第17話 研究所を隠すなら森の中
八重たちは境界を越えて南に進んだ。先陣を切る八重のすぐ後ろをチセが追い、背後を固めるように桜たちが走る。後方支援のための人員を残し、偵察隊は少数精兵だ。
チセも残していきたかったが、いざというとき八重のそばにいた方が護衛しやすいことや、桜が同行してほしいと願い出たこともあって、彼女も連れていくことになった。
桜は桂木の腹心だから、おおかたチセの出方を伺うために一番町へ侵入させたのだろう――と思う。
いまだ消えない煙の方へ走り続けて、ようやくたどり着いた。
森を切り開いたのかそこだけ木が一本もない。少し開けた場所には建物がぽつんとあった。
「まあ、燃えてるよな……」
もくもくと黒煙をあげている建物は、まだ火の手が回り切っていないものの、正面入口らしき場所は火の海である。
裏に回ってみるとまだ使えそうな入口があった。八重は壁に背をつけながらゆっくりと扉を開ける。燃え焦げたにおいはするが、煙は流れてきていない。
「突入するならここからだとして――これはなんだ?」
八重は槍の先で指し示した。輪の付いた鉄の塊が空き地に鎮座しているのだ。八重の背丈ほどあるそれは扉がいくつかあって、中に入れそうな造りだ。窓までついている。
「大砲か?」
「一番町が作った機械仕掛けでしょうか……? 燃やします?」
「おまえは初手で何でも燃やそうとするのをやめろ」
巫女たちも怪訝そうな顔をしながら、拳で叩いていた。あたりには鉄を叩く音がやたらと響いている。チセは「待って待って、壊れる」と慌てて割りこんできた。
「車だよ、たぶん」
「車?」
「中に乗って動かすの。めちゃくちゃ古そうな形だけど、四人くらいは乗れるかな? 速く移動できるから便利なんだよ」
「……それは俺より速いのか?」
「八重がこの速さで走ってきたら化け物だよ。今日の夢に出てくる」
チセは笑い飛ばした。「勝手に動かないから大丈夫」と言うので、巫女たちはじりじりと後ろ足に離れた。高速で動くと分かったとたん、警戒心むき出しで凝視していた。
「やはり一番町の技術は進んでいるようですね。輸送手段まで生み出しているとは……」
「それよりまずは建物だろ。焼け落ちるも時間の問題だぞ。突入するなら今しかない」
「氷の異能を持つ巫女を連れてきています」
桜に呼ばれて前に出てきた女は、裏口に入りこんだ。瞬間、彼女の足元に薄い氷が張った。長く伸びる通路が激しい音を立てて凍り付いていく。遅れて冷風が吹き抜けて髪がバサバサと舞い上がった。
扉の向こうに見えていた炎ごと冷却されて掻き消え、氷の結晶が舞う。
一秒たたずして床も天井も氷漬けだ。吐き出す息は白くなっていた。
「さっむ! 冬じゃん!」
「溶けないうちに行くぞ。槍の刃のところは触るなよ、皮膚が張り付いて取れなくなるからな」
なんてことはなく注意するが、妙な間があった。背後から引きつった声が聞こえる。
「……なるほどー、だから取れないんだ」
八重が勢いよく振り返ると、半笑いの彼女が左手を指さした。
すでにチセの手のひらは槍と合体していた。
「おまえ秒で触ったのか!? 金属だぞ!?」
「だって祭が凍ってないか心配になったんだもん! そんな怒んないでよ!」
「三秒経たずに槍と一体化してる奴がいなかったら、俺も怒鳴らないで済むんだよ!」
少し目を離した隙にこれだ。まくしたてるように叱りつけていると、桜が「まあまあ」となだめながら指先に火を灯した。近づけてあぶればぺりぺりと剥がれる。
「凍傷になるとそこから壊死しますのでお気を付けください。最悪片腕がなくなりますよ」
「穏やかな笑顔で言われるのが一番怖い……」
足を踏み出すたびにじゃりっと氷を踏む音がした。
