第16話 野蛮なる巫女衆


「桜、しばらくぶりだな」


 彼女は「ご無沙汰しております」と一礼した。腰まで伸びた艶ややかな黒髪がさらりと揺れる。白い着物に赤い袴をまとった彼女は、弓を下ろして笑みを浮かべた。


「巫女さんだ!」


 チセが声をあげたのと同時に、何人もの女が追いついてきた。それぞれ弓や刀を構えているが、全員が同じ巫女服を身にまとっている。


「こいつらは巫女衆だ。桂木の私兵だよ」


 桂木が今の地位を得たのは、彼女らを率いているということが大きい。戦闘向けの異能を持つ女性たちで構成された巫女衆は、圧倒的な軍事力を有しているのだ。

 彼女らは普段、地区ごとの神社を拠点に境界の警備や影狩りを担っている。


「じゃあ八重みたいな人たちってこと?」

「俺は何でもやるが、こいつらは治安維持のための組織だ。それに俺よりよっぽど従順だな」

「そこは一番大事だね、桂木さん的に」


 彼女はうんうんと頷いた。どうやらあの男の性格が分かってきたらしい。


 八重はちらりと桜を見やる。彼女は一歩進み出ると恭しく礼をした。淡い桃色をした瞳が優しく細められる。


「わたくしは巫女頭の桜と申します。あなたが女王の候補者、チセ様ですね。桂木より話は伺っております。わたくしのことはどうぞ桜とお呼びください」


 八重はずらりと並ぶ巫女たちを見て首を傾げた。


「にしても半分は揃っているな。なんだおまえら、散歩ついでに戦争でも吹っかけに行くのか?」

「わたくしどもを狂戦士か何かと勘違いされていません?」

「似たようなもんだろ」

「風評被害にもほどがあります」


 桜から真面目に訂正されたのでそういうことにしておく。八重のまったく納得のいっていない顔を見た彼女は眉を下げた。


「先日、八重様が捕らえた外の住人がいたでしょう。彼らから情報をすべて引き出せたので、身柄を返還しに行くところだったのです」


 言いながら桜は後ろを指示した。頭から黒い布をかぶせられ、縛られている人影がいくつか見える。敵とはいえ殺してしまっては町同士の争いが激化してしまう。用済みになった捕虜は、金品などと引き換えに返すのが通例だ。


