第2話 少女は落ちるし、用心棒は跳ぶ(2)


 祭は八重の身体を器用によじのぼって、肩に乗った。同時に顔を近づけて覗きこむ。ぴくっと瞼を痙攣させた少女は、ゆっくりと目を開いた。


「気づいたか?」


 少女はぱちぱちと瞬きをした。八重と祭を交互に見る。それからゆっくりと目を閉じた。


「おい、今一回目開けただろ。目も視線も合っただろ」


 白い目で指摘すると、少女は目を閉じたままで言った。


「寝てます」

「だったら喋るなよ。せめて態度を一貫させろよ」


 少女はうっすらと片目を開けた。きらきらと光る金の瞳で、八重の顔をじろりと見てくる。「安心しろ、こっちも仕事だ」と付け加えると、少女はようやく両目を開けた。


「だって、いきなり知らない人に抱っこされてたら、気付かなかったフリしたくない?」

「とりあえず現実を直視した方がいいと思うぞ」

「あっヤバイなこれ、って思った瞬間に現実逃避しちゃったよね」

「心の防衛反応は正常でなによりだが、俺が本当の不審者だったら命か貞操の危機だな」

「…………いったん抵抗しておいた方がいい?」

「俺に訊いてる時点でどうなんだ?」


 少女は足をぶらぶらとさせながら、「そろそろ降ろしてほしいな。重いでしょ」と申告してくる。遠慮がちな口調の割に、どっかりと全体重をかけてくつろいでいることはスルーしつつ、八重はむしろ抱えなおした。


「おわっ、揺らさないで! 落ちたらどうすんの、私の腰骨やられちゃうよ」

「落とすか」

「ほんとかなあ。まあ今足が痺れてるから、どうせ自分じゃ歩けないんだけど」

「それは災難だな。ところで」


 八重はふと思い出したように言う。


「お前に訊いても無駄だと思うが、一応訊いてもいいか?」

「うん?」


 少女はこてんと首を傾げる。八重は静かに視線を外して前を見据えた。


「お前はなぜ追われているんだ?」


 今日も天気はいいが、状況はあまりよくない。


 路地の奥からこちらを伺っている人影が三つ。白い布で顔を覆っているから、この町の住人かどうかも分からない――けれど善人でないことは確かだった。武器のようなものまで見える。見るからに物騒な不審者であった。


 八重は「あれだよ、あれ」と観光名所でも教える気軽さで指さした。少女は不思議そうに瞬きをし、それから笑い飛ばす。


「やだなあ、私なわけないじゃん。身代金とか払えないし、恨まれるようなこともしてないし」

「いや、完全にお前の方をガン見してるぞ」

「えっ、マジで?」


 少女は恐る恐る手を振った。「どうもぉ」とわざとらしい声をかけてみるが、やはり熱い視線を浴びていることに変わりはなかった。どうやら殺害か拉致される一歩手前の状況らしい。少女はゆっくりと真顔になると八重にしがみついた。


「無理無理無理、助けて!」

「大人しくしてろ。いてっ、服越しに皮膚を掴むな!」


 いつの間にか祭が肩まで登ってきていた。右肩にずっしり感じる重量に、「やっぱりおまえは痩せろ」と悪態をつく。だがのんびり談笑していられる場合でもなかった。


「……走るぞ!」


 少女を抱えたまま踵を返した。二人と一匹が一目散に駆けだしたのを見て、様子を伺っていた人影も走り出した。


 バタバタと足音が鳴り響く。路地裏を折れてさらに奥へ。やや遅れて向こうも曲がってくる。五番町の道は隅から隅まで知り尽くしているから、単純な鬼ごっこなら八重たちに勝機がある。


「キュイ?」


 仕方なく自分の足で走っている祭は、伺うように鳴いた。


「こういう時は逃げた方が早いんだよ。でっかい荷物も抱えてるしな」

「荷物ってもしかしなくても私のこと⁉」

「もしかしなくてもお前のことだよ。大人しく運搬されてろ。顔も隠しておけ」

「なんか余計に誘拐された感でてきた」


 少女は両手でさっと顔を覆った。


 ちらりと後ろを振り返る。最初に見た時は三人だったはずだが、いつの間にか二人になっている。どうやら撒けたらしい。祭に目配せして合図すると、小さな身体は八重を追い越して路地の奥へと消えていった。


「どうしよう、はぐれちゃうよ」

「ほっといても飯の時間にはきっちり帰ってくる」


 ぐるぐると逃げ回り、同じような道を右へ左へ。入り組んだ路地裏の景色はほとんど変わらないが、徐々に奥へと向かっていく。


 十分ほどして、敵らしき人影がようやく追いついてきた。道に迷っていたらしく、正面からばったりと出くわす。八重の姿はもうなく、降ろされた少女は壁に手を付きながら立っていた。


 彼女は「こんにちは……?」とへらりと笑う。不審者はあたりを見回し、少女が一人であることを確認すると武器をしまった。ずかずかと距離を詰めてくる。


「ちょっと待って。分かった、話し合おう」

「…………」

「私何もしてないじゃん! 一切記憶にない! なんでこっちに寄ってくるの⁉」


 白い衣装に覆われた腕が伸ばされ、少女の肩を掴もうとする。少女は身をよじって逃げる。だがすぐに掴まれた。そのまま無理やり連れ去られそうになる。


「本当に何も知らないんだってば!」と叫ぶ少女は、抵抗虚しくずるずると引きずられていく。まさしく拉致現場そのものだ。少女は声をあげ続けているが、拉致犯はそ知らぬふりだ。


 そんな中、割りこむように声を発したのは八重だった。


「おい、俺の町で何をしているんだ?」


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