第117話 石見銀山攻略へ
毛利家悲願の石見銀山を攻略するためにもと関門海峡の航海権を掛けて大友家との戦いは織田家・毛利家との合同軍の圧勝に終わった。
大友家との講和の際に、島津家が乱入して講和自体が織田家に対してさらに有利に傾き関門海峡の航海権は勿論のこと関門海峡を睨む要衝の地・小倉城を手に入れ、蒸気機関を載せた安宅船を動かす為の燃料の石炭を手に入れるために筑豊炭鉱まで支配下に置くことができたのだ。
ただ関門海峡を掌中に収めるのは日本海側に出る為の通過点でしかない!
関門海峡を抜けて北上すれば出雲神社の手前に今回の毛利家と最初の講和ででた目的地である現在は里見家が保有する石見銀山が存在する。
この銀山を手に入れることが次の課題だ。
石見銀山攻略に向けて織田家と毛利家との二度目の会談が織田家艦隊の旗艦浮きドックにて行われた。
この銀山を攻略する必要性は金と銀の交換する相場
『金銀比価』
がヨーロッパ諸国と日本では、日本の方が分が悪く、このままの金銀比価で銀を輸出していけば大損してしまうのだ。
金銀比価・・・例えばA店という両替商では金1キロに対して銀5キロの割合で交換してくれる。ところがA店と仲の悪いB店という両替商では金1キロに対して銀15キロの割合で交換してくれる。そこで俺はB店で金1キロを銀15キロと交換してもらい、その交換した銀をA店で交換すると金が3キロに化け、それを繰り返すと莫大な利益があがるというものだ。・・・閑話休題。
日本での金銀比価は武田信玄が鋳造させた甲州金により貨幣制度を設立した際に決定されたとしている。・・・しかし変だと思った時に変えるべきで当時の指導者が悪い!今も物価に給料が見合っていないと物価を下げないで給料ばかり上げているが今に壁紙を買うよりも紙幣を張った方が安い時代が来るかも・・・?
金銀比価が不利にならない、それを防ぐものがポルトガルのガレオン船を鹵獲した際に船長室にあった宝箱の中にあったのだ。
それは
『金銀比価』
に関する書付だった。
また金銀比価に関する書付はイスパニアのガレオン船の船長室にも厳重に鍵のかかる宝箱の中に置かれていた。
これを基にして日本国内どころか世界各国と適正な金銀の取引をできるようにする。
その一環がこの時代銀を大量に採掘できる石見銀山の攻略であり、攻略の暁には金銀の取引所として織田家と毛利家が共同して周防屋を立ち上げる事にしたのだ。
この周防屋は
「毛利家から産出された銀を全て織田家が買い上げて、国内消費や外国への輸出を行う。」
と言う提案したのだ。
この提案に毛利元就は不思議に思った。
毛利元就は『三本の矢』や『領土は拡大すれど、天下は望むな。』等の逸話や名言を言った人物ださすがにこの話に裏があると感づいた。
俺は秘中の秘である金銀比価について毛利家が継続的に味方になってくれるならばと当主の毛利隆元と毛利元就に説明した。
この面会の場で金銀比価についてはこれだけの説明で、すぐ理解できたのは毛利元就と小早川隆景、そして織田家では猿(木下藤吉郎)と貴公子(竹中半兵衛)や俺の弟織田信包など少数の者だけだった。
何方かと言うと武闘派の村上武吉等は隣に座る小早川隆景に小声で説明を求めていた。
武闘派と言えば猟師の権瓶の娘結を含んだ3名の織田家の誇る陸戦隊の小隊長の頭にも?マークがいっぱい見えた。
この3人に対して後で弟の信包が説明していたがよく解っているので説明が丁寧だった。
その為に毛利家との具体的講和の話になった。
先ずは瀬戸内海の安全航海の為には制海権を織田家に譲渡する事。
その代わりに村上・小早川水軍の再建に織田家が手を貸す。・・・実質的に両水軍が織田家の傘下に加わることになるのだが。
毛利家領地における織田家の拠点港の確保。
織田家の出資している尾張屋等を毛利家の領地及び村上水軍の拠点で出店の許可。
それら織田家の店から取り決め以上の税を取り立てない等々。
織田家にとって有利な通商条約の締結を迫った。
折衷案ではないが、織田家と毛利家が出資する金銀取り扱いの『周防屋』が設立されて、社長はこの場に同席した織田信包にした。・・・う~ん?これで織田家が有利となったかな?
