第87話 堅田の湖賊の香魚

 皇女松様を京都から脱出させそのまま琵琶湖から大阪湾への唯一の流出河川で瀬田川・宇治川・淀川と名称の変わる大河を遡上してついに琵琶湖の入り口瀬田の唐橋付近までたどり着いた。

 その瀬田の唐橋付近で琵琶湖にいた敵湖賊の関船を織田家の旗艦海進丸の放った1弾が打ち抜き撃沈させた。

 その関船が撃沈した場所の手前には瀬田の唐橋・・今見えているのは小舟を繋げた浮橋・・だ。・・・史実では初めて擬宝珠ぎぼし(ネギのような飾り)の付いた本格的な橋


『瀬田の唐橋』


を後年実は織田信長が架けているのだ。

 この浮き橋の向こう側に湖賊の関船を救出しようと小早が走り回っている。

 通行人には気の毒だが織田家の水軍が通行する為に小舟を繋げた浮橋を切って落とすしかないか!・・等と思っていたら我が珍妙な帆を張った・・現代風のヨットの帆を張った関船が手前1キロ程の所に近づいたところで突然、その小舟を繋げた浮橋が自らばらけた!!


『危ない!罠だ!!』


剣士としての本能が危険を察知する。

 俺は艦橋から慌てて外に出ると、上空に向けて


『ドーン』


と信号弾を打ち上げる。

 上空で


『バーン』


と花火が開き、赤い雲がたなびく。

 それに気づいた先行する関船の乗員が船首の2連式砲塔の砲口や新式銃を持ち出して、その銃口を流れてくる浮橋に使われていた小舟に向ける。

 多数の流れてくる小舟の中に人影が見える。


『カチカチ』


と火打石を磨る音が聞こえてきた。・・・俺が作ったマッチは京都の公家衆に配ったが、今のところマッチの販売は織田家領内だけなので他領ではいまだ火打石が主流なのだ。

 小舟に積まれていたかやや薪に火を付けようとしているようだ。

 そのうち上手く火が着いたのか何艘もの小舟が燃え上がる。

 火に包まれながら、その小舟の群れが我が方の関船に向かってくる。

 小舟に火を付けた連中は、何とそのまま艪を操って関船に舳先を向ける。


『バーン』『バーン』『バーン』


と新式銃で小舟に火を付けて艪を操っている連中を撃つが、身を低くして茅や薪に隠れているので当たらない!そのまま勇敢にも小舟を操っている。

 その間に20艘の関船が積載している船首側の砲塔を動かして砲弾が装填されて鋳鉄製の大砲が


『ドーン』『ドーン』


と火を噴くが・・・小舟に当たらず水柱がそこかしこで上がる。

 それでもその水柱で火の勢いが殺がれ小舟が揺れてあらぬ方向に流される。

 それでもなお果敢に火を上げる1艘の小舟を操って先頭の我が関船にぶつける。

 小舟の艪を操っているのは小柄な人物で火を上げる小舟をその関船に固定しようと、かぎの付いた縄を関船に投げかける。

 小柄な人物は火を避けるためか面を黒い布で眼の部分だけ開けて覆い、黒い衣服に身を包み背には太刀を背負う。・・・う~ん黒ずくめの忍者だね。


『ガチ』


と言う音がして関船の舷側に鉤の爪が食い込んだ。

 鉤の付いた縄を使って黒装束の人物は小舟と関船を固定する。

 その黒装束の人物これで役割は終わったと、川に飛び込んで逃げると思いきやもう1本の鉤の付いた縄を取り出して同じく


『ガチ』


と言う音ををたてて関船に架けると、その縄を頼りにスルスルと登って行くではないか。

 そ奴は甲板に立つと、先に架けた鉤の付いた縄を外されまいと背に背負った太刀を抜くとその場所に駆けていく。

 甲板にいた水兵は持つた新式銃をそ奴に向けるが仲間が多い甲板上、無闇矢鱈むやみやたらに撃てるものではない。

 この関船を指揮する艦長が太刀を抜いて、そ奴に向かう。


「我はこの船を指揮する、九鬼嘉隆なり!勝負!」


と名乗る。・・・弘治3年(1557年)この時、九鬼嘉隆16歳で将官大学の生徒としては何度も戦場に立ったが、船の船長としては初陣である。


