第74話 浅井家の後始末

 弘治2年(1556年)に起きた浅井・朝倉・六角家合同軍による岐阜(稲葉山)城に攻め入った戦いは、逆襲に転じた織田家が浅井家を攻め滅ぼした。

 ところで浅井家との戦後処理と言っても浅井久政と長政親子が討死してしまい相手がいない!?・・・う~んというのも


「浅井久政と長政の親子が討死にして、残された浅井家に繋がる親族郎党は第六天の魔王・織田信長に撫で切りにされる。

 残された重臣も同様だ。」


等と言う流言飛語デマによって浅井家の親族郎党や重臣達がそれぞれ今回の戦に共同参戦した朝倉家や六角家を頼って逃げ散ってしまったのだ。・・・う~んそれに


『去る者は追わず来る者は拒まず』


と言うではないか。

 今の織田家の実力ならば後続部隊を集めれば朝倉家や六角家を追ってさらに戦線を拡大、それも両面作戦もすることはできるが、問題は打ち滅ぼした朝倉家や六角家のその後の統治を誰にするのかということだ。

 俺、織田信長でさえ天文3年(1534年)生まれなのでこの弘治2年(1556年)ではまだ24歳でしかない。

 将来性のある子飼いの将は薫陶の為将官学校に入れて沢山いるが、その子飼いの将も年齢は今のところ猿(秀吉)でさえも19歳になったかならないかくらいだ。


 今いる旧来からの成人家臣は俺をのっけから


「尾張の大うつけ」


あなどり、自尊心プライドばかり高くて、実際の能力があまり高くない、そんな将を攻め取った領地の管理などを任せれば領民を不快にさせて一向一揆等おこさ足元から瓦解されるのがおちだ。・・・う~んこれはたまったものではない。

 それでも今回は弟信行の謀反に加担し謹慎させていた林秀貞を親父殿の要請で復帰させて岐阜城の城代家老にしたのだが・・・禍根が残りそうだ?

 親父殿・・・織田信秀は史実では天文21年(1552年)・・・諸説あり・・・に41歳の若さで亡くなっているのだが、今も健在で名古屋城で睨みを聞かせている。


 浅井家の残した近江の国仕置きは、新たに配下に加えた追撃戦の先鋒で戦果を挙げた滝川一益に任せることにした。

 補佐役には俺の一つ下で天文19年に雇い入れた丹羽長秀を付ける事にした。

 史実でも丹羽長秀は天文19年(1550年)に信長の配下に加わっている。

 長秀は俺の父親の信秀と争っている尾張の守護斯波氏の家臣丹羽長政の次男でもあるのだ。

 兄の長忠は天文23年に当時守護代だった織田信友に丹羽長政の居城だった清洲城に攻め込まれて父親の丹羽長政と共に落命している。


 兄弟が血筋を残すために相争うのは戦国の世の習いである。

 とみに有名なのは真田氏で関ヶ原の戦いでは西軍に真田昌幸と次男信繁(幸村)が、東軍に長男信之がついて戦い、信之が真田家を残したのだ。・・・閑話休題

 

 俺は未だ燻り焼け落ちた小谷城で浅井家の浅井久政・長政親子のねんごろに弔いが終わり、朝倉家や六角家を追って戦線を拡大するか苦慮していたところ本領に逃げ戻った朝倉家と六角家から和睦の使者がきて


「攻め取った浅井家の領地を織田家が支配する事を認める。」


と朝倉家からは朝倉家の家宝である茶入れ九十九髪茄子つくもなすを差し出してきたのだ。

 史実では朝倉宗滴・松永久秀と移り松永久秀から受け取った大名物だ・・・史実では松永久秀にさらに大名物の一つ平蜘蛛釜を取り上げようとしたところ、その平蜘蛛釜に火薬を詰めて爆死した事が有名だ。


 その後六角家とは六角定頼の娘で亡き北畠具教きたばたけとものりの妻とその息子の北畠具房きたばたけともふさの身柄の話合いが行われた。

 俺が後見人として北畠家の再興を約束し、そのかわりと言っては何だが小谷城の近くにある鉄砲鍛冶の村で有名な国友村も領地として認めると言う事になったのだ。

 その当時では戦術的と言うよりも戦略的兵器の鉄砲を造り出す事の出来た国友村の領有権を隣国の六角家が認めたことになるのだ。


 俺は焼け落ちた小谷城で浅井家の浅井久政・長政親子の弔いが終わったところで、今度は小谷城の近くにある鉄砲鍛冶の村で有名な国友村に入った。

 燃え落ちた小谷城は廃城にして、国友鍛冶を支配下に置く為に国友村の近く現在の長浜駅付近に城、長浜城を小谷城の資材を使って建てることにした。


 史実でも築城された長浜城の場所に建てたのだ。

 史実の長浜城は天正元年(1573年)に浅井家を攻め滅ぼした際に今回同様小谷城の資材を使って築城され猿(木下藤吉郎)が城主になっている。


 ただこの地は浅井家を滅亡させたと言っても六角家や朝倉家に挟まれた土地であり両家が襲ってきた場合は、琵琶湖内にしか逃げ場がないので琵琶湖内に浮かぶ竹生島ちくぶじまにも築城を命じたのだが、この竹生島には宝厳寺や都久夫須神社という古来よりの寺や神社がある。

 何せ宝厳寺は新亀元年(724年)、聖武天皇の夢枕に現われた天照皇大神からこの島は弁財天の聖地で寺を建立すれば


「国家泰平、五穀豊穣、万民宝楽」


とのお告げで建てられた寺だ、おいそれと廃寺には出来ないのでこれらを守るような形で築城を命じたのだ。

 

 それに今後、琵琶湖を使った交易を考えたのだ。・・・表の顔は、武将織田信長だが、商人あきんどの尾張屋清兵衛と言う裏の顔があるのだ。

 ただ琵琶湖の交易も名にし負う堅田の湖賊等の暗躍の地でもあり、その場にあった小舟を使ったような交易ではあまり上手くいかない。

 俺はその交易に使う小舟を守るために陸路を使って数隻の小早程度の小型船舶を琵琶化に運び込んだが、堅田の湖賊の方が小早の数では圧倒的に数的優位であった事が原因である。

 持ち込んだ数艘の小早は竹生島と新しく建てる長浜城の間の資材運搬ぐらいしかできないのが現状なのだ。


 それでも長浜城を築城して、交易の中心となるであろう琵琶湖内の竹生島に港を造ったのだ。

 今のところ朝倉家や六角家と和睦が成立しているので、都(古都京都)と織田家の交易の為には邪魔をしている琵琶湖の堅田の湖賊の排除が喫緊の課題である。

 そんな課題もあるが・・・その前に鉄砲鍛冶の国友村の支配である。

 俺の噂・・・第六天の魔王・・・が来ると恐怖して国友村の鉄砲鍛冶師達が逃げ出す前に取り込まなければならないからだ。

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