早速毛利家領地内における織田家の拠点港・織田家の海運業等の為の港の建設の予定地の検討だ。
村上水軍の拠点の一つである来島には既に戦略物質の中継基地を建設している。
ほんとプレハブ工法は楽で良い!
毛利家の領地内で候補に挙がったのが五箇(広島)と安芸郡宮原村呉浦(現在の呉市)と江田島の3ヶ所だ。
五箇は俺が慣れ親しんだ広島と改名して、呉浦も呉と改名した。
広島には織田家直営店の尾張屋や先程話が出た毛利家と共同出資の周防屋の建設だ。・・・これらが出来れば来島に出来た倉庫群は必要なくなるが、来島海峡で織田家が睨みを利かせる拠点となるので中継基地として存続する事にした。
村上・小早川水軍の再建に織田家が手を貸すと言っても、拠点になる場所が必要だ、その中心地を呉と定めた。
呉と言えば帝国海軍の呉鎮守府や戦後の海上自衛隊呉地方総監部がある、この地を村上・小早川水軍の再建の場所にするのは地理的要因もあって当然の事だ。
近くの江田島には帝国海軍の兵学校が創設されて、後に海上自衛隊幹部候補生学校になっている、人材の育成は織田家の使命だ・・・という事で水軍兵学校を創設した。
一度これらの案件について精査して三日後、書類の締結が行われることになった。
三日後のこの条約締結の場には三本の矢の一人で有名な毛利元就の次男吉川元春も席を連ねていた。
勝者である俺から出された瀬戸内海の航海権や織田家に有利な通商条約の締結などの案件は全て了承されて、残った課題の石見銀山攻略の軍議の席となった。
石見銀山を攻略しない事には毛利家とすれば尼子家の経済的地盤の強化が進む事になり、さらにはそこからあがる銀を日本どころか世界各国に販売する周防屋構想も立ち消えになってしまう。
毛利家から出された案は
『吉川元春を主将にした陸上部隊を編成して、毛利家の居城である郡山城を出陣し中国山地を越えて目的地である石見銀山を攻略する。
陸上部隊には織田家から織田信包殿が指揮する鉄砲隊(陸戦隊)及び輜重隊5両を同行させる。
陸上の攻撃部隊を支援するために織田家の艦隊は関門海峡を越えて日本海側に回り馬路琴ヶ浜付近に停泊する。
そこから織田家の保有するガレオン船型戦艦海進丸等4隻に側面装備されている大砲により石見銀山付近に展開している尼子家に対する艦砲射撃を行って欲しい。』
というものであった。
ここで石見銀山付近に対する艦砲射撃の正確を期すために織田家忍軍を石見銀山付近に入れるという事の毛利家の了承だ。
織田家忍軍を入れるという事は毛利家の現状が包み隠さず織田家に知られるという事になるのだ。・・・苦渋の決断を迫られた毛利家ではあるが、金銀比価の様な秘匿性の高い情報を織田家から開示された事からこの案を飲むしかなかった。
ガレオン船型戦艦搭載の41センチ主砲は村上武吉や小早川隆景を旗艦の浮きドックに乗艦させた際に遠目で見られたが今は
ガレオン船型戦艦の側面配備の鋳鉄製の大砲は片側10門で、その有効射程距離は5キロ、馬路琴ヶ浜から石見銀山まで直線距離で2,5キロ程だが山中にあるので直接では見えない。・・・それで忍軍を配する予定だが相手方の尼子氏の防衛が強固で侵入できない場合は新兵器の熱気球にでも頼るか。
石見銀山の攻撃開始はこれより四日後の正午となった。
広島(五箇)に吉川元春の率いる軍と戦闘に参加する織田家の陸戦隊を降ろす。
彼等は郡山城に向かい四日後には石見銀山付近にまで進軍する。
織田家艦隊は主力のガレオン船型戦艦を先方に旗艦の浮きドックを後方において関門海峡を抜けて日本海側に入り一路馬事琴ヶ浜へと向かうのだった。
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