凍らせることができたのは建物内のごく一部だ。裏口から遠い場所や、火の勢いが強かったところは氷も溶けてしまった。時間がないことに変わりはなく、八重たちは氷の道を辿るように奥へと突き進む。八重とチセを含む組は三階へとあがった。
ほとんどの扉に鍵がかかっているが、巫女たちが武器を突き出しては扉を破壊していく。そこら中で扉が倒れる音が響いていた。
「仮にも人様の建物に対する躊躇が感じられないな……」
八重は一室に身体を滑りこませた。窓はあるがカーテンがかけられ、外からの光は入ってこない。薄暗い部屋の中で、凍りついた埃がきらきらと光を反射しながら舞い落ちている。
机が六つ、向かい合わせで並んでいた。資料らしきものが積み上げられているが、そのほとんどは燃えかすになったままで凍っていた。八重は握りこぶしでコツコツ叩くが、とても読めた代物ではない。ここに留まったところで時間の無駄だ。
「……チセ、おまえは誰かとそこにいろ!」
「誰かって、誰⁉」
「桜――は下か。椿にでも見てもらってろ!」
隣の部屋から壁を殴る音とともに、「おまえが命令するな!」と文句が飛んできた。ちょうど右隣の部屋にいたようだ。適当に返事をしながら廊下へ走り出ると、隣から椿が顔を出した。
「待て、奥に行くのか?」
「いくら探しても氷像しかないからな。ここは寒すぎる」
「向こうは火の手が回っているし、煙も充満している。軽い火傷ではすまない」
椿は見せつけるように指さした。廊下の中央より奥は、氷が及ばず炎が広がっていた。八重は顎を引いて前を見据えた。
「だから俺が行くんだろ」
「言っておくが私は助けないからな。……死んでも知らないぞ」
「心配するな、俺はすこぶるしぶといからな」
椿は口元を歪めて顔を背けた。だがチセは食い下がる。八重の着物の袖を両手で掴むと、強く引っ張った。
「待って、八重。行っちゃ駄目だよ! 火事に巻きこまれたら死んじゃう」
「ここに何か情報がある可能性は高い。だが燃えてしまえば全部なかったことになる。だったら今行くしかない」
「八重がそこまでしなくても――」
「おまえに関する情報も見つかるかもしれないしな。安心しろ、五番町に落ちてきたからには俺が守ってやる。いいから期待して待ってろ」
八重は袖を振り払って、チセの手を離させる。
廊下の途中からは炎がゆらゆらと揺れていた。着物をきっちりと着こんで肌を隠した。
大きく息を吸って、そして止める。
八重は大きく足を踏み出した。止まることなく駆け抜け、炎の中へと飛びこむ。
打って変わって一面赤色だ。肌の表面からあぶられるような熱量だった。煙が染みて目を開けていられない。息をすれば喉の奥が焼け焦げそうで、呼吸すらままならない。気を抜けば意識を持っていかれてしまう。
時間はかけられなかった。
廊下の奥はすでに崩れ落ちていて進むことができない。同じ扉が並んでいて、上にはプレートが釘で打ち付けられていた。画一的で、今まで見てきた部屋と変わらない。
だが一つだけ、明らかに他の部屋とは違う雰囲気を醸し出す扉があった。
素早く見上げる。プレートには「第三実験室」とあった。
「実験――ここは実験所なのか?」
八重は数歩離れて右足を振り上げた。そのまま勢いよく蹴り飛ばす。扉は激しい音を立てて内側へと倒れてた。ガランガランと揺れるそれを踏みつけて止めた。
煙で前がうっすらとしか見えない。八重は早足で部屋に踏みこんだ。
他の部屋の倍以上の広さ、中央には天井まで届きそうな大きさの機械が置かれていた。スイッチらしきものも大量についているが、光はランダムに点滅し続けている。
適当に押しても反応はなく、それどころかビービーとけたたましい音をあげる始末だ。拳で勢いよく叩くと、わけのわからない煙をあげながら光が消えた。
「くそ、こんなもん俺に分かるか! 説明書くらい置いとけ!」
