第73話 浅井家滅亡

 浅井・朝倉・六角家合同軍とすれば織田家が斎藤道三と斎藤義龍との確執から起きた内紛につけ込むようにして新たに手に入れた美濃の地の主城である岐阜城に攻め寄せてきた。・・・う~んこれは織田家と領地が接するようになった浅井・朝倉・六角家の危機感と室町幕府の将軍足利義輝の発した討伐令がきっかけとなり利害が一致した三家が合同軍をつくり出して攻め寄せてきたものだ。

 この合同軍を俺(織田家)が世界的に見ても3~400年先を行く技術によって造り上げられた大砲や織田式鉄砲によって撃退して、今度は逆に追撃戦に転じたのだ。


 浅井・朝倉・六角家合同軍が逃げる先にあるのが浅井家の領地・近江の国である。

 浅井家の領地である「近江の国」の名前の由来となる琵琶湖は古事記などでは「淡海」と表記され、当時の政権の中心地であった畿内から近い国で「淡海」が所在することから近江と称したとされる。

 この近江の国は確かに地図上から見ても、琵琶湖を抑えれば当時の政権の中心地である畿内の喉首に匕首を突き付けたような形になるのだ。


 その近江の国に俺達織田軍は逃げる浅井・朝倉・六角家合同軍の後を追って攻め込んだ。

 逃げる先頭を走る朝倉家と六角家の軍はほとんど無傷であった。・・・う~ん慌てて逃げ出して転んで怪我をしたり、持っていた自分の武器で怪我をする等の粗忽者は何処にでもいるようだ。

 それに比べ浅井軍は浅井・朝倉・六角家合同軍の先鋒として美濃の国の岐阜城攻撃を仕掛けたが、岐阜城の手前を流れる長良川を見る前にこの時代の想像を超えた鋼鉄による大砲や鉄砲で散々に打ち破られてしまった。


 浅井家の本城小谷城から美濃の国の主城岐阜城に向かって出る時には当主浅井久政の指揮の元7千名もの兵士が出陣していった。

 ところが長良川手前の砲撃により、一方の旗頭で当主の浅井久政は織田家の放った大砲の砲弾の破片を腹部に受けて瀕死の状態となってしまった。

 砲弾の威力に驚き、先鋒の大将である浅井久政の負傷から浅井家が崩れを起こして逃げ出したのだ。

 砲撃により先鋒の大将を討たれた浅井軍は混乱に陥り算を乱して敗走を始めたので、これに巻き込まれるのは危険と見た後方の朝倉・六角家合同軍は浅井軍を救出もせずに先を争って逃走を開始したのだ。

 これによって必然的に殿しんがりは浅井軍がなり、追撃戦を行う織田軍の猛攻を受けることになった。


 追撃戦の先鋒は滝川一益の騎兵隊用の新型鉄砲を持った騎馬軍団5百騎、森可成りが指揮する長槍を持った騎馬軍団2千騎併せて騎馬軍団2千5百騎である。

 俺は8頭立て馬車に乗ってその後方を進んで行く。

 さらにその後ろには野砲10門が馬に牽引されて進んで行く。


 俺の乗る8頭立ての馬車は指揮所であり、ポルトガル船の人一人がやっと持てる小型大砲を積んだ戦車の前身のようなものだ。

 この戦車に俺の妻の帰蝶さんと息子の奇妙丸(信忠)が乗り込み。

 この戦いで本願寺教団の一向宗の僧にそそのかされて俺を火縄銃で暗殺しようとした猟師の権瓶の娘結も乗っている。

 猟師の権瓶さんはその腕を見込んで罪を許して銃兵として雇入れて、そのうえ単独行動を許している。

 猟師の権瓶さん単発の火縄銃を使っていたので、単発だが銃身の長い狙撃銃を渡して出来るだけ敵方の指揮官(侍大将)を狙えと言ってある。


 結も猟師の権瓶の薫陶を受けて射撃の腕は抜群だと言う。

 彼女にはレンコン式の騎兵銃を渡してある。・・・二人とも俺に本当に忠誠を示せるかの試金石だね。

 それに猟師の権瓶さんが逆心を覚えて俺に銃口が向く前に俺の護衛として同乗している柳生宗次郎の剣が権瓶さんの娘結の首を刎ねる事になる。

 柳生宗次郎さん流石に柳生家に連なる剣豪、揺れる馬車のソファーに刀を抱くようにして目を閉じている。・・・後で聞いたが乗り物酔いでそれどころでは無かったようだ。


 道路は2万5千名にも及ぶ浅井・朝倉・六角家合同軍の来襲や追撃戦である。

 更には2千5百騎もの先行する騎馬隊が駆けたことで踏み固められてはいるが、馬車が乗り心地よく進めるほどではないからだ。

 大物の大砲10門を曳く大砲隊も大変だったろう!


