第100話 村上水軍と三好家合同軍との海戦
居住性の高い巨大な浮きドックを織田家艦隊の旗艦として波切城を出港した。
この巨大な浮きドックには製鉄施設(反射炉)もあり波切城にいた鉄砲鍛冶全員も乗り組んだ。
それにより波切城の反射炉は・・・念のためある工作をしてから・・・火を落とした。
浮きドックを旗艦とした織田家艦隊は紀伊半島にある花の窟神社に立ち寄り薬師炭鉱や紀州鉱山で掘り出された石炭や鉄鉱石を積み込みさらに花の窟神社と波切城の間を鉱物資源運搬のために運航していた荷物運搬用の関船3艘も艦隊に組み込んだ。
その際薬師炭鉱や紀州鉱山などを管理していた信次叔父を船に乗せた。・・・う~ん信次叔父は史実では弟秀孝を無礼討ちしてしまった人物だが、その弟秀孝が比叡山延暦寺の
花の窟神社の無口な巫女さんが赤子を抱いて一緒に乗り込んできた。
織田家の男子は美男子が多い無口な巫女さん信次叔父に惚れ込んで子供までつくったようなのだ。
信次叔父には大阪湾の入口ともいえる根来寺周辺を押さえて、大阪湾周辺の航海権を維持してもらう。
根来寺と言えば紀の川が流れ河口が現在の和歌山市になる。
その地に和歌山城を築城して抑えとして頑張ってもらう。・・・う~ん徳川御三家の一つ紀伊徳川家が虎伏山の和歌山城を居城としていた。この和歌山城は史実では、天正14年(1586年)開設とあるので永禄2年(1559年)では27年も前倒しで城を造ることになったのだ。
赤子を抱いた巫女さんと信次叔父を紀の川河口で降ろす。
例のプレハブ工法で城をバタバタと建てる。・・・なんせ根来寺は僧兵が強い!
根来忍者や鉄砲鍛冶は配下に治めたが、根来寺とは直接戦って屈服させていないから僧兵が残っているのだ。
信次叔父には大阪湾の航海権の確保と根来寺を屈服させるという重大な任務があるのだ。
ある程度城の形が整った所で紀の川河口を離れて大阪湾の入り口と言うべき堺港に向かう。
村上水軍との直接対決が予想されたが何ごともなく堺港に再び入港する。・・・う~ん巨大な浮きドックやガレオン船、それに次ぐ大きさの安宅船が沖合に浮かび、堺港に入港したのは色が燻った鉱石搬送用の関船3隻と現代風のヨットの帆を張った関船が5隻である。
堺の港は一方は海に面し、深い堀によってつくられた環濠都市であり、有力商人が集まる会合衆によって政治が行われている。
この当時の堺の港は国際港で時々スペインやポルトガルのガレオン船も来航している。
史実でも、ちょうど今は大航海時代の始まりでスペインやポルトガルのガレオン船が世界各国を回り植民地を広げている。
鉄砲や青銅砲、時にはキリスト教の布教という形で植民地を増やす政策を取っているスペインやポルトガルは俺の敵になりうるという事だ。
そのポルトガルのガレオン船については天文18年(1549年)、今から4年前に沈没しかったのを俺が鹵獲しており、その結果この4年間はポルトガルのガレオン船は堺港には来ていない。
またスペインのガレオン船の動向については堺の商人に聞きこむも今のところ分かっていないようだ。
載せていた鉱石は全て浮きドックに載せて空になった燻だ色の関船3隻と白いヨットの帆を張った関船5隻がその白い帆を膨らませながら堺の港に入港してくる。
燻だ色の関船には織田家艦隊の兵士が上陸して英気を養うために何人も乗っている。
俺はそれらの者に遊行費を渡して
「酒を飲み女を買うのも良いが羽目を外しすぎて織田家の品位を落とさないように。
これができない者は次回上陸許可も与えないし、場合によっては処罰もありえる。」
と言って送り出した。
堺の港には織田家が出資し新規有力商人として台頭してきた尾張屋、近江屋、三河屋、遠江屋等の商店も軒を連ねて並んでいる。
今回は尾張屋へ商品が大量に持ち込まれる。
尾張屋の縮緬で有名になってきた絹製品は勿論のこと大量の茶器が港にある尾張屋の倉庫にうず高く搬入される。
ここ堺には茶人としても有名な有力商人である今井宗久がいるのだ。