もう一回理不尽に殴ってみるが、うんともすんとも言わない。八重は盛大な舌打ちとともに見切りをつけ、部屋中を見渡した。壁に沿うように本棚が並んでいる。だがほとんどが炎上していて塵すら残らない勢いである。
その中で唯一、まだ火が広がりきっていない棚があった。八重は本棚から生き残っているものをつかみ取って床に投げていく。何枚もの紙を紐で閉じたものばかりだ。
ぺらぺらとめくるが、何が書かれているのかもさっぱりだった。字は読めても専門用語らしきものがつらつら並んでいるだけでまるで意味不明なのだ。
だが一つだけ、八重の視線を止めた。
「――これは」
何枚もの紙が連なっているそれは、ざっと目を通しただけではやはり分からない。それでも並ぶ単語から自然とチセの姿を連想していた。
八重はそれだけ掴むと立ち上がった。
入口の方へ駆ける――が、壁に亀裂が入るような、嫌な音がする。
慌てて滑りこもうとするが、扉が上からひしゃげるように大きく軋んだ。
「まずい、扉が壊れ――!」
天井に黒い筋が走った。
真上から砂埃が落ちてきたかと思えば、すぐさま瓦礫が降り注いで、石のつぶてと土煙が視界を遮った。八重は後ろに飛んで避けるが、いくつかが頬をかすって流血させる。
前も後ろも見えなくて腕を振った。数秒あって土埃が落ち着き、ようやく状況が確認できる。
「……運が悪いにも程があるだろ……」
崩れたのは入口の真上だ。
扉だったはずの場所は瓦礫で塞がれていて、隙間一つない。瓦礫をどけようにも、少し触っただけで指の腹がじゅっと音を立てた。手のひらを裏返すと赤くなっている。
八重は袖で口元を覆い、何度も咳きこんだ。このままでは部屋と一緒に黒焦げだ。
「全身火だるまはごめん被るな……」
しかし入口は扉一つで、今さっき瓦礫の向こうへと消えてしまった。窓はなく、あとは一面ぐるりと壁だ。
八重はしばらく考えた末にだらんと両腕を下ろした。出られそうな場所はもう残っていないのだ。空気も薄くなってきたし、尋常ではない暑さに汗も止まらない。
浅く呼吸しながら、脇に抱えた資料に目を遣った。
「俺はいいとして、資料が灰になったらここまで来た意味もなくなるしな」
八重は言い聞かせるようにひとり言を言った。入口とは反対側へ向かった。白塗りの壁を軽く叩くようにすると軽快な音がした。
「思いのほか壁が薄いのか……?」
もしかすると、どうにかなるかもしれない。
八重ははっと目を見開いて、真後ろにあったテーブルを一気に持ち上げた。ずっしりとした重量感が両腕にかかってぶるぶると震えた。腕の筋がいかれそうだ。
大きく両足を開いて、腰を落とした。全身をひねって勢いだけでテーブルを振り回す。ぐるっと弧を描くように回転したテーブルは、壁に激突した。
「……ッ」
激しい物音ともにテーブルは大破する。足も引き出しも四方八方へ飛んで行ってしまった。天板部分しか手元に残らず、八重は床に投げ捨てた。
わずかに肺に残っていた空気をも使い果たしてしまって、けほっと咳いた。
無駄な足掻きだ。自嘲するように短く笑って俯く。
だがそのとき、自分の長髪がさわさわと揺れていることに気付いた。顔をあげる。壁には亀裂が入って、わずかな穴が開いている――外の空気が流れこんできているのだ。
八重はすぐさま亀裂を蹴りつけた。一度、二度、三度蹴り飛ばすと、壁は大きく崩れ始める。
瓦礫が外へ吹っ飛んで人が通れるほどの大きさの穴ができた。外の様子が見える。真下は正面入り口で、あたりに人はいない。
炎は八重も焼き尽くそうと迫った。
ゆっくりと後ろに下がって、足を止める。駆けだして一気に加速。
壁の穴の向こうは、明るい。
八重は迷わずに飛んでいた。
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