第62話 開戦

 天文24年(1555年)進水式を終えて織田家の新たな旗艦となった海進丸は欧州丸そして九鬼水軍の関船2艘を従えて波を切って一路岡崎城へ・・・否!三河湾の吉良大浜港へと進む。


 天文18年(1549年)の安祥城あんしょうじょうの戦いでは小早に2キロも飛ばないヘンリー8世号の鋳鉄製の大砲を積んで三河湾から矢作川を遡上して安祥城に攻め寄せる今川方への砲撃戦であった。

 今回の戦いは海進丸の積んだ41センチ主砲の試射実験も兼ねている。


 進水式を終えた海進丸は今までのガレオン船を少し大きくした、全長70メートルで幅12メートルで舷側に配備される砲は後装式10センチ砲を舷側の左右に10門を配備した。

 海進丸でもっとも特徴的なのはガレオン船のように敵船に乗り込むための前後の高い鐘楼を廃し、その代わりに前後に後装式の口径41センチ主砲が1門づつがその後方には10センチ2連装砲塔が設置された。

 前後の鐘楼が廃されたかわりに中央に高い艦橋を建てたことだ。


 この口径41センチ主砲の試射実験はまだだが、旧日本海軍で戦艦大和や武蔵が建造されるまでの間の連合艦隊旗艦の戦艦長門の主砲と同じ口径で最大射程距離が30キロに及んだと言う。

 この新型41センチ砲を使えば、三河湾の吉良大浜港付近からでも岡崎城を十分に狙える事になる。

 海進丸の進水式がそのままこの船の初陣であり、41センチ主砲の試射実験になったのだ。


 江戸幕府が壊滅し明治維新の時代の幕開けとなった戊辰戦争にも大砲が使われた。

 例えば会津藩の大砲の目標となった若松城(別名鶴ヶ城)の戊辰戦争直後の写真が現存している。

 城壁に穴が開き城も無残な状態になっている。・・・う~んこれを遠目に見て城が落ちたと悲観した白虎隊の少年達が自決の道を選んだのもやんぬる哉である。


 また幕府軍終焉の地となった函館の五稜郭においても函館御役所(奉行所庁舎)を見ると屋敷中央に小さな火の見櫓が取って付けたように付けられている。

 この取って付けたような小さな火の見櫓が大砲の目標になって多数の死傷者を出したと言う。・・・う~んこの火の見櫓、本当に取って付けたのだ設計当初は予定にはなく役人が勝手に設計変更をして艦砲射撃の目標になったのだ。五稜郭の設計者である武田斐三郎たけだあやさぶろうも無念だったろう!


 ましてや今回の戦はそんな事はつゆ知らない戦国武将の城だ。権力の象徴として建てられた城だ!目標は大きい。


 そんな事を考えながら新造なった海進丸の艦橋から海を眺めている。

 この海進丸には弟の信包と秀孝や猿(藤吉郎)、河童(嘉隆)、貴公子(半兵衛)などの将官大学の生徒も乗っている。・・・彼等は階級章の無い白い士官服に身を包んでいる。

 明智光秀が伊勢地方の仕置きを任せている事から、将官大学のまとめ役は18歳になった、この中でも年長の猿に任せた。

 猿は4年前に黒の宰相、大原雪斎が烏帽子親になって元服を終えている。

 将官大学学長の大原雪斎は真黒な士官服に黒いマントをはためかさせて船首に立ってご満悦である。・・・う~ん今年、史実では太原雪斎は亡くなるのだが九鬼定隆同様にまだまだ元気そうだ。


