第110話 関門海峡・壇ノ浦の戦いは続く

 関門海峡の壇ノ浦で日本海側から瀬戸内海側に縦列で侵入してきた大友艦隊を織田艦隊は得意の東郷平八郎元帥がとったT字戦法を使って 待ち構えた。

 織田家艦隊のT字戦法による集中砲火の威力は絶大で大友艦隊の一番艦・二番艦と順次砲撃で沈め、その惨劇を見た大友艦隊の三番艦艦長は恐慌に陥り逃げ出そうと急激な転舵により裏帆を打った。

 三番艦は裏帆により急激な減速を起こして後続の四番艦と衝突。

 織田家艦隊の格好の目標となった三番艦・四番艦は海の藻屑と消えた。


 その不幸は大友艦隊の旗艦で六番艦を走るイスパニア(スペイン王国)のガレオン船にも訪れた。

 一番艦から四番艦までもが目の前から消えた五番艦の艦長もまた恐慌に陥り


「面舵(右に舵をきれ)いっぱい!」


と大声をあげて命令した。・・・う~ん取舵(左に舵をきる)だと実は広島側・毛利家の領地に向かってしまうのでどうしようもないのだ。

 五番艦もまた三番艦と同様に急激な面舵をきった事から裏帆を打って船足が急激に落ちる。

 六番艦を走るガレオン船の船首が減速した五番艦の右側艦尾付近に激突して、そこを中心にして五番艦がクルリと回りガレオン船の右舷側に接舷するように衝突してしまった。

 これによって大友艦隊で最も火力のあるガレオン船の右舷側の砲口を五番艦のジャンク船に塞がれる格好になってしまった。


 悪い事は続けて起きるものだ。

 団子状態になったために減速した五番艦とガレオン船・六番艦に何とあろうことか後続の七番艦までもがガレオン船の左舷側にこするように衝突して接舷するように停止してしまった。

 これによりガレオン船の左舷側の砲口までもが僚艦であるはずの七番艦のジャンク船によって塞がれたのだ。

 五番艦・六番艦(ガレオン船)・七番艦はいずれも面舵・右に舵をとっていたために団子状態になったまま九州側・現在の門司港側に流れていく。


 大友艦隊のガレオン船長であるスペイン提督・ゴンザレスは両舷に僚艦が張り付き最大の武器である青銅砲が使えなくなったことに激怒して、両舷に張り付いたジャンク船に向かって


「アテレリア・デスパララ(大砲・発射)!」


と怒鳴る。

 ガレオン船に同乗していた大友宗麟がそれを聞いて驚いた。


「僚艦を撃てとは何事か!」


というや抜く手も見せずにゴンザレスを切り伏せた。

 ゴンザレスを切り伏せられたのを見たイスパニア兵は驚き、大友宗麟に切りかかる、当然大戸宗麟配下の兵が黙っていない。

 これによりガレオン船内でイスパニア兵と大友宗麟配下の兵とが相争う状態となっていった。


 イスパニアのガレオン船内でそのような出来事があった事を俺は知らないが、大友艦隊の旗艦である最大火力を保持するガレオン船が身動きができない状態になった。

 大戸宗麟艦隊に対する掃討戦だ・・T字型戦法をとっていた織田家のガレオン船全艦に錨を上げさせる。

 さらに織田式信号で浮きドックに


『安宅船の各艦に陸戦隊400名を乗せて団子状になった敵主力艦のガレオン船を拿捕せよ。』


と命令し織田家の艦隊が動き出した。


 織田家の艦隊が動き出すのを見た大友宗麟艦隊の今のところ無傷の八番から十一番までのいずれのジャンク船の艦長も、ものの小一時間の戦闘で僚艦の半分程も失い旗艦のガレオン船も僚艦同士が衝突して身動きができない!

 誰がどう考えても


『負け戦!』


である。

 尻に帆掛けて逃げるしかない。・・・逃げれるか?

 片側舷側に配備された大砲でもかなり遠方まで砲撃できる。

 まだ織田家ガレオン船の上甲板に設置された大砲と思しきものは使われていない!・・・本能がヤバイと告げている。


 残ったジャンク船の艦長は倭寇である。

 大戸宗麟に雇われた彼等は大友宗麟と一緒に地獄に行くつもりはない。

 艦長が配下に目配せをする。

 その配下はそっと大友宗麟の配下で乗艦していた軍監の背後に忍び寄ると、口を塞ぎ首を掻き切った。

 艦長は


「帆を降ろせ。武器を捨てろ。」


と命じた。

 それに従ってジャンク船の帆が降ろされた。


 織田家艦隊のガレオン船の錨が


『ガラガラ』


と引き上げられ、帆が張られていく。

 その横を煙突から黒い煙を吐きながら織田家の安宅船5隻が僚艦のジャンク船と団子状になった大友艦隊の旗艦・イスパニアのガレオン船に向かって行く。 

 

 門司城から吉川元春は大友艦隊が織田家艦隊の砲撃により一艦又一艦と海の藻屑と消え去るのを驚愕の思いで見ていた。

 またこの勝機に何もできない自分に焦りも不甲斐無さも感じていた。・・・そこへ 好機が訪れた!


 大友艦隊の旗艦で一際大きなガレオン船が僚艦と衝突し眼下の門司港側へと押し流されるように近づいてきた。

 このままいけば門司城と大友家支配の小倉城との中間付近に押し流されて座礁もしくは接岸する。

 それを小倉城から様子を見ていた大友家の家臣立花道雪はガレオン船を救出しようと動いたのだ。

 当時は小倉城は大友家の支城の一つで大内氏の一族・冷泉五郎高祐が城主を務めていた。


 ところで立花道雪・・・永生10年(1513年)生まれ、永禄2年(1559年)では当年46歳で臼杵鑑速・吉弘鑑理と共に大友家の三宿老の一人である。・・・閑話休題。 


 小倉城の城門が開かれワラワラと立花道雪が率いる足軽部隊がガレオン船を救出すべく駆け出してきた。

 それを見て吉川元春は自ら率いる毛利家軍団に


「押し出すぞ。」


と命じた。

 大友家との戦いは海戦から始まりついには陸上へとその戦いの場を広げていったのだ。

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