第94話 桑名新港へ

 いまだ燻り続ける比叡山延暦寺の門前町である坂本に松平元康(後の徳川家康)に城を築くように命じて織田家の水軍は再度尾張の国へと帰国する事にした。

 瀬田の唐橋付近まで航行すると。

 瀬田の唐橋付近で沈没した現代風のヨットの帆を張った関船のサルベージ作業が行われていた。

 その作業を行っているサルベージ船については弟秀孝暗殺事件の際に堅田の町の造船所で造船中で、その造船場においても火付けがあったがさほどの被害も無く無事造船も終わり進水式もすることが出来たのだ。・・・このサルベージ船は大きなはしけの上にを取り付けたものだが🕊🕊🕊まあいいや。

 そのサルベージ船から金魚鉢をひっくり返したようなヘルメットを被った人が数人水中作業もしているのが見える。・・・か🕊🕊🕊これもまあいいか。


 サルベージ船や潜水夫の活躍によって爆沈した現代風のヨットの帆を張った関船が引き上げられた。

 この関船船中央の火薬庫が爆発して沈没したことから船首と船尾とに分かれており、超機密扱いの船首や船尾に装備されていた砲台が取り外された。

 織田式鉄砲等の積み荷も回収された。・・・織田式鉄砲についても超機密扱いなので1丁、1丁丁寧に数や状態の確認作業が行われた。

 坂本の町や延暦寺・天皇家そして二条晴良に満載していた金を支払って身軽になった化け物船1艘にその砲台や織田式鉄砲を載せる。


 これによって現代風のヨットの帆を張った関船の瀬田の唐橋付近の爆沈地に対する警護任務を終えた艦隊は坂本の町を母港とする事になった。

 坂本の町の港でも爆沈・自沈した船から大砲や織田式鉄砲もサルベージ作業を行い化け物船に積み込もうとするも、これ以上関船に積むと沈みそうだ。

 それで、今回のサルベージ船自体が巨大な艀なので、この艀に載せたまま新桑名港に向かう事にした。


 湖賊退治に織田家を出発するときは珍妙な帆を張った・・現代風のヨットの帆を張った関船が20艘いたが瀬田の唐橋付近や坂本の町の港で爆沈・自沈した船が2艘いるので現在は18艘しかない。

 そのうち8艘を琵琶湖に残す事にして、織田家の艦隊は旗艦海進丸の他は珍妙な帆を張った・・現代風のヨットの帆を張った関船10艘と織田家の化け物船2艘、さらには旗艦海進丸が引っ張るサルベージ船・艀が1艘の陣営だ。 


 爆沈した関船2艘のサルベージ作業が十日程を要したことから月が替わった。

 俺は宇治川で京都の町の一番近いところで旗艦海進丸に乗艦していた二条晴良と共に降りて京都の町に入り帝との対面を行う。

 後奈良天皇は崩御前の月であり体調不良を押しての面会であった。


 比叡山延暦寺との仲介の労を感謝しての面会であったが、京の町中での織田家の商業施設の再開の許可までもらった。

 後ろに控える三好三人衆や松永久秀の睨む目が鬱陶うっとうしい!

 その俺を睨んでいたはずの松永久秀が俺の元に夜陰に紛れて密かに訪ねてきて


「織田様の配下の一員に加わらせてくれまいか。」


と言って秘蔵の大名物の一つ平蜘蛛釜を差し出してきたのだ。

 史実では松永久秀から大名物の一つ平蜘蛛釜を取り上げようとしたところ、その平蜘蛛釜に火薬を詰めて爆死した事で有名なのだが・・・。

 これで俺は朝倉家が家宝として所持していた大名物の一つ九十九髪茄子つくもなすに続いて平蜘蛛釜までも所有する事になった。


 これで秘密裏に・・直ぐ公になったが・・松永久秀が配下に加わった。

 摂津(現在の大阪府)の国にある石山本願寺から坊官・下間真頼と宗主証如が逃げ出してそこから一時京の町の本願寺に逃げ込んだが、ここも危機を感じた坊官・下間真頼と宗主証如はついには一向宗の国である加賀の国へと逃げのびてしまい、それに従って僧や僧兵までも加賀の国に逃げ出して石山本願寺も京の町の本願寺もほぼ無人の状態である。

 石山本願寺は燃え落ちてほぼ更地の状態であるが京の町の本願寺等は浮浪者や夜盗の巣窟になる可能性があるので、俺は松永久秀に無人となった京の町の本願寺を接収して織田家の宿坊・・・織田家の宿坊として有名なのはあの本能寺の変で有名な本能寺なのだが・・・にするように命じ、さらに摂津の国の石山本願寺が俺の砲撃により更地になっているので、そこに大阪城を築城してそこの城主になることを命じた。


 敵対していた俺に厚遇で迎えられたことに松永久秀は涙を流して感激している。

 松永久秀は配下の者に京の町の本願寺の接収を命じて、旗艦海進丸に俺と一緒に乗船すると石山本願寺に向かった。

 松永久秀も初めてこれだけの巨船に乗った事から目を輝かせて船内を見ていた。


「織田殿!この黒光りしている大砲はなんだ!

 俺の買った青銅砲とは色も艶も違うではないか!?

 これでは俺が負けるはずだ。・・・織田殿臣従して本当に良かった。」


等と言って下船後更地になった石山本願寺・大阪城に向かって行った。

 松永久秀を降ろした後、織田家の船団は大阪湾へと出た。


 淀川の河口付近に小早が何艘も織田家の艦隊を待ち受けていた。

 その小早の群れの旗印が


『丸に上文字』


・・・ここれは!名にし負う村上水軍の襲来である。

 村上水軍とは史実でも天正4年に信長が石山本願寺攻めの際に戦い、村上水軍が使った焙烙火矢によって信長軍の水軍が瓦解する程だった。

 今回は異彩を放つ織田家旗艦の海進丸の威容を見て戦うことなく瀬戸内海へと消えた。・・・う~ん助けに行く予定だった石山本願寺自体が早々に瓦解してしまい戦う名目も無いの事から引いただけだ。


 その後は順風満帆の言葉のように織田家の船団は途中の波切城に立ち寄った。

 波切城で俺は松永久秀からもらった平蜘蛛釜を抱え持つように下船すると鋳物工場に急いで向かった。

 何するって・・当然平蜘蛛釜の複製品レプリカを作るのだ。・・・う~ん著作権法等と言う法律はない戦国時代だが自重して当然大量生産はしない。・・大量生産すると価値が下がるだろう!

 複製品レプリカの鋳物の平蜘蛛釜を1個と黄金の平蜘蛛釜を2個と銀の平蜘蛛釜も2個造った。

 1個の黄金の平蜘蛛釜を天皇家へ献上して、もう1個は親父殿に渡す事にして、複製品レプリカの方は俺が持ち、もらった方の平蜘蛛釜を持ち主だった松永久秀に返す事にした。


 史実では、松永久秀はこの平蜘蛛釜に爆薬を詰めて爆死したほどの思い入れのある品なのだから返した方があとくされが無い。

 ただ返すと言っても深読みされて変に勘繰られて


『謀反をたくらんでいると思われて返されたのか!?』


等と変に深読みされて勘繰られてもしょうがない。 

 それで後日返すついでに銀の平蜘蛛釜も付けて渡した。・・・う~ん何か微妙な顔をしていたが


「平蜘蛛釜の価値を下げるつもりは無いので、これ以上複製品は造るつもりは無い。」


と言って何とか納得してもらった。

 波切城でレプリカを作ったので後は桑名新港へと向かうだけだ。





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