第3話 少女は落ちるし、用心棒は跳ぶ(3)
八重はわざとらしく視線を投げた。いつの間にか壁に寄りかかっていた彼は気配一つ感じさせない。
拉致犯はバッと振り返り、少女を捕まえたままでわずかに迷いを見せる。強引に連れ去るか、それとも諦めて逃げるか。八重は壁から背中を離した。
「考える余裕があるとは感心だなあ」
重心を前へ。ふらりと倒れこむように一歩足を踏み出し、二人の間に身体を滑りこませていた。足を振り上げる。着物の裾から見えた右足は、羽織を蹴り上げながらすらりと伸びる。
「……ッ!」
八重の銀髪が大きくなびいた。
背中めがけて振り下ろされた足とともに拉致犯の身体は沈む。ドサッと音を立てながら地面に倒れこんだ。ぴくぴくと震えていた腕も地に落ちる。
一部始終を見ていた少女は「ひえっ」と後さずった。八重は気にすることなく隣にしゃがみこんで、顔を覆う白布をめくり上げた。髭を生やした男だ。
「知らない顔だ。五番町の奴じゃなさそうだな」
「し……死んでない?」
「息はしてるよ。あれくらいで死ぬか」
乱れた着物を直していると、足音が近づいてきた。悲鳴を上げながらこちらへ向かってくるのは、やはり白い布で顔を隠した人間――足元で伸びている男の仲間だろう。後ろから狩りのように追い立てているのは祭だ。獣の形相で八重の方へと誘導している。
八重に気が付いたのか、足を止めてきょろきょろしているが、挟み撃ちなのでどちらにしろ逃げ場はない。八重はニヤニヤと笑う。
「遠くからごくろうさん」
腰を落としながらぐっと拳を握った。腹に一発叩きこんでやれば、あっさり気絶する。
祭が駆けてきて少女の胸に飛びこんだ。八重を見向きもしないあたりは徹底していた。
「祭、もう一人は?」
「きゅ」
「逃げたか」
耳を澄ませるが、近くにいる気配はしない。てっきり二人を奪還しに来るかと思っていたが、撤退を決めたらしい。向かってきたなら返り討ちにする予定だったので、ある意味正しい判断ではある。伸びた男の腕を、足先で軽くつついた。
「ま、こいつら縛り上げてじっくり尋問するか。そのうち吐くだろ。うちの住人じゃないなら俺の契りにも抵触しないしな。町内会の奴らに引き渡して、俺たちはさっさと帰るぞ」
八重はぐーっと伸びをして脱力する。それから少女の方を見遣って、手を差し伸べた。
「立てるか?」
「…………」
少女は呆然としたままで座りこんでいた。足の力が抜けてしまったのか、それとも緊張が解けたのか、怖かったのか。伸ばされた手は見えているはずだが反応しない。
もしや警戒の相手は自分か、と八重は思う。いささか暴力的なシーンではあっただろう。
八重はもう少しだけ手を伸ばして、彼女の手を掴んだ。
「俺はおまえに酷いことはしない。さっきので分かっただろ、俺は味方だ」
彼女はしばらく黙っていた。けれど小さく頷いて、八重の手を握り返した。案外力強くそうするので八重は少し笑う。
「おまえ、名前は」
「チセ」
「俺は八重だ。こっちのは祭」
少女はふらつきながらも自分の足で立った。ふっと息を吐きだす。金色に染まった瞳が八重をまっすぐに見た。
「今さらだけど、なんで私のこと助けてくれたの?」
「俺は五番町の用心棒だからな」
決まりきった台詞だ。八重は何でもないことのように返す。
「おまえの素性は一つも知らないが、この町に落ちてきた以上、俺はおまえを助ける。おまえが善人でも悪人でも、どこの誰にどんな理由で狙われていようとだ」
「……そっか、ありがとう。信じる」
「それでおまえ、本当に心当たりはないんだよな?」
「心当たりっていうか、まず記憶がないんだよね」
チセは眉をひそめる。八重は若干ひっかかりつつ、表現の問題だろうと訊き返す。
「狙われる覚えがないと言う意味か?」
「じゃなくて」
「……ん?」
「だから記憶が全然ない。さっぱりない。八重に会う前のことは何も覚えてない」
八重はゆっくりと首を傾げた。
チセは「これ記憶喪失ってやつ?」と真顔で言う。
別世界からやってくることはままあったが、やって来た直後に拉致されるなどあり得ないし、さらには記憶喪失など聞いたこともない。どうやら厄介なことになってきたぞ、ということだけは分かったので、八重は口角をピクリと動かした。
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