第88話 琵琶湖の戦い・堅田の湖賊

 浮橋のあった瀬田の唐橋付近での湖賊との後年


『瀬田川の戦』


と言われた戦を終えて織田家水軍はその瀬田の唐橋付近を越えた。

 この橋で瀬田川と湖賊の住み家の琵琶湖を分岐するのだ。

 瀬田の唐橋付近の琵琶湖内では、織田家の旗艦海進丸の主砲によって水没させられた湖賊の関船付近には哀れ木片だけが漂っていた。

 水没した湖賊の関船救出のために集まった小早はすでにいない。


 瀬田川から琵琶湖へと今度は旗艦海進丸が先頭になった縦陣形で織田水軍が進む、すると進行方向左手に湖賊の本拠地『堅田』が見えてきた。

 その堅田は現在琵琶湖にかかる琵琶湖大橋(橋の長さ約1400メートル)より少し瀬田の唐橋よりである。

 その本拠地堅田に向かって水没された湖賊の関船から乗員救出後に集まった湖賊の小早が船団をつくって逃げていく。


 湖賊退治の

『瀬田川の戦い』

に続いて第二ラウンドの開始だ。

 開始のベルの代わりに旗艦海進丸の主砲が


『ドーン』


と火を噴く。

 湖賊の船団の真中に水柱が上がる。

 何せ海進丸の主砲は旧日本海軍の戦艦長門の主砲の口径と同じ41センチの鋼鉄製で有効射程距離が30キロもあるのだ。

 何度も言うが地球は丸い、身長170センチの人で水平線が見える距離が約4,6キロしかないのだ。


 旗艦海進丸のマストの見張り台に俺と入れ替わりに立った計測員が伝声管と織田式手旗信号で敵との角度や距離を送っているのだ。

 旗艦海進丸の砲術士達も相手が見えないので本当は何に向かって主砲を発射しているかも分からないのだ。

 それは旗艦海進丸の主砲に撃たれる側・・小早に乗っている湖賊・・にとってはもっと訳が分からない状態なのだ。

 織田家の旗艦のマストの天辺しか見えないのに、攻撃されている。・・・目に見えない攻撃を受けているのだ、脅威でしかない。


 瀬田の唐橋での海戦では、湖賊の関船がその目に見えない攻撃を受けて撃沈している。

 その撃沈した湖賊の関船には湖賊の賊長が乗っていたが船と共に湖底に沈んだ。

 それにより賊長は捕虜にした賊長の娘、香魚あゆの兄である青鮫が引き継いだのだ。

 彼の最初の仕事は


「どんなに逃げても目に見えない攻撃を受けるのなら、こちらから仕掛ける。

 火矢の準備をしろ!」


と全船・・湖賊の小早の船団およそ50隻・・に下知する。

 湖賊の小早の船団およそ50隻の舳先が織田水軍に向けられた。

 篝火かがりびが焚かれ、矢先に油が染みこまれた火矢が準備される。・・・無謀だ。

 孫子の兵法に


『敵(彼)を知り 己を知れば 百戦(して)危(殆)うからず。』


という名言がある。

 湖賊は当初、織田水軍を見くびっていた。

 織田家の旗艦の巨艦を見ても、琵琶湖では素早く動けない


『こけおどしの独活うどの大木、鈍亀丸』


と言って笑っていたのだ。

 織田家の旗艦が従える多数の関船を見てもそうだ。

 前部に載せられた鋼鉄製の大砲を飾り程度にしか思っていなかった。

 湖賊の新たな賊長の青鮫は、その名のごとく獰猛どうもう


「我が方は関船が無くなったと言え50隻以上で数の上でも有利で、我が方が風上で、風に帆をはらませて速度でも上回る。

 それに我らのよく知ったる琵琶湖だ。地の利は我にあり!」


と味方を鼓舞して織田家に向かって来る。

 確かに琵琶湖に入ったとはいえ、現在の琵琶湖大橋の架かるあたりだから、湖の対岸までの距離は1400メートルしかない。

 これでは、俊敏に動き回れる湖賊の小早と言えども動きを制限されるので織田家と同じだ。


 湖賊の小早が旗艦海進丸の甲板上に立つ人からもよく見えるようになった。

 その間に織田家の旗艦海進丸の主砲が5度火を噴いた。・・・う~ん!水柱ばかり上がるがこれが当たらないのだな!

