第11話 用心棒と夜の女王
まっすぐに桂木邸――桂木が町のはずれに構える豪勢な邸宅――に向かった八重は、担いだままのチセを布団に寝かせた。
彼女が目を覚ますまでにはあらかた報告を済ませ、桂木を数度沈黙させる。
ちなみにテレポーターを逃がした件では散々嫌味を言われたが、あれだけの数の敵を野放しにしていたことで対抗したので、お互い深手を負い、それ以上のマウントの取り合いはしないことで決着がついた。
チセが両目を開いてからは桂木の出番だ。
「……私、生きてる?」
彼は「ピンピンしてるみたいだよ。健康で何より」と人のよさそうな笑みを浮かべた。
「どうもチセさん、はじめまして。僕は桂木。この町の住人で八重の雇い主だよ。ねえ、八重?」
「……ああ、こいつは敵じゃない。おまえを町まで連れ帰ったところだ」
「はあ」
チセは上半身を起こした。そしてわけもわからないままに頷いた。目覚めたら知らない場所にいて、おまけに知らない優男がにこにことしているのだから、どう反応するべきか分からなかったのだろう。
きょろきょろと見回して、八重と祭がいたから納得することに決めたらしい。
桂木は人から信用されないことに慣れている。特に気にすることもなく続けた。
「君は欠乏症でぶっ倒れたみたいだから、軽く処置させてもらったよ」
「欠乏症って?」
「異能の使いすぎで起こる諸々の症状のことかな。大抵休めば治る。ただこっちも君に急ぎの用があってね、悪いけど荒療治させてもらった。他人の血からでも力を吸収できるから、君が寝ている間に八重の血をごくん……とね」
桂木はけらけらと笑いながら、水を飲ませる真似をする。
意味をはかりかねていたチセも、やがて自分が八重の血を飲まされたのだと気が付いて、顔を青くした。勢いよく口元を覆う。
「な、なんか変な味がすると思ったら!」
「君が別の世界からやってきたことはお互い承知しているはずだ。それで、こちら側には異能と呼ばれる能力があってね。おそらく、チセさんもこちら側にきたとき何かしら与えられたはずだ。僕たちはその中身を知りたい。きっと君が狙われる理由だと思うから」
「いいけど、でも私、そんなのよく分からないよ?」
「大丈夫だよ、僕が分かるから。ちょっと失礼」
桂木は座ったままにじりよってチセの手のひらを握った。指先だけをちょんと掴むようにして目を閉じる。
「えっ、何? 紳士的なセクハラ?」
「こいつの異能は、触れてる相手の異能をイメージとして見れるんだよ。感応系、洗脳系の下位互換だな。応用が利かないし、使いどころもかなり少ない」
「言い方って大事なんだよ、八重」
辛辣な批評に、チセはたしなめるように眉を下げる。だが何も間違っていないので桂木からは否定の言葉が一切なかった。
彼が異能を使えば、三秒で必要な情報はすべて手に入るはずだ。なのに十秒経っても彼はチセの手を握ったまま俯いている。八重はじれったいとでも言いたげに身を乗り出した。
「おい、桂木。まだか」
「…………」
彼はもう異能を使い終わっている。すでに目を開いていて、畳の一点を見つめたままだ。前髪が焦げ茶の瞳にかげを落としていた。しばらく言いよどむように口を閉ざしていたが、浅く息を吸い、彼はつとめて淡々とした口調で言った。
「女王の権能、絶対命令権」
彼はそれ以上を言わなかった。
ほとんど分かっていた答えだが、いざ突き付けられると話は別だ。そばで聞いていた八重も祭も何を言えばいいのか分からない。
重々しい空気にチセも何かしら察したのか、「……何それ?」と恐る恐る訊いてくる。いつまでも黙りこんでいるわけにもいかず、八重が口を開いた。
「夜の女王は、この世界を統治する唯一絶対の存在だ」
チセがこくんと頷いた。八重はどう続けていいのかわからず視線を投げる。桂木はゆっくりと息を吐きだすと、にこりと笑った。
「女王とその候補者にだけ与えられる異能が絶対命令権だよ。住人、つまりこちらの世界に住んでいる者に対して、どんな場合であれ強制的に従わせることができる。発動条件は簡単。言葉にすればいいだけ」
