の位置だ。


 細い木の枝をすりぬけるように飛んだ矢は、敵の一人を捉え、射落とした。

 茂みに墜落する音が遠くで聞こえた。少し離れたところから矢が大量に飛んでくる。

 

 八重はよろけて血だまりに片手をついた。自らも車の死角に飛びこめば、またしても矢が飛び交い始める。


 八重は身を隠しながら、身体に刺さっている矢をひっつかんだ。

 五本の指で強く握りこむ。わずかに息をのみ、眉間にしわを寄せた。そして勢いよく引き抜く。赤い血が噴き出した。


 着物の袖をくわえながら喉をのけぞらせる。矢じりにはかえしが付いているから、引き抜けば余計に傷が深くなってしまう。それでも八重は次々に抜いては放り投げた。


 皮膚はずたずたに引き裂かれたはずだ。とっくに死んでいてもおかしくない傷の深さだった。しかし短い瞬きとともに、出血は止まる。


 そして異能は発動される。

 ――八重の意志とは一切無関係に。


 傷が瞬間的に塞がっていった。


 逆再生されるように皮膚が修復されていく。すさまじい速度で回復する。最初から傷など存在していなかったかのように、表皮には跡一つ残さない。


「八重様、傷は!」

「もう治った!」


 桜は太い幹の影に隠れながら様子を伺っていた。八重は片手を上げて合図した。


 実のところ、折れた骨も傷ついた内臓も倒れているうちに治癒していたが、敵の位置を探るのに都合がよかったから瀕死のふりをしていたのだ。ただし矢じりが刺さったところは抜かなければ治らないので手間取ってしまった。


 自身の血でぐったりと重い着物をまといながら、弓を引こうと腰をあげる。

 だが強烈な眩暈で視界がぐるりと歪んだ。


「う――」


 天地がひっくり返っていた。目に入った物の色が絵の具のように混ざり合って、白くなったり黒くなったりする。頭の奥深くに鈍い痛みが走った。

 とても真っ直ぐに立ち上がれない。何かが腹の奥から逆流してくる感覚がして、口を押さえながら背を丸める。


 矢の傷はとっくに完治しているはずだ。


 はっと足元を見た。すぐそばで横たわっている巫女は目の焦点がうつろだ。意識も混濁しているのか、わけのわからないことをぶつぶつ呟いている。八重は見開いて、叫んだ。


「毒矢だ、絶対に射られるなよ!」


 巫女たちはすぐさま身を隠して防御を固めた。


 戦況は硬直状態だ。桜は物陰の隙間を素早く移動し、八重との距離を詰めた。


「まだ戦えますか!」

「……そこで吐いていいならな!」


 意識こそまだはっきりとしているが、顔からは血の気が引いていた。何度も立とうとしているのに足がガクガクと震えて力が入らない。桜は数秒の沈黙の後かぶりを振った。


「……どうか撤退を!」


 戦士にしては気遣いのある言葉ではあったが、八重は勢いよく自分の足元を指さした。


「こんな激戦地からどうやって帰れって言うんだ! そっちに行くだけで五回は死ぬぞ!?」

「死体のふりをしながらじわじわと這い寄っていただくとか……」

「おまえ無茶って言葉の意味知ってるか!?」


 どちらにしろ八重は死なないが、射られた巫女がどれだけもつかは分からない。矢は急所を避けているとはいえ出血も多い。毒が塗られているとあれば急がなければ命に関わる。


 担いで建物の方まで走るしかないが、たどり着く前に八重が倒れてしまうだろうし、そうなれば彼女は間違いなく助からない。だが放置していても毒が回り切ってしまう。


 助けを寄こしたところで解毒ができるわけでもなく、むしろ怪我人が増える可能性の方が高い。八方ふさがりだ。八重は「あー……」とうなりながら頭を抱えた。


 悪寒とともに冷や汗が伝う。手先の震えが止まらない。誰も動けない。

 時間は刻一刻と経過する。


「――ねえ」


 そんな焦燥のなかで声を上げたのはチセだった。


「私を八重のところまで連れて行って」


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