第14話 影を狩る(1)


「今日の仕事はやや荒っぽい」


 ようやく森――五番町のはずれであり、他の町との境界でもある――までたどり着いた八重は、背負っていた槍を手にした。くるりと回して手に馴染むのを確かめると、チセの前に出た。


 高い木々に覆われている森は、真昼でも薄暗くて不気味だ。


 森の始まりに張られていた縄を乗り越えると、振り返って視線を送る。チセも足を大きく上げて縄の先へと足を踏み入れた。


「住人は森に近づかない。境界争いがあって危険というのも理由の一つだが、何より影と呼ばれるものが現れて住人を襲うことがある。今回の仕事はその影を退治することだ」


 住人が立ち入らないこともあって、森に道らしき道はない。生い茂る木や蔦はどこまでも続いているかのようだ。八重は槍で断ち切りながら無理やり進んでいった。


「影は数を増すと町の方までやってくる。そうなる前に間引きにきたわけだ。今は境界争いも落ち着いてタイミングも良かったしな」

「じゃあ私は何してたらいいの?」

「黙って大人しくしてろ」

「えー」


 祭に声をかけて槍の姿にさせる。チセに握らせておけば、あとはすべて祭が守ってくれる手はずだ。八重はやや距離を取りながら、普段は使うことのない実物の槍を構えた。祭を使えないとなると、自分用を持ち運ばなければならないので面倒だ。


 チセはきょろきょろと見回していたが、いきなり真正面を指さした。


「八重、今あっちで何か動いたよ!」


 言われて、覗きこむように前を見る。


 木陰にまぎれるようにしていた影が伸びて、ずるりと起き上がった。亡霊のように揺れるそれは輪郭さえ不確かである。おどろおどろしい雰囲気にチセは悲鳴をあげた。

 影は八重の方へすーっと向かってくるが、八重はその場から一歩も動くことなく、槍の穂先を振り下ろした。


 影は真っ二つになると、どろどろと崩れ落ちていく。

 ふたたび木の影に戻ってしまい、あとはもとの静けさが訪れた。


「おおー。あっけない」

「影自体は大して強くはない。だが数が多いと厄介だし、町に現れるとなると話は別だ。この調子でどんどん行くぞ」

「隊長、私は何をすればいいですか!」

「大人しくついてこいって言ってるだろうが! さっきから!」


 またしても影が現れる。向かってきたものから順に叩き斬っていくが、どうしても手が足りない。いつのまにか横や背後から詰め寄るように立っていて、気付いたときには囲まれていた。


 素早く視線を巡らせて数える。数は五十ほど。チセは八重の袖をちょんちょんと引いた。


「ねえ、見て。いっぱいいるよ。満員御礼スタンディングオベーションって感じだよ」


 さすがに気味が悪かったのか笑みが引きつっていた。そう言っている隙にもますます増えている。動けずにいるうちに寄ってくるので、八重はしばらくの沈黙の後、ぼそぼそと言った。


「……あー、後ろはおまえらがやれ」

「だってさ、祭」


 チセの腕が震えて、肘が動いた。八重の横腹に叩きこまれる。


「ぐふっ」

「違う、今の私じゃない! 祭がやった!」

「おまえは俺のほとんどすべてが気に入らないんだな……⁉ 上等だよ。いいか、帰ったらおまえを三枚におろしてやるからな」


 指差しながら言うとまたしても拳が飛んできた。寸前のところでかわし、土を蹴って駆けだす。そのまま槍を回転させて、数体まとめて叩き斬った。振り向きざまにチセたちに目をやる。


 彼女は「うひゃっ⁉」と素っ頓狂な声を発しているが、動きにはさらなる磨きがかかっている。高速で槍を突き出し、影の中心を深々と貫く。引き抜くと同時に隣の影も斬りつける。


「この感覚もだいぶ慣れてきたなあ……」

「深追いはするなよ、数が多いようならこっちに下がってこい」

「はあ――いいいいい⁉」


 返事をしかけたチセは、引っ張られるように突っこんでいった。向こうで手早く数体片付けているが、洗練されているのは動きだけである。相変わらず間抜けな絵面であった。


 八重も前を向きなおって粛々と槍を振るった。木の枝ごと影を切り裂いて、前方の道を開く。チセを呼び寄せてまた膠着。しばらくすると前へ進む。それを淡々と繰り返す。


「……妙だな。誘導されているのか?」


 八重は手を止めることなく呟いた。影がそう強くないことは知っているが、それにしてもあっさりとしすぎているのだ。一方で後ろは影が壁のように並んで、じわじわと追い立てるように迫ってくる。必然的に前へ進むことの方が簡単になる。


 まるで森の奥へと誘われているかのようだ。影には意志や人格などないと言われているが、作為的なものさえ感じた。


 嫌な予感は大抵的中する。

 八重には積み重ねてきた膨大な経験があって、それは直感のように忠告してくるのだ。


「チセ、祭、そろそろ追いついてこい!」


 チセはくるりと振り返った。近くにいた数体を薙ぎ払って隙をつくり、八重の方へ駆けてくる。袴の裾がめくれあがって、結った黒髪がなびいた。金色の瞳は薄暗い森でもよく映えた。


 草木を踏み分けるような音がしていた。

 彼女はまっすぐに八重のもとへと向かっていたはずだ。


 けれど足を大きく踏み出したままで、唐突に動きを止める。


「――え」


 チセの黄金色の瞳が光を発した。

 燃えるように輝いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る