第118話 石見銀山攻略戦開始の前に・・・

 当初この旅の目的は瀬戸内海から大阪湾を牛耳る村上水軍を打ち破り大阪湾の航海権を確立する事を目指していたが、村上水軍を打ち破ったことから旅の目的が織田家による日本国内の航海権及び海運業独占の旅へと目的が変わっていった。・・・当初からそのつもりはあったので長期航海に備えて、色々なものが造れ大量の資材が載せられる巨大な浮きドックを旗艦にしているのだ。

 さらに村上水軍を打ち破った際に毛利元就の三男小早川隆景が率いる小早川水軍をも打ち破ったことから毛利家との戦後処理の為に毛利家の主城である郡山城に赴いた。

 その席上、毛利家と対立する尼子氏が今のところ保有している石見銀山攻略の話になったのだ。


 銀は重要な戦略物質であり、歴史的にみても日本が世界に輸出する重要な鉱物の一つに今後なっていく事になるのだが、問題は

『金銀比価』

の割合が世界各国に比べて不利に働き将来的に見て日本が大損してしまったのだ。


 石見銀山攻略に向けて織田家の艦隊は五箇(広島)湾に錨を降ろして物資を積み込んでいた。

 これから石見銀山攻略のために関門海峡を抜けて日本海側に出るのだ。

 この関門海峡は長門国(現山口県)の下関と豊前国(現福岡県北九州市付近)の門司港の間にある海峡で、長門国は厳島の戦いで毛利家の支配下に入り、対岸の豊前国は大戸宗麟がそのほとんどを治めていたが関門海峡を巡っての戦いで大戸宗麟とその重臣の一人立花道雪を破り降伏に追いやった。

 それを密かに観戦していた島津家はあまりの出来事に怯えて島津歳久と家久兄弟を人質として差し出し同盟を求めた。

 切って棄てるわけにはいかないので、島津家との同盟を認めた。

 群雄割拠の戦国時代ではお互いの土地を奪い合う状態になっていたのだが、同盟という至って平和的な行為により俺の九州平定の足掛かりはできた。


 広島(五箇)に毛利家の毛利元就と現当主毛利隆元、そして石見銀山の陸上攻撃隊・毛利元就の次男、吉川元春の率いる軍と織田信包の率いる織田家陸戦隊や輜重隊を降ろすと織田家艦隊は錨を揚げて出港した。

 織田家艦隊の旗艦の浮きドックには織田家の家紋・織田木瓜の旗が海風に煽られて翩翻とたなびいている。

 なにせこの浮きドックはサルベージ用に開発した筏等・・・かなり改良・改善されているが・・・を6個組み合わせたもので、その1個1個の大きさだけを考えても現在世界各国を航海している巨大な豪華客船以上の大きさがあるのだ。

 その巨大な1個の筏の上には迎賓館の様な建物まで建ててある。


 その迎賓館に織田家艦隊の艦長を石見銀山攻略戦軍議の為に集める。

 各艦長を集める際に織田式光信号を使った。

 それを今のところ虜囚の身になっている毛利家の村上武吉と小早川隆景それに毛利輝元、それに島津家の島津歳久と家久兄弟、そして大友家の高橋紹運の6人に見られた。

 特に毛利輝元が織田式光信号に興味を持ったようで小早川隆景と二人して何事かごにょごにょと言っている。・・・チビ助で邪魔だと思ったが流石に毛利元就の孫だ。


 他艦の艦長が集まって浮きドックにある迎賓館の一室で軍議の開始だ。

 俺の捕虜となって先程まで織田式光信号を見ていた毛利家の毛利輝元や小早川隆景それに村上武吉、島津家の島津歳久、家久兄弟そして大友家からは高橋紹運が当然のように参加している。

 ところで集まった艦長の顔触れは、ガレオン船型海進丸艦長キャサリン、海洋丸艦長九鬼嘉隆、ヘンリー8世号艦長ウイリアムズ、欧州丸の艦長に飯島、安宅船の尾張丸艦長小村井、駿河丸艦長堅田の香魚、三河丸艦長吉岡、遠江丸艦長桜井、桑名丸艦長副島である。・・・なお飯島・小村井は天文18年に庶兄信広の窮地を救った際の勇敢な小早の船長で、吉岡・桜井・副島はその後の戦いで武勲の秀でた優秀な者達である。・・・駿河丸の艦長にしようと思っていた堅田の青鮫は弟秀孝とともに比叡山延暦寺周辺で命を落とした。


 その一室には将官大学の明智光秀が引率する生徒も立ち並ぶ。・・・その中には市と犬の姉妹はもちろんのこと、信包は陸戦隊を率いて直接石見銀山に攻め込むため今頃は郡山城にいるが、もう一人の弟で織田秀孝の代わりに今川家に婿養子に入ったはずの今川(織田)信興も紛れ込んでいる。

 よく見ると嫁さん(今川氏真の娘)もいる?!今川義元がその孫娘に


「旅をして日本を見るのも良いもんだ。」


と言われて新婚旅行の代わりに同行している。・・・う~ん俺の新婚旅行が流行りになったか?


 信興の嫁さんもついでと言っては何だが信興と共に将官大学生徒として、明智光秀から薫陶を受けている。

 かなり頭脳明晰で俺が攻め込んだ時に城を捨てて逃げ出した父親の氏真よりも度胸があるようだ。

 彼女も将官大学生徒の制服(白いフロックコートに白いズボン、足には黒色の編み上げブーツを履いて)信興の横に並んでいる。


 そこには同様な服装をした天文16年(1547年)生まれで永禄2年(1559年)では12歳になる双子の姉妹の市と犬も並んでいた。・・・う~ん!織田家は美男美女の家系だが、俺が見ても二人とも大輪の華だ!捕虜となってこの会議に参加している毛利家の毛利輝元や小早川隆景それに村上武吉、島津家の島津歳久、家久兄弟そして大友家の高橋紹運・・猿!木下藤吉郎それに竹中半兵衛の将官大学の学生等も見とれて鼻の下を伸ばしている。・・・やらんぞ!俺は嫁にはやらんぞ!・・・隣の親父殿も


「嫁にはやらんぞ。・・・」


等とぼそりとつぶやいている。

 それをインドのマハラジャであるランジード・ノボリクスと娘のサーシャが見つめている。・・・俺も・・・。


 気を取り直して軍議の開始前に功労者表彰を行う。

 先ずは大輪の華の双子、市と犬の姉妹に先の来島の戦において世界初の爆撃に成功し、勝利に導いた事に対する功労者表彰を実施する。

 戦時昇進(織田家では旧帝国軍の階級制を導入している)将官大学の学生は准尉相当扱いだが、相当を外して准尉とし、准尉の階級章と功労賞のメダルの授与式を行った。

 二人は俺の前に立ち階級章を着けてもらう。二人は


「ありがとう御兄さま。」


と言って誇らしげに笑った。

 次に今回の大友家との戦いで陸戦隊を率いて敵旗艦に乗り込んだ竹中半兵衛や織田家艦隊の艦長達だ。・・・流石に大友家の捕虜高橋紹運は苦虫を嚙み潰したような渋い顔をして見ていた。


 表彰の最後に舅のランジード・ノボリクスに天皇と織田信秀、俺の署名が入った


『私掠免許』


を交付した。・・・天皇家には大量の銀貨と引き換え・・多少!?の脅しはあったのだが・・に署名を貰った貴重な物だ。


 軍議後、織田家の艦隊は隊列を整えて関門海峡を通り日本海に出ると砲撃開始地点である馬路琴ヶ浜に波を蹴立てて向かうのだった。

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