「この方角ということは――一番町か」

「……?」


 チセが話についてこれていないので、八重は地面に図を描いた。この世界は円形に広がっており、中央の円月城から線を引くように五等分されているのだ。


「なるほど、ケーキを切り分ける感じだね」と彼女なりの理解をしたらしかった。


「俺たち五番町は、一番町と四番町に面している。で、今いる場所には一番町との境界があるわけだ。それで、捕虜から引き出せた情報と言うのは?」

「とても信じがたいことなのですが――」


 桜は慎重に言葉を選びながら言った。


「一番町は独自の技術をもってして、異能を疑似的に再現する実験を行っているというのです」

「……そんな話は今までに聞いたことがないぞ」

「一番町はどの町よりも技術が進歩しています。あり得ないことではない、と桂木は判断しました。それから、これは大変申し上げにくいことなのですが」


 彼女はちらりと視線をさ迷わせた。八重のすぐそばにいるチセに焦点を合わせると、遠慮がちに唇を閉じてしまう。どうやら彼女に関係したことらしい。


 チセは気まずい空気を感じ取ったのか、にこりと笑ってみせた。


「いいよ、私に気なんて遣わないで」

「どうせいつかは桂木から聞かされる話だ、誰が言っても同じことだしな」


 八重も軽く付け加える。桜はしばらく悩んでいたが、意を決したように声を発した。


「チセ様は一番町にとって重要な実験成果のようなのです。つまり、その――チセ様は何らかの実験に巻きこまれている可能性があります」


 チセは「……え? それだけ?」とけろっとした顔で返した。彼女はほっとしているようだが、八重はゆるく腕を組んで考えこむ。


 桜が言い渋ったことから想像するに、実験に巻きこまれているというのは、すなわちチセが人体実験などの被検体にされたということだろう。


 人道的な手段でないことは言うまでもない。問題は何をされたかだ。


 彼女を頭から足の爪先までじろりと眺めるが、特におかしなところはない。健康体であることは昼までの食べっぷりで一目瞭然だ。


「とにかく、今考えていても仕方のないことだな。捕虜からそれ以上の情報が出なかったのなら、別の奴を捕まえるしかない。桂木はなんて?」

「巫女衆の密偵を侵入させました。情報が入り次第、動くようです」


 八重たちが話している間にも、背後では巫女たちが忙しなく行き帰していた。今にも武器を抜きそうなほどの緊張感が走っている。八重は「そういや」と思いだしたように言った。


「おまえら、さっきの矢はなんだ?」


 彼女らは捕虜の取引に来たはずだ。緊迫した状況であるとはいえ、矢の応酬をしている場合ではない。下手をすればまた争いになってしまう。


 八重が眉をひそめると、桜もまた困ったように口元を覆う。


「わたくしたちは身柄返還で注意を引きつけつつ、その隙に忍びこませた密偵を呼び戻す計画だったのです。ですが向こうに勘づかれたようでして、そのまま乱戦状態になってしまいました」

「なんだろうな……この庇おうにも庇いきれない感じは……」

「想定済みの事態ですのでご安心ください。戦闘が始まってしまったので、先ほどプランBに移行いたしました」

「プランBって?」

「開き直って一番町を侵略します」

「蛮族の作戦だな!?」


 八重は思わず「庇えるかそんなもん! しっかり悪辣だよおまえらは!」と叫んでしまった。開き直るにも限度というものがある。チセは「侵略? 今、侵略って言った?」と桜の顔を二度見していた。


「いいかチセ、巫女衆はこういう連中だ! 分かったら油断するなよ!」


 指を突き付けながら忠告するとチセは神妙な顔で頷いた。


「桂木は八重様に合流していただくよう連絡したのですが、電話がつながらなかったようで。ですが森にいらっしゃっていたのは幸運でした。わたくしどもに加勢していただけますか?」

「幸運じゃないんだよこっちは。このまま見逃してくれないか、頼むから」

「八重、これ犯罪の片棒担がされてないよね? 大丈夫だよね?」

「少なくとも大丈夫ではないな」


 呆れた顔でため息を吐いた。襟元を正しながらぶつぶつ文句を言っている八重は、不意に手を止めた。


 遠くでかすかに弓の弦を引く音が聞こえた。


 桜もぴくっと顔を動かす。だが八重は桜よりも早く駆けだしていた。矢の到達点は少し離れたところで話し合っている巫女たちだ。だが彼女らははいまだ気が付いていない。


 八重は滑りこむように前に出て、巫女の一人を腕に抱えた。上から頭を抑えつけて伏せさせると、「ぐっ」と潰れた声が聞こえる。右腕だけで槍を振るって矢を弾けば、矢は半分に折れた。


