第95話 面会者

 俺は琵琶湖で示威行動をする必要が無くなった織田家の旗艦海進丸を母港の桑名新港へと回頭することにした。

 琵琶湖から桑名新港までの船旅の間に石山本願寺や比叡山延暦寺による抵抗はあったが、我が方の優秀な兵器によりこれを排除している。

 皇女松様はこの船旅では船酔いも無く海進丸の艦内を元気に飛び回っていたが、朝倉家や六角家から来た姫たちは船酔いで青い顔をして幽鬼のようだ。・・・京の都付近や波切城等で立ち寄ったが警護の関係・・波切城では保秘関係・・で下船させていない。

 その二人が本当にあの世に行く前に桑名新港の1番埠頭に旗艦海進丸が横付けされた。

 急いで二人の姫を陸地に降ろした。

 二人と入れ違いに色々な人が皇女松様目当てで面会に訪れる。


 ついでとは言っては何だが皇女松様の顔見世興行だ。

 高貴な方であり船長室に玉座をこしらえ御簾を降ろして顔は見せないのだが・・・皇女松様も人の子であり、俺と以前から機会があれば前世の話をしようと人払いをして御簾の影から出て、さてお茶でも飲みながら話をしようとしたその矢先に近習や侍女が止めるのも聞かず足音高く船長室に入ってきたのが親父殿織田信秀である。 


 親父殿の織田信秀・・・史実では天文21年(1552年)3月3日、41歳の若さでいきなり昏倒して亡くなるのだ。流行り病で亡くなったとする説もあるが、高級武士であり庶民と違い白米中心の食事からビタミン欠乏症で起こる脚気を発症して、それにより心臓発作を起こして亡くなったのか・・それともこの小説のように正妻土田御前等が薬湯などと称して毒を飲ませて亡き者にしたと考える方が妥当と思われるのだが。・・・は弘治3年(1557年)46歳の今も元気で飛び回っている。


 その親父殿が俺に話があると言って一番最初に現われたのだ。

 丁度御簾の影から出てお茶を飲もうと俺の横に座っていた十二単じゅうにひとえを着た皇女松様には驚いて挨拶していたが、その後の開口一番がなんと親父殿を殺そうとした


「土田御前と信行を許してくれないか。」


と言うものだ。・・・ホントびっくりだ!若い頃は


『尾張の虎』


と恐れられていたのに、本当に気の良い好々爺になったものだ。

 許すも許さないも、親父殿は尾張の地に土田御前には尼寺を、信行には寺を建ててやっているのだ、これ以上どうするつもりだ。


「二人を連れてきている。話を聞いてやってくれ。」


と言われ、艦長室の扉が開けられた。

 そこから白い頭巾を被った女僧と禿頭とくとうの僧が入って来るや平伏する。

 右顔面を酷い火傷(俺がやったのだが)を負った俺とよく似た顔の信行が


「決して兄上には逆らいません。どうか母上共々お許しを!」


と言ってきた。・・・う~んどうする俺!?


 二人のその後の状況は密偵が張り付いているので把握している。

 土田御前の贅沢な生活に比べれば、信行は良く辛抱をしている。

 史実でも親父殿の葬儀の際は、信行は凛とした姿勢を崩さず、位牌に香を叩きつけた俺とは対照的であった。

 ただ信行は史実でも林兄弟などに踊らされた何度も謀反して、何度も信長に許されている。・・・どうする?どうしよう?俺は


「二人を父君の元に置いて下さい。」


親父殿に丸投げだ!今の延長のような状態なのだが。

 それを聞いた途端に土田御前と信行は喜んだ。・・・しかし土田御前の白い頭巾からやや白髪交じりの頭髪が覗いている。

 やっぱり赦免状を出すと直ぐに土田御前は還俗して親父殿の正妻に返り咲いたが、弟信行は還俗せずにそのまま僧侶の道を選ぶと言っているが・・・どうなることやら。


 土田御前と信行は迎えに来た林兄弟と共に名古屋城に向かう事になった。

 親父殿はその場に残って俺と共に皇女松様との面会希望者と会う、次に来たのは親父殿と一緒についてきた普請奉行だ。

 今回手に入れた琵琶湖の沖島の開発は勿論のこと、織田家の本拠地名古屋の驚異的な発展に伴い住民の急増による住宅地及び住宅の欠乏についてだ。


 俺が織田信長を殺して交代した日は、名古屋は那古屋と呼ばれ人口1万弱であったものが俺の活躍もあり破竹の勢いで織田家の傘下国が増え、名古屋と名称を変えた頃には人口が5万人を超え始めている。