 近江の国に入り浅井・朝倉・六角家合同軍が散り散りに分かれ始めた。

 朝倉軍は自領の本拠地越前一乗谷へと逃げ延び、六角軍もまた本拠地観音寺城へとそのまま逃げ延びた。・・・観音寺城は現在の滋賀県近江八幡市にある。安土と言う地名でピンと来た人もいるかもしれないがこの地に織田信長があの有名な安土城を築いている。観音寺城と安土城は東海道本線を挟んで直線で約2,5キロしか離れていないのだ。


 俺が追うのは浅井軍で彼等は浅井家の本拠地小谷城(近江国浅井郡、現滋賀県長浜市)に向かって一目散に逃げようとしている。

 追撃戦に参加している兵士の数は約5千程度、これでは朝倉家や六角家を分散して追えばいくら近代的な武器を持っているとはいえ逆襲されて殲滅されてしまう。

 それに浅井家を攻め滅ぼす戦略上の目的は国友鍛冶集団が住む国友村(近江国坂田郡、現滋賀県長浜市国友町)を抑えることが出来るからだ。・・・う~ん国友鍛冶が造り上げた火縄銃百数十丁がこの戦争の引き金になったともいえるからだ。

 浅井家の本拠地の小谷城と国友鍛冶の住む国友村は直線距離にして約7キロ程だ。

   

 逃げる浅井軍の後方の部隊は次々と追撃する織田家が誇る騎兵隊の新式鉄砲の餌食になっていった。

 火縄銃では考えられない距離からの銃撃、それに弾丸を充填する必要が無いのか魔法のように次々と雨霰のごとく弾を撃ってくるのだ。


 浅井久政の受けた大砲による傷は内蔵をも傷つけたもので、当時の金創医の医療技術がそれ程発達していないために、傷口に馬糞を塗りたくって止血している。・・・う~ん傷口に馬糞を塗りたくるような衛生状態では浅井久政の命も風前の灯火であった。

 小谷城が見える丘の上で遂に浅井久政の命の火が消えた。・・・史実では元亀元年(1570年)の姉川の戦いで国友村を奪われ、天正元年(1573年)9月1日小谷城を俺(織田信長)に攻められて亡くなるのだが、今は弘治2年(1556年)晩秋で17年も前になる。

 浅井久政の首は近習によって切られて、胴体はその山中に埋められ首のみを小谷城へと近習の手によって運ばれた。


 小谷城下に辿り着いた俺は、使者・・・例の笠を竹竿にさして使者を表す。・・・を送った。・・・う~ん小谷城の新城主となった11歳で元服前の浅井長政から送られてきたのは使者の首だった。

 こ!これは徹底抗戦の意思を示す!!

 小谷城、標高495メートルの小谷山に建設された山城で、小谷山の頂上には大嶽城と言う支城が建っていた。

 本丸の他に出丸や月所丸と言われる出城が散在する堅城である。


 これも刀や弓矢による闘争ならば堅城と言って誇れるだろうが有効射程距離5キロを誇る鋼鉄製の新式大砲10門の前にあってはひとたまりも無かった。

 次々と榴弾が発射されて、堅牢に見えた城壁が破壊されていく。

 本丸だけではなく山頂に建つ大嶽城までもが炎を上げている。

 小谷城側から笠を竹竿にさしたさした使者が現れて差し出したのが浅井久政と嫡男浅井長政の首だった。・・・う~ん史実では絶世の美女と言われる妹の市が永禄10年(1567年)に長政に嫁いで二男三女をもうけるのだが!?長政が死んだ今、妹の市の子供達で美人で有名な姪っ子三姉妹、茶々(淀殿)、お初、お江はどうなるの?


 これによって浅井家が滅亡した。

 そう言えば、浅井長政の死後に生き残った市は権六(柴田勝家)と再婚するのだが、その権六も信行の謀反に加担した際に俺が撃ち殺している。

 史実でも俺の今いる現世でも市の幸は薄いようだ。


 燃え盛る小谷城を前に浅井久政と浅井長政の首実検を行う。

 小谷城の本城跡に二人の首塚を造りとむらった。・・・史実?では朝倉攻めの際同盟関係を裏切り後方から挟み撃ちしようとした浅井久政と長政親子に対する憎しみから二人の頭蓋骨を金で固めて酒杯にして酒を飲んだという悪趣味な逸話があるが、俺はそれ程この二人に思い入れが無いので首塚を造ってねんごろに弔うだけだ。

 逃走中に山間部に隠した浅井久政の胴体は野犬等に掘り起こされて食い荒らされてはいたが見つかったが、浅井長政の体は本丸と共に焼け落ちて見つからなかったのだ。

 それで長政の体は桜の木で造り黒衣の宰相大原雪斎の読経が流れる中、彼等を火葬にして弔ったのだ。


 これで弘治2年(1556年)に起きた浅井・朝倉・六角家合同軍による岐阜(稲葉山)城に攻め入った戦いは、逆襲に転じた織田家が浅井家を攻め滅ぼした。

 今の織田家の実力ならばさらに戦線を拡大することはできるが、問題はその後の統治を誰にするのかということだ。

 将来性のある子飼いの将は沢山いるが、その子飼いの将も今のところ猿(秀吉)でさえも19歳になったかならないかくらいだ。

 今いる旧来からの成人家臣は俺をのっけから「尾張の大うつけ」とあなどり、自尊心プライドばかり高くて、実際の能力があまり高くない、そんな将を攻め取った領地の主君になどすれば領民を不快にさせて一向一揆等おこさ足元から瓦解されるのがおちだ。・・・う~んこれはたまったものではない。

 武功第一から考えれば新たに配下に加えた追撃戦の先鋒で戦果を挙げた滝川一益に この近江の国の仕置きを任せることにするのが妥当だ。

 戦線を拡大するか苦慮していたら生き残った朝倉家と六角家から和睦の使者がきて

朝倉家からは家宝とも言うべき九十九髪茄子つくもなすとともに


「攻め取った浅井家の領地を織田家が支配する事を認める。」


というもので俺とすればこれは渡に船とばかりにこれを了承して一応の決着をみたのだった。

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