 俺の横には人質になっている犬千代(松平・徳川家康)が藤吉郎達と同じ白い士官服を着ている。

 嘉隆と同年で13歳になったところで、服と同じように顔色が白い。・・・色白な犬千代の顔は白いを通り越して青白くなっている。

 松平家からの人質と言う面からみれば、三河の国で松平家家臣を織田家に引き入れなければならないという重責を担っている。

 失敗すれば人質の命など無くなる時代だ顔色が悪くなるのは当然だ。・・・まあその前に41センチ主砲の砲撃の結果次第で、松平家を引き入れる必要も無くなると思うのだが。


 海進丸は三河湾に向けて進み、随行していた西欧丸は2隻の関船を引き連れてそのまま北上して今川家の本城「今川館」のある駿河湾を目指す。

 海進丸は三河湾に同日の昼過ぎには


『我三河湾に侵入せり。』


と織田式手旗信号によって岡崎城主の庶兄信広に伝えられた。

 休息もとらず急ぐ今川義元の軍の速度からみて、陽も登らぬ翌朝早く、夜陰に乗じて岡崎城を攻撃するものと思われる。

 俺は岡崎城主の庶兄信広に


『火計』


を提案し、策を講じている。

 庶兄信広自分の城を焼くのを嫌がったが、最終的には俺の提案を受け入れて、岡崎城のそこかしこに薪を積み上げ油を撒いて時を待った。

 その頃親父殿と政秀さんはヘンリー8世号に乗艦して

俺と三河湾で合流しようと急いでいた。・・・う~んどうなる事やら?


 その日は鉛を張ったような曇り空で、夜には星影どころか月影も見えない暗い夜になった。

 庶兄信広は城に人がいるように所々に篝火をたかせ、織田木瓜の旗を掲げたままにして夜陰に乗じて岡崎城を逃げ出して、隣城で根来の三郎が城主をしている安祥城あんしょうじょうまで静かに退いた。

 今川義元軍は矢を射かけ、ときの声を上げて無人の岡崎城に突入した。

 反応の無い岡崎城を見て今川義元は諸葛孔明がとった空城の計とさとり慎重を期そうとしたが、兵達が勝ち戦と思った勢いは止めることも出来ず、無人の岡崎城に討ちかかり、易々と岡崎城の城門を開くと次々と今川軍が城内へと突入して行ったのだ。

 庶兄信広から


『岡崎城に今川義元の軍が雪崩なだれ込んだ。』


と、まだ夜明け前の暗がりのなか明かりを使った織田式光信号で送られてきた。

 海進丸の前後に積載された41センチ主砲2門に焼夷弾が装填される。

 焼夷弾:当時は焼玉式焼夷弾で弾丸自体を赤熱させて大砲で撃ち出したが、こんな事は前装式だから出来たのだ。・・・考えた人スゲエ!

 俺の使っている41センチ主砲の焼夷弾は蒸留酒を更に煮詰めた揮発性の高いアルコールを詰めた砲弾でやっと5発しか出来上がっていない。

 最大射程距離が30キロ、吉良大浜港から岡崎城まで余裕の距離であるが、試射実験も兼ねている。

 さすがに30キロも向こうの標的で艦橋より高いマストの上に立つと岡崎城の城の天辺がようやく目視することができる。

 どうなる事やら

『何とか当たってくれ!』

と願いを込めて俺は


「撃て!」


と伝声管を通じて命じる、次の瞬間


『ドーン』『ドーン』


と前後2門の41センチ主砲が火を噴き2発の砲弾が発射される。


『ヒュル』『ヒュル』


と飛翔音を上げて真直ぐ岡崎城に向かって死の天使が飛びたち


『ズドーン』『ズドーン』


と岡崎城に舞い降りた。・・・俺は艦橋を離れそれよりも高いマストの見張り台の上に立つている。俺は異常に目が良いので双眼鏡が無くても岡崎城に着弾する状況が見えた。

 大砲の砲弾もこれまでは単なる鉄や石の球だけであり、俺が使う目標に当たれば炸裂する榴弾や燃え広がる焼夷弾などはまだ無い世界であった。

 海進丸から発射された2発の焼夷弾のうち1発は岡崎城の天守閣に大穴を開け、残りの1発は城門の城郭を見事に吹き飛ばして爆発炎上するのが見えた。

 また炸裂した焼夷弾の炎が岡崎城のそこかしこに撒いた油がしみこんだ薪に火を付け、壁や床に延焼して岡崎城を紅蓮の炎に包んでいく。


 安祥城まで退いていた庶兄信広は紅蓮の炎を上げる岡崎城を見て、勝機と見てとり安祥城の城主根来の三郎の軍も伴って討って出る。

 主砲が発射される間に吉良大浜城の城主をしている俺の乳兄弟池田恒興を海進丸に乗艦させる。

 俺は岡崎城攻略は庶兄信広に任せて、次の攻撃地点を浜松城を通り越して今川家の本城である今川館と定めて海進丸の帆を広げて移動を開始する。

 庶兄信広と根来の三郎の合同軍は岡崎城内で火計で苦しんでいる今川義元の軍を散々に打ち破った。

 今川方は燃え盛る岡崎城を脱出して浜松城へと敗走するのだった。

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