「…………それって最強じゃない?」
「最強だよ」
桂木はあっさりと認めた。絶対命令権を発動すれば、この世界の何もかもが思いどおりにできてしまうのだ。それが善意だろうが悪意だろうが関係はない。
チセは世界を支配する権利を得たのと同じである。
「ど、どうしよう。そんなこと急に言われても。私、ただでさえ記憶喪失とかいうバッドステータス負ってるんだよ。これ以上は情報過多だよ」
「しかも最高にタイミングがいい! 今この世界は、女王陛下の空位が百年も続いている。こんなことは歴史上一度もなくてね。つまり君は、僕たちが長年待ち続けてついに現れた、唯一の女王候補というわけだ。そりゃあ狙われもするよ!」
「もっと困るんだけど⁉ やめてよ桂木さん、そんな期待の目で見ないで!」
「そういえば君も金色の瞳だねえ。歴代の陛下は全員がそうなんだよ。偶然か何かしらの法則があるのかは定かじゃないけれど」
「……ん、金色?」
チセは自分の目の前に手をかざした。祭が近くにあった手鏡をくわえて、彼女の膝に飛び乗る。彼女はゆっくりと鏡の中の自分を覗きこみ、そして鏡面をぺたぺたと触った。偽物ではないことを入念に確かめるとバッと顔を上げた。
「目が金色⁉」
「なんだ、自前じゃなかったのか」
「そんなわけないじゃん! 私日本人だよ⁉」
「日本人?」
彼女のもといた世界は日本というらしい。身振り手振りまじえて説明されたが、半分以上何を言っているのか分からなかったので適当に聞き流す。八重は「こっちの世界で細かいことを気にしたら負けだぞ」と締めくくった。
「門をくぐると見た目が変わる奴は珍しくない。よかったな、腕が一本増えたとかじゃなくて」
「さっきから世界観が雑すぎない?」
「いやあ、君が五番町に落ちてきてくれたのは幸運だったね。未来の女王陛下がうちにいるなんて光栄だ。君の安全は町内会を代表して僕が保証しよう。さっそく僕の神社で保護を――」
「待て、桂木」
上機嫌に喋る彼を遮るように、八重は口を挟んだ。
次の言葉を口にするまでわずかに目を伏せる。だがすぐに決意を固める。
「こいつは俺が預かる。最初に見つけたのは俺だ。これからも狙われ続けるなら、五番町の用心棒として護衛する責任があるだろ」
その言葉に室内はしんと静まった。
八重は唇を結んだままで見据えていたし、桂木は値踏みするようにじろりと見返した。祭はチセの膝の上から動くことなく二人を見ている。視線だけでそれぞれが思惑を戦わせていた。
緊張感さえある妙な空気に、チセだけが「何、何これ」と呟いた。しばらくすると桂木が大きくため息をつき、肩をすくめた。
「いいよ、分かった。八重に任せるよ。でも困ったことがあったらいつでも僕に言って。女王候補が交通事故にでもあったら大変だ」
「心配いらねえよ」
「まあ、いいけど。それじゃあチセさん、この町にやって来たばかりの君に一つだけ忠告」
桂木は目を細める。
「僕たちの多くは異能を持っていて、中でも君のは別格だ。けれど異能を才能だとは思わない方がいいよ。誰しもが異能を上手く扱えるわけじゃないし、結果的に不幸になる住人も多いから。……ま、僕が言うのもなんだけどね」
「本当にお前が言うのもなんだな」
「あっはっは、僕は異能を便利に使っている好例だからねえ!」
他人事のように笑っている彼は平常運転だった。
桂木は使いづらいはずの異能を利用して、五番町の支配者にまでのし上がってきた傑物なのだ。その彼が何を言っても説得力がないので、八重は長く息を吐いた。この男を相手にしているとひどく疲れる。
とにもかくにもこれからの方針は定まった。チセは布団に座ったまま「しばらくご厄介になります」と深々と頭を下げた。桂木は両手を大きく広げて笑う。
「ようこそ、僕の五番町へ! 歓迎するよ」
チセは数度瞬きをして、それからにこりと笑う。
今日、五番町に新たな住人が増えた。
そうして八重とチセと祭の、奇妙な共同生活が始まったのであった。
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