「湖賊の賊長の娘!堅田の香魚あゆなり!この勝負受けて立つ。」


と名乗る。・・・小柄だったのは女性だったのだ。

 としは九鬼嘉隆と同じ位か少し若い。

 瀬田の唐橋から琵琶湖を少し進んだ所に湖賊の拠点と知られる堅田と言う場所がある。

 それ故に堅田の香魚と名乗って、九鬼嘉隆と対峙した。


 九鬼嘉隆の放った鋭い横一線の抜き技が香魚の胴を襲う、香魚はそのぎ技を後ろへ飛んでかわす。

 香魚は飛んで躱して、船縁ふなべり手摺てすりの上に飛び乗る。

 香魚が獲物を狙うかのごとく、その手摺から九鬼嘉隆に向かって鋭い突きを放つ、

 九鬼嘉隆、飛ぶ香魚の持つ刀の剣先を下から跳ね上げて逸らし、返す刀を手の内で峰に変えて香魚の首を打つ。

 峰打ちと言っても俺と朝夕剣道等の稽古をしている九鬼嘉隆が放った急所への一振りで、とても


「峰打ちじゃ、安心せい。」


等と時代劇での名セリフをつぶやけるような状態ではない。

 いわゆる白目をむいて失禁して倒れている、それを見て九鬼嘉隆は呼吸が苦しそうなので香魚の面を覆う黒布を剥がす。

 黒布の下から色黒だが九鬼嘉隆好みの美少女が現れた。


 九鬼嘉隆船長の関船は小舟の衝突で舵が折れ、火付けのおかげで帆が燃え落ち、舷側も燃え上がって自力航行が出来ない状況なので、目的地の竹生島まで旗艦海進丸が曳航することにした。

 曳航の為、関船に横付けした際、九鬼嘉隆が打倒して昏睡状態におちいった香魚を慌てて船医のグランベルと桜子の元まで運び込んだ。

 まだ人を直接切り殺したことのない九鬼嘉隆は、なんとなく不安そうで情けない顔をして香魚が気付くまで時折病室を覗きに訪れていた。


 他船の状況だが、九鬼嘉隆が指揮を執っていた船以外では、もう1隻の関船が3艘の小舟に取り付かれて、炎上して運の悪いことに火薬庫に火が移り大爆発を起こし爆沈した!


 湖賊の他の目的を達成できなかった小舟は炎に包まれながら下流に流されていった。

 残念ながら爆発炎上沈没した関船には生存者はいないようだ。

 当然小舟の方も同様だ。

 爆沈したために船内に残された負傷者を確認することも出来ない。

 後日サルベージして、ご遺体の回収それに船前後の砲塔及び積載されている新式銃の回収を行わなければいけない。・・・何と言われようと何世代も未来の兵器を他の者に渡す事は行かない。

 その間は5隻の珍妙な帆を張った・・現代風のヨットの帆を張った関船が周辺の警戒に交代で当たることになった。


 急遽きゅうきょサルベージ船の造船と水中作業船も造船する事になった。

 後方に積んだ馬車は爆風で吹き飛んで浮いていたので、これは回収したところ積み荷は尾張屋の高級呉服だった。


 俺の前にこの関船の死亡者30名の名簿が回ってきた。

 見知った者の名前は無かったが、この皇女松様京都脱出で初めて人的被害が出たのだ。

 俺から見れば、小舟相手に関船1隻を失い、中破1隻(修理すれば何とか動かせるようになる)、それに人的被害が出たのだ。

 湖賊の主船の関船1隻を遠くから離れた所からの砲撃で沈没させたが、完勝できると思った相手にこれ程の被害が出てしまったのだ。

 これでは明らかに負け戦だ。・・・反省しよう。


 瀬田の唐橋付近を織田家の勢力下に置いた時、後年


『瀬田川の戦い』


と名付けられた戦いで亡くなった、この関船の乗員30名と敵ながら天晴あっぱれな活躍をした3名の勇敢な湖賊の名を刻んだ慰霊塔を建てられた。

 勢力下に置いたその時は史実通りに瀬田の唐橋を架けるのだが、船の往来も考えて東京にある勝鬨橋のように跳開橋にする。

 その橋の両側にはロンドンのタワーブリッジのように高い塔が建てられ、慰霊碑は高い塔の右岸側の公園に建てられている。

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