第90話 琵琶湖を後に

 弘治3年(1557年)8月で琵琶湖の湖賊を討伐して、琵琶湖を織田家旗艦海進丸がその威容を見せつけるようにして周遊する。

 琵琶湖周辺で堅田や沖島の湖賊を倒した今、残った強敵と思われる有力戦国大名は朝倉家や六角家であるが、弘治2年の浅井・朝倉・六角家が合同軍を仕立てて織田家に攻め寄せたが返り討ちに遭ってその力を大きく落としている。

 その琵琶湖に巨艦が現れたのだ。

 朝倉家も六角家も家臣の中で美貌の誉れの高い少女を殿様の養女にして俺の人質として贈ってきた。・・・う~ん戦国時代の美人と現代人の俺の持つ美人の基準が少し違うのだが・・。


 それはともあれ同盟関係とまではいかないが彼女達を人質にした和睦である。

 これでしばらくの間は琵琶湖に平和な時間が訪れる。・・・う~んいざ開戦になればこの子達の首がチョンパか!気の毒に・・・俺はしないけど!

 ところで彼女達のお付きの老女や侍女それに警固の武士まで伊賀忍者達であり、金銭で雇われてきていた。

 当然俺に対する動向や暗殺が目的だが・・・う~ん送ってきた朝倉も六角も阿保じゃないか伊賀も甲賀もとうの昔に俺に陰では臣従を誓っており、この者達も面談するやいなや当然のように


「朝倉家や六角家から

『信長様の身辺調査と隙があったら暗殺せよ。』

との命を受けています。

 朝倉家や六角家の対応はいかがいたしますか?」


と尋ねられた。

 朝倉家や六角家からの使命が果たせないようにするために全員海進丸に乗せた。


 月が替わった9月、琵琶湖の湖賊討伐をしてしまい、海進丸が湖上にいることにより朝倉家や六角家とも和睦が出来上がった今、この琵琶湖では海進丸は宝の持ち腐れになってしまった。

 この旗艦海進丸に皇女松様を乗艦させたまま海進丸の母港である桑名新港に戻ることにした。

 それに燻り続ける竹生島に仮宮殿を建てるよりもと海進丸を皇女松様の御座船にしたが、狭い船内窮屈でいけない。・・・それに養女とは言え朝倉家や六角家の姫やお付きの者も乗艦しているのだ。・・・如何な巨艦でも手狭になった。


 竹生島を後にして堅田の湖賊の本拠地に向かう、以前は葦原で木で出来た人一人がやっと歩けるような桟橋だったものが、俺の持ってきた織田通貨で立派な埠頭や桟橋が出来上がり港が整備され、さらには大型船を造れるような造船所までもが出来上がっている。・・・う~ん瀬田の唐橋付近で沈没した現代風のヨットの帆を張った関船のサルベージ船を造船しているところだ。

 その堅田の湖賊の本拠地の造船所で九鬼嘉隆が船長として乗艦していた一部燃えた関船が修理を終わり出来あがってきたのでこれを受け取り、これで今では見慣れた5艘の奇妙な現代風のヨットの帆を張った関船と2艘の織田の化け物船で船団を組んで、海進丸の軍楽隊の奏でる勇壮なマーチと


『ジャン』


と言う銅鑼の音を後にして琵琶湖から桑名新港へと向かう。

 来た時とは逆に瀬田川・宇治川・淀川と名称が変わる琵琶湖からの唯一の流出河川を利用するのだ。


 遡上するときも巨艦の海進丸は川底をジャリジャリと擦りながら進んだが今回もどうやら川底に船底を擦りながら進まなければいけないようだ。・・・う~ん川底を擦らないようにして進むには閘門式運河こうもんしきうんがで有名なパナマ運河のように閘門ガントと言う可動式ダムを造って人工湖を生み出せばよいのだ。


 閘門を有効に設置する為の測量も兼ねて船を進ませていく。

 伊能忠敬が寛政13年(1801年)から文化13年(1816年)にかけて日本全国を測量して日本地図がつくられたが、それに先立つことおよそ300年前に伊能忠敬よりもさらに精巧な地図をつくることになるのだ。


 瀬田川から宇治川と流れが変わったが京の都で騒いでいた三好三人衆や松永久秀は至って静かである。

 俺から20万貫(現在の価値にして24億円)以上で購入した青銅砲が瀬田川の戦いの初戦で何の活躍もしないうちに鉄屑になってしまったのだ。

 それも一緒に戦いに出た石山本願寺の僧兵が自軍の火薬や砲弾を満載した荷車の上に松明をのせて誤爆させて三好三人衆や松永久秀の火薬や砲弾を載せた荷車に誘爆させて軍を壊滅させた・・織田軍の砲撃は無かった・・ことになっている。