 この当時の最大の人口を有する京都でさえ7万人程であった。

 急激な人口増加で食糧問題は備蓄があり急場は凌げ、さらには広大な開墾地があるので問題はないが、住む住宅が無い。


 住民の住宅の地割は普請奉行が何とかするが、増えた住民の住居の建築にまで手が回らないとの訴えだ。

 増えた住民は勝手気ままに掘っ立て小屋を建てて暮らしているのが現状だ。・・・衛生状態も最悪で前世のようにインフルエンザやコロナ等の感染症が発生したらこのような住居に住んでいる住民はひとたまりもない。

 大工の関地君もフル稼働で働いているが対応が出来ていない。

 それならば尾張屋の様な織田家100パーセント投資で土木・建築をおこなう遠江屋と言う会社を設立した。

 その会社は道路等を造る『土建部』と住宅を建てる『建築部』を立ち上げた。

 この会社は何時でも忙しい。

 何せ国内すべてにおいて道路事情や住宅環境が悪いのだ。

 国同士の戦争があれば進軍を遅滞させるための曲がりくねって細い道や人の住む住宅等は直ぐ燃やされてしまうのでどうしても掘っ立て小屋の様な建物が主体となっているのだ。


 この会社の社長?俺が兼務するよりさっきまで俺の前で震えていた信行だ!

 自分の寺に戻ろうとした信行を桑名新港から名古屋城近くの津島港に向かう定期船に乗ろうとしたところで捕まえて俺の前に再度引き据えた。

 何事があったかと怯える信行に俺が語った言葉が


「還俗して土木・建築をおこなう遠江屋という会社の社長に就任だ。

 断れば首と胴の泣き別れだ。」


 本当に俺は信行の前で鯉口を切って見せる・・・俺は第六天の魔王だ!

 怯えながらも信行はうなずいだ、彼に軍事力を持たせると直ぐ謀反を起こしそうだが、この仕事ならば真面目で実直な信行ならではの仕事になる。・・・はずだったが・・しばらくして信行が泣きついてきたのだ。


「土方の仕事も建築の仕事も分からないので配下に馬鹿にされて悔しい。」


と言うものだ。

 解らなければ解る人に聞けばよいが、意外と荒くれで職人気質の働く者の現場なのだ。

 言葉ではなく拳骨が飛び見て体で覚えろでは元々貴公子の信行には辛いものがあるようだ。

 教育は人を造る。

 戦国の世で軍事中心に考えていたので将官学校や火薬の研究、それに戦争での負傷者救護の目的でこの桑名には医科薬科大学、大砲鋳造の為に金属学科主体の様な工業大学を造ったが、その他諸々の技術学校はいまだに造っていない。

 工業大学に土木建築学科を開設して、その夜学部に信行を放り込んだ。

 日中働き、夜は土木建築の勉強でへとへとだ。・・・これでは謀反も考えられないようだ。

 信行の働きで名古屋城下では掘っ立て小屋に住む者がいなくなった。


 次に現われたのが美人の片鱗を見せつつある市と犬の二人の妹達だ。・・・この小説では二人を双子にした。当時は双子は畜生腹と嫌われている、それで下の妹の犬の生年月日が判らず、それに「犬」等と言う名前を付けたことが理由だ。

 天文16年(1546年)俺と信長が入れ替わった信長初陣の年に二人は生まれているので弘治3年(1557年)では11歳になる。

 二人の後ろには船医のグランベルと桜子それにおかよもいる、二人は俺に


「人の為になる勉強がしたい。」


と訴えた。・・・う~ん後ろに船医のグランベル達がついてきているのでどうやら医師にでもなりたいという事か?

 俺の横に座っている親父殿が不機嫌だ。・・・はて?桑名に医科薬科大学があるがそこに行けば親父殿が可愛がっている美人になるであろう二人の娘が手元からいなくなるのでそれを嫌がっているのだ。

 どうするかな


「医師にでもなりたいか?

