第67話 降伏

 鷺山城から稲葉山城まで直線距離にして約2キロであることから、斎藤義龍は父道三と弟孫四郎の首塚を造りとむらっている所で、本城稲葉山城に雷のような爆発音と火の手が上がるのが見えた。


 義龍は驚いたそれは、義龍の手元に将軍足利義輝から織田家(信長)に対する討伐令を受け取り、同じく討伐令を受け取った今川が動いたと聞いて


「今こそは好機!道三の御首級みしるしを挙げ、信長の首を刈り取るぞ!」


雄叫おたけびを上げた。

 義理の息子になった織田信長が


「義龍が謀反!」


と聞けばすぐに道三のもとに駆け付けるだろうが、今川方が動けばその対応に今までの戦国の世では短くても半年長ければ数年も対応に時間がかかり救援に時間を要するからだ。

 また義龍は道三から廃嫡をされ孫四郎にその席を譲ったが悶々とした日々を暮らしていた。

 母親の深芳野みよしのが懐妊して義龍を産むまでの期間が微妙なのである。

 深芳野は前守護職で道三にその職を追われた土岐頼芸の愛妾で後に道三の側室になったのだ。

 その為に


『義龍は土岐頼芸の子』


と噂され義龍は廃嫡までされたのだから疑心暗鬼の思いにとらわれるのは当然のことである。

 今川が動いたと聞いて目の前が明るくなり愁眉を開く思いだった。

 その思いから決断し、孫四郎の暗殺から始まり史実では長良川の決戦で道三の首級を挙げるのだが今回は鷺山城を攻め落とした。

 わずか1週間の出来事である。

 自分の事は棚に上げて


「この短い間に信長なんぞが今川を下す事はあるまい。」


と高を括り攻め落とした鷺山城に道三と孫四郎の首塚を造りねんごろに弔っていたところだった。

 その時に大きな爆発音が聞こえた!

 驚いて爆発音が聞こえた方角を見ると居城である稲葉山城からキノコ雲が上がるのが見えた。

 よく見ると、長良川を渡河して稲葉山城に取り付いている軍の旗印は織田木瓜紋おだもっこうもんであった。

 盛んに稲葉山城を攻めているのは父道三の義息子織田信長に違いない。


 斎藤義龍も戦国武将、長良川を渡って稲葉山城に向かって砲撃している織田軍の後背を突くことも考えた。

 しかし父道三と弟孫四郎の弔いの場であったことから、重臣と身内で手勢2百名しかいないのだ。

 義龍は


「事ここに至っては、状況をいかようにしてもくつがえすことはできない。

 我の一命に変えてこの窮地を救わん!」


と弔いに添えられた酒を参拝者の重臣や身内と飲み干し


「さらば!」


と一声別れを告げて織田信長軍に使者として赴いたのだ。

 俺の前に6尺(約180センチ)を超える美丈夫が頭を下げる。

 俺の前に引き据えられた斎藤義龍、俺の見立てでは斎藤道三と目鼻立ちがよく似ており・・・一部残った資料にも斎藤道三が


「斎藤義龍は我の実子である。」


と最後まで言っていたように、本当に実子なのかもしれない?


「我の一命に変えて、城と城に籠る我が家臣をお救い下さい。」


と懇願した。・・・う~ん声まで斎藤道三にそっくりだ。

 そこへ緋色の鎧に身を包んだ帰蝶さんが


「義兄さんのバカ!」


と言うやポカリと義龍の頭を叩くと俺を見て・・・う~ん帰蝶さんのこの目は義龍の助命を願っているのか?

 俺は義龍に縄を打ち稲葉山城からよく見える位置に引き据えて、4尺(約120センチ)もある抜身の大太刀を持って横に立つ。

 義龍は


「我が一命に変えて助命を願っておる、く、城を明け渡せ!」


と大声で城に向かって兵士に呼びかけた。

 その声に呼応して、城に逃げ込もうとして燃え上がる城を見て呆然自失となり腰を落としていた兵は槍を手放し無腰となって平伏し、燃え上がり瓦礫同然となった城内からも降伏を表す為無腰の兵士達が現れた。・・・どうする俺本当に義龍の首を刎ねる?