 金をどぶに捨てたようなものであり


『触らぬ神に祟りなし』


というよりも


『触らぬ第六天の魔王(俺・織田信長)に祟りなし』


という事で瀬田川から宇治川へと下ってきた織田水軍に対して静観しているようだ。


 瀬田川の戦いに参加していた石山本願寺の方はそうはいかなかった。

 瀬田川の戦いで石山本願寺の僧兵の愚行によっていらぬ損害を受けたと主張する三好三人衆や松永久秀が石山本願寺に対して損害を賠償するようにねじ込んでいるようなのだ。

 これにより三好三人衆や松永久秀と石山本願寺との仲は険悪な関係になりつつある。 

 俺憎しで凝り固まっている兄一郎が一向一揆の総本山石山本願寺の坊官下間真頼に成り代わっている。

 その彼が三好三人衆や松永久秀との窓口になって


「今回の戦の損害を弁償しろ。」


等との苦情を受けているのだ。

 頭を抱えた下間真頼は怒りの矛先をさらに俺に向けて、織田信長が史実では焼き討ちした比叡山延暦寺と語らい


「いざという時には延暦寺から僧兵を差し向ける。」


と言う密約に成功しているのだ。

 その憎い俺が瀬田川から淀川へと船団を組んで流れ下ってくるのだ。

 下間真頼は比叡山延暦寺との密約に従い僧兵1万を借り受けて石山本願寺や比叡山延暦寺の僧兵合わせて2万人にあまりが夕闇が迫る中、石山本願寺に集まった。

 当時の石山本願寺は現在の大阪城の地にあり淀川から見て左岸側で直線距離にしておよそ4キロの地点である。


 僧兵達は篝火かがりびをたき、手には松明を持って石山本願寺からこの時代には無いはずの大型で10人以上が操作する投石機3台を押して約4キロ先の淀川の河川敷まで降りてきたのだ。

 投石機・・西洋や中国等では使われてきたが日本では戦国時代の後期にやっと大砲が使われるまで投石するような兵器に関する記述はない。

 その時代の西洋や中国等で使われていた投石機の威力は石山本願寺が20万貫以上の金を払った青銅砲よりも劣るものの、およそ50キロ程の石などを2~300メートルも飛ばすことができる代物なのだ。


 淀川に入り川幅が広がったとは言え大型で動きを制限される旗艦海進丸にとっては脅威でしかない。

 赤々と燃え上がる篝火を何と投石機にセットしている。

 木造船である海進丸にとっては火は大敵である。

 篝火や松明のおかげで石山本願寺・比叡山延暦寺の僧兵による合同軍の状況はまるわかりである。

 これにより直ちに先行する珍妙な形の帆を張った関船の前後の砲塔が回されて淀川の河川敷に陣取る僧兵およそ2万強に向けられる。


 先手必勝である投石機に僧兵特有の法衣ほうえ袈裟頭巾けさずきんを被った何人もがとりつき今にも篝火を飛ばそうとしている部隊に向かって火蓋が切って落とされた。

 5隻の関船の前後の砲塔から


『ドーン』『ドーン』『ドーン』『ドーン』


と砲口が火を噴く


『シュルシュル』


と滑空音がして


『ドカーン』『ドカーン』『ドカーン』『ドカーン』


と目標の投石機3台が吹き飛び、手足をもがれた僧兵が吹き飛ぶ。

 地獄のような戦場で勇敢・・無謀・・にも手に火矢を持った僧兵が最も標的としては大きな海進丸に向かって


『ヒョ~』


と放つが目標には届かず淀川の流れに消えた。

 その返礼が5隻の関船と海進丸の片側舷側からの大砲の弾の嵐である。

 淀川の河川敷には投石機の残骸と倒れ伏した僧兵が残った。


 僧兵特有の法衣に袈裟頭巾ではこの戦いを挑んだのは誰かもろ解りである。

 先にも書いたが石山本願寺は淀川の左岸約4キロの地点にあり、関船や海進丸の片側舷側に設置された鋳鉄大砲の有効射程距離は約5キロ十分狙える距離である。

 この石山本願寺に艦砲射撃をくわえる事にしたのだ。

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