 織田家の中心地である名古屋も大都会になりつつあり、そのために衛生状態も悪くなってきている。

 衛生状態悪化を防ぐ為に名古屋にも医科薬科大学を建てたいので、二人ともその医科薬科大学に入学するなら許可をするぞ。」


と言った途端二人よりも親父殿の不機嫌な顔が好々爺で人の好い顔に戻った。

 船医のグランベル達も発展する名古屋の医療状態の脆弱性ぜいじゃくせいを憂えて、市と犬の姉妹の願いに事寄せて医療機関の建設を願い出るつもりだったらしいのだ。


 次に現われたのが、マハラジャのサーシャだ。  

 マハラジャのサーシャも転生者であり、前世では日本のお隣のK国ではた迷惑なロケット開発といっているが実はミサイル開発の科学者なのだ。

 彼女は今のところ蒸気機関開発チーム等の科学技術の責任者をしてもらっている。

 皇女松様も転生者で後から聞けば医学や薬学関係にたけている事が分かった。

 転生者であるマハラジャのサーシャさんを呼び寄せて皇女松様に会わせたのだ。

 皇女松様の身分から言っても今後は医学はもちろんのかと科学技術等の総責任者の立場になるからマハラジャのサーシャとの面会は必要だ。

 これで皇女松様はマハラジャのサーシャやグランベル共々俺の頭脳集団ブレーントラストとして働いてもらう事になった。


 後の面会事項は些末さまつな訴えであり、俺への面会と言うよりも皇女松様の顔見世興行のようなものだが、それが1週間も続けば皇女様と言えども嫌になってきたようだ。・・・実は俺も辟易している。

 嫌になった俺は現在、旗艦海進丸の旧母港で2番艦海洋丸、3番艦海王丸の造船と、新式大砲や銃器などの生産地となっている志摩半島の波切城に向かう。

 市と犬の姉妹もついてきた。・・・朝倉家や六角家からの姫が乗っていたが船旅はもう嫌だと泣いて訴えるので親父殿に連れられて名古屋城に向かったので二人の為につくった船室はあいているのだ。

 でかい船でも側付き女中を何人も乗せられないので、グランベルとサーシャが面倒・・・基本放置だ・・・を見ると言うので連れてきている。

 船旅の間気持ちが悪いと海に向かって二人して吐きそうになって、船から落ちそうになったり、降ろしたボートに乗って魚釣りをして鮫を吊り上げて、鮫の餌になりかけたりと中々大変な船旅だった。


 波切城は九鬼定隆の居城であったが、体調を壊して桑名の病院に入院している。

 史実では天文20年(1551年)には九鬼定隆は病死している。

 親父殿と同様に寿命を延ばしている。

 主のいない波切城は志摩半島の不規則で入り組んだリアス式海岸の内海のような場所であり他領からは見えない。

 保秘と言う観点から言えばこれ程好都合な場所は無い、それでイングランドのガレオン船『ヘンリー8世号』や旗艦海進丸の母港が桑名新港と波切城の港になり、軍港としての役目と蒸気機関の開発等軍需産業の拠点としての役割からこの地が一大工業地帯になっているのだ。


 海進丸がヘンリー8世号が錨を降ろしている埠頭の反対側に横付けされる。

 船から降りた皇女松様は港の周りを見たいと言う。

 俺と皇女松様、市と犬の姉妹、サーシャが一台の馬車に乗る。

 8頭立ての馬車なので割とゆったりと座れた。


 市と犬の姉妹は巨大化している反射炉を見て驚き、金属の塊が旋盤で形が出来上がるのを見て驚きさらには鋳鉄製大砲の試射実験の轟音に驚き、海進丸の2番艦海洋丸の艤装作業を見て喜んでいた。・・・う~ん皇女松様とサーシャは海洋丸を見ている時は微妙だ。

 皇女松様は鉄製のお鍋を持ってきさせて海に浮かべさせた。・・・う~ん?!そうか鉄甲船だ。史実でも織田信長が鉄甲船を持っていた。

 海進丸と海洋丸は鉄板に張り変えて鉄甲船にした。

 これならば青銅砲を積んだ船と接近戦になっても急場をしのげるというものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る