第108話 関門海峡攻略戦開始

 永禄2年(1559年)4月、織田家水軍は尼子家が現在保有する石見銀山を毛利家と共同して攻略するために関門海峡を抜けて日本海側に出る。

 ここに大きな障害があるその障害こそが関門海峡の九州側に勢力を張る大友宗麟その人だ。


 ところで本来ならば大友宗麟の事を切支丹大名と紹介するところなのだが、そうはなっていない。

 イングランドのヘンリー8世が鋳鉄製の大砲を鋳造させて、それをガレオン船に搭載し、そのガレオン船をヘンリー8世号と名付けた。

 ヘンリー8世号の処女航海にキャサリン達が奪って日本ひのもとの国に逃げ込む途中、大友宗麟をキリスト教へと導いたフランシスコ・ザビエルの乗るポルトガルのガレオン船と遭遇戦闘となり、ヘンリー8世号の放った一弾がポルトガル船の喫水線以下に着弾し浸水させ大きくバランスを崩した船を転覆せしめた。

 これにより哀れフランシスコ・ザビエルは歴史の舞台から退場したのだった。


 大友宗麟が切支丹大名となっていればフランシスコ・ザビエル(教皇の精鋭部隊)の後ろに控えるイエズス会(神の軍隊)が彼に手を貸して前装式の青銅砲を大友宗麟に売り払っていたかもしれないのだ。・・・ただ大友宗麟がイエズス会を頼らなくても青銅砲を手に入れられた可能性はある。

 それはこの1500年代は倭寇の時代である。

 お隣の朝鮮半島や中国大陸(当時明の時代)それに東南アジアの沿岸部どころか一部内陸部まで倭寇が脅かしていた。

 倭寇は海賊であり私貿易・密貿易の母体が北部九州地方を本拠として活動していたという。

 その倭寇の中には日本人だけでなく高麗人なんとポルトガル人もいたという。

 それ故にこの倭寇を介すれば青銅砲を手に入れることは十分可能だったと思われるのだ。


 青銅砲の有効射程距離が800メートルから1キロ程なので関門海峡の最挟部が600メートル程なので最挟部等では対岸まで十分に砲弾が届く距離だ。

 九州側の関門海峡内に配備された青銅砲を叩くと言っても関門海峡の全長は約50キロもある。

 ガレオン船等に秘匿して積載している戦艦長門と同径の41センチ主砲を有しているとはいえ、その有効射程距離が約30キロでは関門海峡のおよそ半分程しか網羅して叩くことは出来ない。

 戦艦大和の46センチ主砲でも有効射程距離が約42キロなので、戦艦大和の主砲をもってしても関門海峡の全域を網羅できない距離なのだ。


 一旦俺は織田信包と陸戦隊200名を毛利家居城の郡山城(現在の広島県安芸高田市)に残し、残り100名の陸戦隊と輜重隊それに捕虜である村上武吉と小早川隆景を率いて五箇(現在の広島)に向かう。

 俺達の後ろから吉川元春の率いる毛利家の軍団1000名程が続く。

 五箇に着くと2000名程の兵を率いた身なりの良い利発そうな10歳位の少年が偉そうに俺達を待ち受けていた。

 その少年が吉川元春と小早川隆景を見つけて


「叔父上達待っていたぞ。」


と言って二人の横にいる俺の顔を見るとハッとしたように


「お初にお目にかかります。

 私は毛利輝元と申し上げます。

 今後織田殿のもとで修業しろと祖父や父から言われております。」


等といっているよこの子。

 人質(捕虜)は小早川隆景だけで良いのだが放り出すわけにもいかないので、待ち受けていた旗艦の浮きドックに備え付けられた何艘かのボート(小早)に分乗させて旗艦に向かう。

 浮きドックに他艦の艦長を集める。

 その席上俺は


「石見銀山攻略するためには前に広がる関門海峡を通過しなければならない。

 我が艦隊を安全に通過する為には先ずは毛利家が押さえている門司城に吉川元春の率いる毛利家の部隊を入れて要塞化して九州側の巨頭堡とする。」


門司城・・・標高175メートルの古城山に築かれた城で、歴史は古く元暦2年(1185年)に平知盛が紀井通資に命じて築城させたものだ。

 永禄元年(1558年)には俺が捕虜とした小早川隆景が門司城を奪取して家臣の仁保隆慰にほたかやすが城代を務めているのだ。・・・閑話休題。


 門司城に陸続と吉川元春の率いる毛利家の家臣団と織田家の輜重隊が入る。

 織田家輜重隊が押したり曳いたりしているのがこの時代どの戦国大名などが喉から手が出る程欲しがる青銅砲5門だ。

 毛利家家臣団と織田家が休む暇もなく門司城を改築していく。

 城の目印とも言うべき高く出来あがっていた天守閣を後日破棄して大きな五芒星の城壁を造り上げていく。・・・そう函館にある五稜郭を模したようなつくりだ。


 ところで函館五稜郭の敗因の一つが五稜郭の中心に建てた奉行所の屋根中央に不格好に取って付けたように建てた火の見櫓のような建物だ。

 この建物の櫓が大砲の攻撃目標となり砲弾を多数集めるようになり降伏の引き金になったという。

 『城と言えばシンボルとして天守閣のような高い櫓』

はわかるが大砲等を用いた近代戦では格好の目標になってしまうのだ。・・・閑話休題。・・・今回は閑話休題が多い!


 城の改築と同時に関門海峡の門司港側・九州側における海岸線の敵勢力の排除だ。

 せっかく門司城の天守閣という小高い山の上に高い建物があるのでその高い建物を利用する手はない。

 関門海峡の全容が見える。

 遠くに後年宮本武蔵と佐々木小次郎が戦った巌流島が見える。


 その奥の九州側に高い3本マストの天辺が島影から覗いて見えるではないか。

 ポルトガルのガレオン船ではない・・・とすればイスパニア(スペイン王国)のガレオン船か?

 目を凝らしてみないと分からないが何本ものそれよりも低いマストが見える。

 そのうちの一隻が不用意に姿を現した・・・ジャンク船と呼ばれる中国の船だ。

 掲げる旗印は大友宗麟の家紋・大友抱き杏葉紋が描かれている。

 その船首に青光りする金属の棒が見える・・・どうやら青銅砲だ。

 大友家はこの狭い海峡で海戦を選んだようだ。


 挑まれれば答えなければならない。

 俺は旗艦を海洋丸に移して織田家ガレオン船4隻で関門海峡で一番狭い壇ノ浦・早鞆の瀬戸出口で大友家を待ち構える。

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