京都芸術大学の教授方だけでなく在学中の陶芸家にも作らせたものを茶人の今井宗久に無償で幾つか茶器を提供し、今井宗久主催でそれら陶芸家の作品の品評会をしてもらっている。
茶人の今井宗久が目利きしたものだ、これで持ち込んだ茶器が以後高額で取引をされることを考えれば安いものだ。
今井宗久のもとにはまたポルトガルやスペインから持ち込まれた輸入品がある。
当時としてはヨーロッパの製品は物珍しく斬新であるが、俺とすれば前世の記憶があり、それに以前鹵獲したポルトガルやイングランドのガレオン船からのる俺とすればそれ程珍妙に思われるものはないが、今井宗久との仲は良好なものにしたい。
それで地図としては落書きにしか見えない地球儀を大枚をはたいて購入したり、ガラス製品を購入したりした。・・・う~ん俺にとっては全く珍しくも無いが、明智光秀がガラスのグラスを欲しそうにしていたので購入して下渡した。
必要な物資を積み込んで堺港を出港した。
あれだけ言ったのに堺港で酒を飲み過ぎて女郎と刃傷沙汰に及び刃物を振り回す兵士を俺が首を切り飛ばした。
「やはり織田様は第六天の魔王!」
だと恐れさせた一幕もあった。
織田家の艦隊が進む事により大阪湾の制海権が水の張った盥の中にインクを垂らしたように広がっていく。
堺港を出るとその瀬戸内海を封印するように淡路島が見えてくる。
淡路島を越えると村上水軍が制海権を持っている瀬戸内海に入ることになる。
俺はその淡路島の観測の為に望遠鏡を取り出して島の様子を見る。・・・う~ん実は望遠鏡もやらかしているのだ。・・・明智光秀にガラスのグラスを下渡したが、目の悪いサーシャさんにもポルトガル船の船長室にあった牛乳瓶の底のような眼鏡を渡してあげた。
眼鏡があるので望遠鏡ぐらいあるのだろうと思って望遠鏡を造り今では双眼鏡も造ろうとしているのだが・・・う~ん実は世界最初の望遠鏡が1608年オランダのハンス・リッペルハイという方が造ったとされる。
この時代最も多岐にわたって天才として有名なガリレオ・ガリレイ(1564年~1642年)もよく似た年にガリレオ式望遠鏡を発明している。
10年程早く望遠鏡を造ってしまったようだ。
そのサーシャは今までの眼鏡の度が合わなくなったのか宗久の館で欲しそうに手に取っていたのでこれも購入して下渡した。・・・最近では進んで俺の腕に手を絡ませて物を
ガラスについては欧州産の方がまだ日本産よりも透明度が高いのだ。
ガラスの精製技術については欧州の方が一日の長があるという事だ。
それでも牛乳瓶の底のような眼鏡は同じで、サーシャもこのような眼鏡を何時もかけているのが嫌なのか首からネックレスのように下げて必要な時だけかけている。
・・・閑話休題。
それよりも目の前に迫ってきた淡路島だ。
三好三人衆は本拠地の阿波の国(徳島県)に逃れたが、三好家はこの淡路島を足掛かりに近畿地方に勢力を伸ばしてきたのだ。
俺の力によって近畿地方から追い払われた三好三人衆としては木瓜紋を掲げて進んでくる艦隊に一泡吹かせてやろうと思うのは当然の心理である。
大阪湾や瀬戸内海の航海権を握る為には地図から見てもわかる通りこの淡路島を抑えなければならない。
淡路島・・・古事記にも記載されている通り
瀬戸内海に入る為には北端にあり本州と淡路島の間、峡間約3,6キロの明石海峡、鳴門の渦潮で有名な四国と淡路島の間、峡間約1,4キロの鳴門海峡がある。
地形的に言ってどちらの海峡も潮流の流れは速い。
この速い潮流を利用して村上水軍は戦国の世を勝ち残ってきたのだ。・・・
明石海峡に近づくと、その潮流の流れに乗ってその丸に上の旗印を掲げた村上水軍と
『打倒織田家!』
で手を組んだか三階菱に五つ釘抜紋の旗印だから三好家指揮下の小舟が多数織田家の艦隊に向かって来るのだ。
大阪湾と瀬戸内海の航海権を巡って村上水軍との戦いが開始されたのだ。
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