第63話 今川家との戦の決着
岡崎城を下準備と砲撃により灰燼に帰した。
今川家を岡崎城から追い払ったのは良いが岡崎城の復興など後が大変だ!
それならば岡崎城の復興の資金は今川家に払ってもらう。
そのためには今川家に完勝しなければならない、まずは今川家の本城で今川義元の嫡男今川氏真が守る今川館(駿府城)を先に落とし、次に岡崎城から浜松城に今川義元が逃げ戻るだろうから浜松城を落とすことにした。
そのために欧州丸と九鬼水軍の関船2隻を先行させていたのだ。
朝焼けの空にいまだ紅蓮の炎を上げる岡崎城下を遠目に見ながら俺は海進丸の帆を全帆にして、早朝の風を受け先行する欧州丸と関船2隻を追うようにして一路北上する。
向かうは浜松城を通り越して今川義元の居城今川館(駿府城)である。
今川義元も岡崎城を手に入れさらには名古屋城も落とさんと3万もの兵を率いてきたのだ、これでは今川館を守る将兵の数は少ないはずだ。
先行する欧州丸の艦隊に追いついた海進丸は共に駿河湾に入りひたすら今川館を目指す。
今川館は海岸からほんの2キロの距離しかなく、41センチ主砲だけでなく10センチ砲にとっても造作もない距離だ。
十分に冷え切った41センチ主砲にまたしても焼夷弾が装填される。
『ドーン』『ドーン』
と主砲が火を噴いて焼夷弾がまたも発射され
『ヒュル』『ヒュル』
と飛翔音を上げて真直ぐ今川館に向かって飛んで行き
『ズドーン』『ズドーン』
と爆炎が上がって岡崎城と同様に天守閣や城郭の一部が燃え上がり、今川館から女子供どころか兵までもが城門を開いて逃げだすのが見えた。
守備兵が少なく、その守備兵も精兵は岡崎城攻城のため残っておらずあまり使い物にならない弱兵が残っていたのだろう。
その弱兵達が見たのは織田家の家紋を縫った帆を上げた、今まで見たことも無い巨艦が洋上をゆったりと駿河湾に入港してきた。
その巨大な艦の甲板上にあった黒い筒が今川館に向けられると、その黒い筒からいきなり大きな音と火柱が立った・・・と思いきや次の瞬間、城の象徴である天守閣や城郭の一部が大きな爆発音と共に壊れ、その場所からいきなり紅蓮の炎を上げて燃え上がったのだ。
これまで見聞きした戦いとは違う!
逃げ出した彼等にとっては驚天動地の出来事で、城門を開くなど我を忘れてしまうほどの出来事だったのだろう。
今川氏真もそれを見て
『これでは城郭内でどこに隠れていても、織田家の呪術で殺される。』
と思って震え上がり
「降伏じゃ!降伏じゃ。織田殿へ降伏の使者を送れ。」
と
竹竿に笠をさした(戦国時代では平均的な使者の格好)使者が今川館から馬に乗って海辺に向かって走ってきた。
その使者が大声で
「今川氏真公より降伏の書状を持って参った。」
と申し述べている。
俺はボートを降ろしてその書状を受け取った。
俺は欧州丸と九鬼水軍の関船2隻を今川館から最も近い浜に投錨させる。
欧州丸の艦長はガレオン船を復元したら与えると約束させられていた九鬼嘉隆で、九鬼水軍の関船の1隻は嘉隆の実父定隆がもう1隻には兄の浄隆が船長として乗り組んでいる。・・・欧州丸の艦長に嘉隆が就いたことに定隆さんは素直に喜び、浄隆は暗い目でそれを見ていた。家督争いになりそうだ・・・。
俺はそれを知っているので骨肉相食む争いを他国との戦場でさせるわけにはいかない。
それで嘉隆に任せるよりはと、俺の乳兄弟になる池田恒興を主将にして、嘉隆、浄隆兄弟の父親定隆を補佐官に早速兵士を付けて今川館の掌握をさせることにしたのだ。・・・この機に乗じて今川館の隣国武田信玄や北条氏康が戦を仕掛けてくるかもしれない。ただこちらも無理な戦をして補給線が伸び切っているので武田家や北条家が出てくるようなら撤退してもよいと池田恒興と定隆には伝えてある。
今川氏真からの降伏の内容は、
氏真が正室早川殿(北条氏康の娘)とともに北条家へ行く、人質として氏真の娘を置いていくと言うものだ。
氏真は和歌を
氏真の娘を乳母と共に人質として受け取り海進丸に乗船させた。
池田恒興に今川館の掌握をさせて、今度は反転して、南下して今川方のもう一つの拠点である浜松城を目指す。
この浜松城も海岸から約4キロの場所に築城されている。
今川館もそうだが浜松城もこの距離は41センチ主砲どころか10センチ砲であっても餌食といえる距離なのだ。
この浜松城には岡崎城の大炎上で火傷を負った今川義元が
今川義元も燃え盛る岡崎城から逃げるのに必死で我が艦隊が北上したので、浜松城も砲撃されているかもと思って来てみれば無事な浜松城を見てホーッと一息ついたところだった。・・・ついてきた部下達も気が緩み、城に入ると鎧の紐を解き怪我人の治療と食事にと動き始めていた。
海進丸が浜松城が見える洋上まできたところ、我が艦を追いかけてきた親父殿が乗艦するヘンリー8世号と合流した。
海進丸とヘンリー8世号はその浜松城を砲撃できる位置まで向かう。
海進丸の41センチ主砲が浜松城に向けられる。
41センチ主砲に焼夷弾に変わって榴弾(焼夷弾とは違って弾体内に
『ドーン』
と一弾が発射され、見事に浜松城の城門が吹き飛ばされた。
城を守る堅牢な城門がたった1発で吹き飛んだのだ、これを見て押っ取り刀で今川義元から竹竿に笠を差した使者が海岸線に送られてきた。
気が緩み鎧まで脱いでいたのだ。
それに悪いことに
『今川館陥落』
の凶報が砲弾が落とされる前に届いたいたのだ。
その動揺と砲弾の1発で城門が吹き飛ばされたことにより抗戦する意欲がなくなってしまった。
今川義元が永禄三年(1560年)にあった桶狭間の戦いで雨の降る谷間で、多数の兵を率いて攻め入ったが、雨で奇襲も無いと思ったのか鎧を脱ぎ夕餉を取って緩み切ったところで織田信長の奇襲にあい、抗戦する意欲が無く敗れ去ってしまった。
その歴史が今目の前で起きているのだ。
降伏の使者は先鋒を任された今川義元の重臣朝比奈泰能で、差し出された今川義元の書状の内容はいわゆる無条件降伏であった。
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