第57話 兄一郎
天文20年(1551年)正月聖徳寺における義父斎藤道三との会見が終わった。
俺は気にも留めていなっかったが、聖徳寺で一人暗い目で俺を見つめる顔に酷い火傷を負った見習い僧がいた。
この男こそ初陣の戦場で俺を後ろから射殺そうとした実兄の一郎だ。
そう俺を実家から追い出して織田信長と出会う切っ掛けをつくった男のだ。
火傷によって面相があまりにも変わり過ぎて俺にはその時はわからなかったのだ。
実兄一郎が火傷を受けたのは俺が初陣で逃げ出した後だった。
俺の初陣の戦いは、美濃の国(現在の岐阜県)で台頭してきた斎藤道三と復権を目指す守護大名の
史実通り土岐頼芸は負けて美濃の国から追い払われたが、問題は一豪族として取り残された俺の実家である。
まさか土地を持って逃げるわけにもいかず、斎藤道三に攻め寄せられた実家の親父殿は籠城戦を決意した。
籠城戦は誰かが助けてくれるならば良いが、土岐頼芸と共に戦った織田家も敗退して応援に駆け付けれるわけもない。
一豪族の城と言っても、山城で土塀に囲まれた豪族の館だ。
火矢を打ち込まれ、館が燃え落ちて実家の親父殿が自害するのに時間はかからなかった。
実兄の一郎は俺の愛刀を見つけた土蔵へと逃げ込み、愛刀のあった穴倉に転がり込んだ。
土蔵は見事に打ち壊されたが実兄の一郎は穴倉に逃げ込んで一命を取り留めた。
その時払った代償が燃える瓦礫で見るも無残に焼け爛れた顔や頭であった。
穴倉から出れば斎藤道三に殺される恐怖と焼け死ぬか酸欠で死ぬ恐怖に怯えながらも穴倉から逃げ出さずにいた。
城を焼く火は雨を呼んだ。
シトシトと降る雨が燃え盛る城の火を消した。
降る雨の冷たさが焼け爛れた顔や頭の痛みを取り除いてくれた。
しかし今度はその雨が穴倉を満たし始めて水位が上がってきた。
今度は水死の恐怖に怯える番だった。
一郎は呪った。
『斎藤道三を、そして運よく逃げ出した次郎(織田信長)を呪ってやる。』
と。
この穴倉どんな原理になっているのかわからないが溜まった雨水はある一定の水位で排出されていった。
不思議な穴倉であるが、このままでは飢えと喉の渇きで死んでしまう。
一郎は空っぽの刀タンスに雨水を溜める事にして喉の渇きを凌いだ。
三日三晩降り続いた雨も上がった。
瓦礫の隙間から雨ではなく明るい日の光が降り注いだ。
斎藤道三の見張りの兵でも残していないかと恐怖に震えながら、雨水を吸って重くなった瓦礫を何とか取り除きやっとの思いで穴倉から出た。
穴倉から出た一郎の見たものは、館は焼け落ち土塀も見る影もなく壊され、支配地の村々も家屋が焼け落ちて黒い塊と屍が燃えた異様な臭いだけだった。
実兄の一郎は
その寺が俺と斎藤道三との会見場所に選んだ聖徳寺であった。
地獄を見、焼け爛れて面相の変わった実兄の一郎は斎藤道三の娘どころか異国の女性を引き連れた織田信長を見て愕然とした。
『弟の次郎が生きている?
それも織田信長だと!
俺は地獄を見て苦しんだのにこいつは何だ!
現世で俺同様に貴様にも地獄の苦しみを味わわせてやる!』
と思って出奔した。
彼が向かった先は戦国大名や領主ならばこの時代苦しめられる一向一揆の総本山である石山本願寺(現在の大阪城)である。
京都山科にあった本願寺は天文2年(1533年)に大阪石山へと本山を移しているのだ。
この当時の門主は第10世宗主証如上人であった。
焼け爛れて化け物様な面相になった一郎は坊官(寺院の最高指導者)
背丈もよく似ており病でかすれた声もよく似ていたことから一郎は下間真頼に成り代わった。
一郎は憎い俺に対する当てつけとばかりに反織田の政策へと大きく舵を切ったのである。
その政策の一つとして室町幕府、当時の将軍足利義輝へとすり寄っていったのだ。
剣豪将軍とも呼ばれた足利義輝は俺、織田信長に殺された北畠具教の塚原卜伝を剣の師とする兄弟弟子に当たる人物である。
北畠具教を打ち殺した人物に当然ライバル(宿敵)と思っているはずだ。
その心をくすぐるべく下間真頼に成り代わった一郎は時々京都の本願寺に赴き、将軍家との密会を行い、一向宗のネットワークを使い着々と織田家に対する包囲網を完成しつつあったのだ。・・・しかし俺を戦場で後ろから射殺そうとする奴だけにやることがえげつない!今後どうなる事やら?
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