第6話 誘拐ラウンド2(1)


 大通りに面した議会所を飛び出す。


 状況は相変わらず把握しきれていない。順当に考えて、チセを攫ったのは先ほど襲ってきた三人組の仲間だろう。だが尋問は終わっていないから素性が割れていないし、チセを狙う目的も皆目見当がつかなかった。


 あの少女は迷い子だ。


 別世界からやってきた直後で、この世界でまだ何も成していない。どんな人物か、どんな力を持っているのすら分かったものではない。だというのにつけ狙う理由があるだろうか。少なくとも八重には思いつかなかったし、町内会も同じだろう。


「単純に迷い子が欲しかったのか……?」


 別世界の住人に何かしらの利用価値があるのか。例えばこちら側にはない知識を得たいだとか、何の思想も持っていない新しい住人が欲しいだとか――。


「いや、それでもおかしい。門が開くタイミングは、誰にも予想がつかないだろ」


 いつどこで門が開くかは完全にランダムだ。事前に構えられるようなものではない。八重はたまたま近くにいたから、空から落ちてくるチセを救えたのだ。


 ぶつぶつと呟きながら走るが、今考えるべきことではないとかぶりを振った。八重のやや前を走る祭は、迷うことなく駆けている。八重はそれとなく視線を横にやった。


「……あいつの場所は分かるか?」

「キュウ、きゅ」

「でかした。匂いを辿れるならこっちのもんだ。おまえは先行しろ、俺は後から追いつく」


 祭はスピードを上げて、八重を置き去りにするほどの速さで走り出した。民家の壁を駆け上がって屋根の上を行く。八重はしばらく並走していたが、唐突に足を止めた。


「――!」


 くるりと身体を反転。

 人波からぬっと伸ばされた腕を掴む。


「おい、物騒なもん持ってるじゃないか」


 八重に向かって突き出された右手には小刀が握られていた。切っ先は鋭い。

 身体すれすれで止まった刃は、力任せに押し切ろうとカタカタ震えている。八重は顔を上げた。かんざしで髪を結い上げている女は、何の変哲もない着物をまとっている。


「おまえもうちの人間じゃないな?」


 唇の端を吊り上げる。


「…………」

「なんだよ、言葉が分からないんじゃねえだろ。一言くらい誤魔化してみたらどうだ」


 言いながら、左足で引っかける。足元をすくわれた女の身体は宙を舞った。勢いに乗せて腕をひねって、そのまま地面に押し倒す。うつ伏せになった身体に体重をかける。力を失った手から小刀が落ちて、カランと音を立てた。


 行きかう人々は足を止めて「八重⁉」と声を上げた。ざわめきは伝播してやがて人ごみになり始める。「離れてろ!」と声を張り上げると、人の輪は徐々に八重から距離を取った。


「白昼堂々、この俺を狙うとはいい度胸をしているな。しかもうちの住人に化けてまで。俺が五番町の住人に手を出せないことは知っていたのかもしれないが、あいにく、俺もおまえらが紛れこんでいることくらい想定済みだよ」


 先ほどとは違い、顔を隠していなかったのが運の尽きだ。顔を見た瞬間に敵であると判別できてしまう。八重は落ちた小刀を蹴り飛ばした。地面を滑る刃が日光を反射してきらめいた。


「おまえに構っている時間はないが、せめてどこの町の住人かくらい、吐いてもらえれば助かるんだけどな」


 ひねり上げたままの腕をぐいと傾ける。肩の関節に相当効いているはずだ。だが女は声を出さなかったし顔色一つ変えない。八重が不思議そうに覗きこむと、その瞬間、掴んでいたはずの腕が霧のように掻き消えた。


「は⁉」


 腕だけではない。身体も髪も服も、すべて最初からなかったかのように空気に溶ける。八重は掴もうとするが指の間をすり抜けた。忽然と姿を消した女は、しかしすぐそばに現れる。


「動くな、動くとこの子どもの命はないぞ!」


 まったく同じ顔をした女は、小刀を拾い上げたかと思えば、近くにいた少年の首を掴んだ。すぐさま喉に刃を押し当てる。少年は引きつったような悲鳴をあげた。


「幻――いや、分身系の異能か」


 遅れて人混みからも悲鳴が続く。


 異能とは生まれつき与えられた固有の能力だ。数や中身、発動条件もばらつきがあり、初見では予想することすら難しい。

 だからこそ八重は状況から推測するしかない。さっきまで声一つあげなかったのは、分身にそこまでの行動はさせられないからだろう。


「ということは、おまえが本体だな?」

「両手を上げろ! 早くしないと人質を殺す!」


 八重は短く舌打ちをした。当然の要求だ。


 ここは往来のど真ん中で、人も多い。人質に取られた少年は完全に固まっており、涙目で八重を見ていた。わずかに考える。チセのもとに急がなければならないが、しかし抵抗すれば人質が傷つけられてしまう。人質が自力で逃げられるならすべて解決するが――。


「八重、助けて……」


 少年は消え入りそうな声で訴えた。天秤にかけるまでもなく次の行動が決まる。


「頼むよ、手荒なことはしないでくれ」


 八重はゆっくりと両手を上げた。彼は守るべき住人の一人だ。


「ほら、言う通りにしたぞ」

「手を上げたままこっちに来い。他も動くな、余計なことをしたら人質はすぐに殺す!」


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