 旗艦海進丸の舷側の砲門が開く、鋼鉄製の10センチの大砲が10門が砲口を見せる。・・・この大砲の有効射程距離が5キロ、相手の船が見えれば有効射程距離だ。


『ドーン』『ドーン』『ドーン』『ドーン』


と舷側の大砲10門が一斉に火を噴いた。


『グワーシュ』


と異音をあげて何艘もの小早が轟沈する。

 旗艦海進丸を先頭に珍妙な帆を張った・・現代風のヨットの帆を張った14艘の関船と織田家の化け物船2艘が続く。・・・九鬼嘉隆が艦長の関船も自力航行はマストの帆が燃え落ちて無理だが大砲は生きている。

 14門の前部砲塔が回転して向かって来る湖賊の小早に砲口が向けられる。


『ドーン』『ドーン』『ドーン』『ドーン』『ドーン』『ドーン』


と関船の新式大砲が次々と火を噴いた。

 水柱が上がるのも多いが、湖賊の小早に命中するのも多い。

 ただ木造船それも旧来の竜骨の無い構造的にも弱い小早等に大砲の弾が当たればたまったものではない。

 50隻もいた堅田の湖賊の小早のうちの半数が大砲の弾に当たってバラバラになって轟沈してしまった。

 事ここに至って、青鮫は初めて織田水軍の実力を知り


「無理だ!逃げろ!」


と下知をする。

 ただ青鮫は自船の反転逃走を許さず、逃走する湖賊の盾になることを決めた。

 青鮫は船先に立ち天を仰ぎ見て


『朝倉家や六角家どころか、京都を支配する三好三人衆や松永久秀さらには石山本願寺などの一向宗それに堅田の湖賊が信仰する比叡山延暦寺からも支援を受けてその財力で新造の関船を建造して織田信長など取るに足らぬと思っていた。

 その結果がこれか!

 最近では織田信長は第六天の魔王と恐れられている。・・・魔王の持つ魔法の力で我が湖賊は壊滅か。』


と自嘲した。

 青鮫の乗る小早が織田家の旗艦海進丸の進路に立ち塞がる。


「我は湖賊の首領青鮫なり、ここを通りたくば我と戦え!」


と名乗りを上げる。

 青鮫との直接対決か!・・・面白い俺が出る。

 俺は愛刀の大太刀を背負って船先へと走り、そのまま青鮫の小早へと大太刀を抜きながら飛んだ。


『ズーシャン』


俺の落下を小早が大きく揺れながら受け止める。

 俺の目の前に青鮫と名乗った俺と同年の若い男がいた。・・・弘治3年(1557年)8月で俺は23歳になっていた。

 年齢を重ねて身体も大きくなり、日頃のトレーニングで手足共に逞しくて太い。

 その鍛えられた強靭な太い足が落下を受け止めた。


 目の前の青鮫がその名の通り、獰猛に笑う。

 奴の手には六角形の太い木の棒が握られている。・・・う~ん棒術か。


「我は織田信長なり、いざ尋常に勝負。」


と名乗る。

 青鮫は木の棒を杖道でいう『右引き落としで構え』・・左足を前に出して半身になり片方の棒の先を持つ左手親指の付け根を左乳部付近に軽くつける・・た。

 これは剣道の型である脇構えと同じで、剣道では刀を杖道では杖の長さを敵に知らさないために体で隠したのだ。


『ジリッ』『ジリッ』


と青鮫が間合いを詰めてくる。

 この闘いは一瞬で終わった。

 六角棒の間合いに入り、刀では届かない遠間であり、好機と思った青鮫が右手を跳ね上げるようにして俺の頭上へと棒先を飛ばした。

 俺は前へ出ながら青鮫の木の棒を握る右手首に向かってすくい上げるようにして右手一本の片手切を見舞う。

 片手切りにより、青鮫の持つ長い六角棒に長さで対抗できたのだ。


『ザシュッ』


と言う音とともに血飛沫ちしぶきをあげて青鮫の切られた右手首が宙を舞う。

 これによって青鮫の一撃は俺から大きく外れて


『ガーン』


と六角棒が甲板の太い板張りを打ち破る。・・・う~ん当たったら死ぬがな!

 俺はそのまま前に出て青鮫の喉に大太刀をちゃくすると


「降伏しろ、しないと捕虜にしたお前の妹の命も無いぞ。」


と降伏を勧めた・・脅したの間違いか?・・青鮫


「妹は生きているのか?・・・仕方が無い・・・か!降伏する。

 皆武器を捨てろ。」


と言って降伏させた。

 これで織田家は堅田の湖賊を傘下におさめる事になった。

 後日、堅田の湖賊とのさらなる友好関係を結ぶ為、九鬼嘉隆が怪我がえた香魚と結婚することになった。

 時々武道の稽古と称して、盛大な夫婦喧嘩をしているが・・・仲は極めて良い。

 青鮫の俺が切り飛ばした右手には鉤爪の義手を装着させた。・・・どこかの小説の船長のようだ。


 堅田の湖賊を降伏させて傘下におさめたと言っても琵琶湖にはまだ湖賊はいる。

 それは琵琶湖最大の島、沖島をねぐらにする湖賊だ。

 青鮫が負傷しているので、青鮫の叔父さんと言う方が沖島の湖賊に対して降伏を勧告しに行ったが戻て来たのは叔父さんの首だった。・・・う~ん戦国乱世とは言え徹底抗戦の意思を伝えると言っては、使者の首をいちいちねなくても良いものを!人的財産の無駄遣いだ!

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