 俺は織田式鉄砲を持った騎兵部隊を指揮していた帰蝶さんを思わず再度見た。

 非情に徹しきれない帰蝶さんは手に数珠を持ち目を閉じた。

 それを見て葛藤かっとうの末に選んだ答えは


「えーい」


と言う鋭い気合と共に大太刀が銀色の軌道を描きながら振り下ろされた。


『パサリ』


と言う音共に義龍のまげが落ちた。

 俺は義龍に


「義父道三と義弟孫四郎の弔いに終生を過ごせ。」


と言って放免した。

 義龍そのまま得度して圓角上人と名乗り、俺が鷺山に道三と弟孫四郎の菩提を弔うために建立した延命寺の住職としてそこで暮らす事になったのだ。

 

 戦がありその勝敗が決した今戦争の戦後処理が残っている。

 燃え上がり瓦解した稲葉山城に入るわけにはいかない。

 稲葉山城の麓の寺を仮の宿舎にして稲葉山城の復興に当たる。

 俺が復興した稲葉山城の城主になるわけにはいかず、帰蝶さんとの間に産まれたばかりではあるが道三の孫である奇妙丸(後の信忠)を据える事にした。

 城代はこの戦いでも一軍の将の力を示した道三の娘で俺の正妻であり奇妙丸の母である帰蝶さんが務めることになった。

 補佐役として竹中半兵衛(重治)の父竹中重元が就く。


 竹中重元、史実で弘治2年(1556年)の道三と義龍との長良川の戦いでは道三側についている。

 竹中重元の居城は美濃国大野郡(現岐阜県揖斐郡大野町)にあった大御堂城である。

 史実では、この大御堂城に父重元の不在を狙って義龍軍が攻め寄せたが半兵衛が籠城して義龍軍を破っている。・・・何とこの時半兵衛は初陣で、俺や信長とは大違いで勝ち戦であった。


 竹中重元は義龍側に付いていた

安藤守就・稲葉良通・氏家直元

の後世、美濃の三人衆と呼ばれる彼等の助命と配下に加えてもらえるように願いでた。 

 当然了承するが、当然彼等の助命を受けたことから美濃の三人衆を俺の前に引き据える。

 安藤守就ら美濃の三人衆も戦に出ていたので、いくら撃つなと言っても流れ弾は当たるのでいずれも手足や頭に包帯を巻いている。


 彼等の治療を行ったのがおかよさんで、帰蝶さん付きの女官(くノ一衆)達もその手伝いをしていた。

 美濃三人衆の中で特に頭に包帯を巻き腕が折れたのか添え木までしているのが一番若い稲葉良通であった。

 実はこの戦いでは彼が一番軽傷で足に擦り傷を負ってる程度だった。

 なぜ彼がここまで重症になったかというと俺の前に引き据える数日前、斎藤家の負傷者の手当てを織田家がすると言うのを聞きつけて治療所に美濃三人衆が連れだっておとづれたのだ。

 そこには負傷兵を甲斐甲斐かいがいしく治療するおかよさんがいた。

 そのおかよさんの姿を見てを見て悪心を抱いた稲葉良通はおかよさんの前に一物が見えるように擦り傷の足を投げ出して座りこんだ。おかよさんは


「たいした怪我でもないのでそのまま放置していても治ります。」


と伝えると


「俺の一物も見てくれよ」


と言っておかよさんの陰部に手を出した。

 その途端であるおかよさんの横で手伝いをしていた女官が隠し持ったクナイで稲葉良通の腕を叩き返す刀(クナイ?)で頭を打った。擬音にすれば


『バキ』「ギャー 」『ゴン』


である。

 特に「ギャー」という大声が治療所に響き渡り以来おかよさんや女官達に手を出す者はいなかった。


 美濃三人衆が引き据えられて俺の横に座る帰蝶さんの・・・その後ろに立つ女官を見て稲葉良通が驚いた。

 その女官に腕を折られ頭を叩かれたのだ。

 美濃三人衆は特に稲葉良通は痛い頭を地面に頭を擦りながら俺に心よりの忠誠を誓ったのだ。

 

 美濃三人衆の他には森可成もりよしなり大永3年(1523年)生まれだから22歳の若武者が配下になった。・・・この人、森長可、森蘭丸、坊丸、力丸の父親だ。


 戦勝祝いで沸く中、織田信長の知識の師匠で臨済宗の沢彦和尚が


「稲葉山城を落城させ新たな国造りの中心として、稲葉山城を岐阜城と改名しては如何か?」


と尋ねてきた・・・ここは史実よりかなり早いが当然「OK」でしょう。


「これより殿の天下布武です。」


と言ってにこやかに沢彦和尚は立ち去った。

 沢彦和尚、俺が各地で大学を造っては、その総長になってもらっているのでとても忙しい。

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