「怪我はないな?」


 八重は視線を前にやったままで訊いた。

 安否を尋ねたはずだったが、返ってきたのは怒りまじりの声だった。


「は、離せ……!」


 頭を抑えつけていた腕を無理やり剥がされる。八重を突き飛ばすようにして距離を取った巫女は、顔を真っ赤にしていた。


「椿か」


 名前を呼ぶと鋭く睨みつけられた。


 凛とした顔つきの美人だが、短くまとめられた髪がぐしゃぐしゃだ。緊急時とはいえ乱したのは八重だったので、整えてやろうと腕を伸ばすがその手も弾かれた。


「私に触るな! 親か! おまえのそういうところが嫌いなんだ!」

「嫌なら自分で避ければよかっただろ」

「ぐ――」


 椿は悔しそうに言葉を飲みこんだ。何か言いたげな顔だが、桜の指示が飛んだので


「覚えていろ、借りは必ず返す!」という捨て台詞とともに行ってしまった。髪は自分で押さえつけてなおしている。


「毎度、言動の割には律儀なんだよな……」

「なんか可愛いね、あの人。小動物みたいで」


 一本の矢をきっかけに、争いは再開された。


 巫女衆もただ防戦しているわけではない。彼女らは一列になるように展開した。弓を持った女たちがずらりと並び一斉に構える。そして瞬きもせずに、空へ向けて弓を引き絞る。


「射れ!」


 桜の合図とともに矢が放たれた。敵がいるであろう方角へ真っ直ぐに飛んでいく。

 桜は真っ直ぐに腕を伸ばした。


「――」


 指先に火がともった。彼女の白い肌を這うように燃え広がっていく。炎に包まれた手のひらを大きく振るうと、宙を飛んでいた矢まで激しく燃え始めた。


「あれが桜の異能の一つ、発火だ。事前に触れたものを燃やし、任意で消火もできる」

「一つ?」

「もう一つは――矢の動きを見てみろ」


 八重は宙を指さした。

 燃え上がる矢は不自然なまでに宙を停滞していた。ゆっくり、ゆっくりと進み、火が十分に燃え移った瞬間、急激に速度を増した。空に赤い筋を残しながら一直線に突っこんでいく。


「物体操作だ。視界にあるものをある程度操れる。自由度が高く、欠乏症になることも少ない。戦うには理想的だな」

「とはいえ、使いづらい点も多くありますが」


 桜は付け加えるように言った。発火できるのは約十分以内に触れたことのあるものだけで、材質によっては燃やしにくいといった制約もある。補助の物体操作も、軽い物を加速や減速させるなど、簡単な動きを加えるだけのものだ。


 だが巫女衆の集団戦法をもってすれば、弱点のいくつかは補強される。


 あたりには木々が焦げるにおいがただよい、乾いた熱風が顔に吹きつけた。チセは汗ばむ額をぬぐいながら「うわあ」と呟いた。


「森が燃えてる……環境保全団体が見たら怒りのあまり卒倒するよ……」

「阿鼻叫喚も聞こえてくるな」

「やめてよ、気付かないふりしてたんだから! 絶対あっち側、地獄絵図じゃん⁉」


 チセは耳を塞いだままで抗議した。八重は槍を肩にかついで森を見る。


「さすがに狙いは外してあるよ。あれは一番町を前線から撤退させるためだ」

「……撤退させてどうするの?」

「境界の向こう側へ侵入するんだろ」


 はるか前方には石を積み上げて作られた塀があった。あの塀こそが町と町の境界であり、無断で越えることのできない線だ。しかし今となってはもぬけの殻である。


 巫女たちは次々によじ登り向こう側へ飛び降りた。手際のよさは八重も認めるところだが、侵略に手馴れているのも考え物であった。


 チセはしばらく森を眺めていたが、ふと思い立ったように八重のそばをはなれた。「おい」と言いながら彼女の後ろをついていく。


「ねえ、桜」


 桜はたおやかに振り返る。


「火矢を向こうに飛ばしたのって、今の一回だけ?」

「ええ、前線の北寄りに」

「じゃあさ――おかしくない? なんであっちまで燃えてるの?」


 チセは背伸びしながら森の向こうを指さした。指の示す先を視線で辿る。


 前線のさらに奥――火矢が命中した場所から距離があるが、わずかに煙が上がっていた。黒煙が細くなびき、空へ向かってゆらゆらと伸びている。燃え移ったにしては不自然な位置だ。


「ということは、そうですね――」

「自ら火を放ったというわけか」


 八重と桜はほぼ同時に同じ結論に達した。おもむろに顔を見合わせると、桜は微笑んでいた。


「どうやら、やましいことがあるようですね。敵の弱みほど暴きたくなるものです」


 次の言葉は聞くまでもなかったので、八重は力なく首を振った。

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