第56話 天文20年斎藤道三との会見
史実では天文22年(1553年)に行われた斎藤道三との会見が、俺が織田信長とすり替わった為か天文20年(1551年)の正月に行われようとしている。
それは史実には無い道三の娘の帰蝶さんが嫡男奇妙丸を産み、その知らせを聞いた道三が
「帰蝶が男子を産んだだと?私の孫を見たい!」
と熱望したからである。
斎藤道三との会見の準備が整いつつあった。
ゴム製のタイヤはできなかったものの、最終的には6頭立ての黒色漆塗りの箱型4輪馬車で扉には織田木瓜の家紋を金銀の細工師に造らせて飾りつけも立派なものが出来上がった。
内装関係は帰蝶さんが
「椅子の色は朱色を基本にして、織田木瓜の家紋を刺繍させて豪華なものにしましょう。」
と言って作らせたが、いざ試乗してみると
「お尻が痛い。」
と言って俺を困らせた。
ヘンリー8世号の椅子には綿花が座面に詰まっていた。
赤堀家の爺様が植えた綿花も順調に生育しているのでそれも使った。
それに
『必要は発明の母』
というではないか、座る椅子もサーシャが鉄砲鍛冶師に指示を出して椅子用のコイルを造り、それが入ったおかげでさらに柔らかくなったのだ。
これによって馬車内の居住性も増したのだ。
扉には温室の残りの窓ガラスを
ついでだ、何台も試乗用の馬車を造っている、その馬車の1台を斎藤道三の贈り物にすることにした。
その馬車には斎藤道三が自ら考案した家紋、二頭波を金銀細工であしらい、室内については帰蝶さんが
「父が二頭波を家紋にしたのは海への
と言うので内装は青色で二頭波の家紋が刺繍された馬車を造り上げた。
さらに新築中の名古屋城から斎藤道三と史実でも会見場所として指定された尾張国中島郡富田村(現在の愛知県一宮市)聖徳寺までの間は、織田家の黒鍬者が中心になり道路造りに奔走した。
そのおかげで、ほぼ一直線で路面は石畳で覆われて両側には側溝がある立派な道路が出来上がった。
さすがにゴムタイヤが出来ていないので荒れ地のままを馬車で進む気にはなれなかったのだ。
馬車の取り外しができる窓ガラスはおしのさんと共同経営の名古屋板ガラス工場が現在の豊田市周辺で出来上がった。
馬車は西欧のように貴族の乗り物であり、戦国の世から安定した社会が訪れれば売れるようになると見込んで名古屋板ガラス工場のそばに織田馬車工業という会社まで建てたのは悪乗りが過ぎたかな!?
また九鬼家の波切城では津田監物の指揮の元、後装式の新式大砲や新式銃(織田式ライフル銃)の作製が行われていた、これについては
今回斎藤道三に会いに行くときの銃は旧来の火縄銃600丁・・・ヘンリー8世号やポルトガル船に積んでいたのをかき集めたものだ。・・・の銃隊を連れて行く事にしたのだ。
これでも精悍なものである。
聖徳寺に会見の為の部隊7,800名が集められた。・・・史実でも付き従った家来は7,800名程で朱槍500本、弓・鉄砲500丁を持たせたとあるのだ。
今回は史実に
先の信行謀反の騒動で那古屋城から名古屋城と名を変えた城郭内に集められた兵や何台もの馬車が居並び斎藤道三の待つ正徳寺に向けて出発する。
何か所もの伝令用の馬の乗り継ぎ地点に造らせた放牧場のおかげで大量の馬を織田家では飼っている。
500騎余りの騎馬隊に続いて600丁の火縄部隊、500丁を超える石弓隊と同数の弓隊そして500本もの長い朱槍を持たせ、その後ろに何台もの馬車部隊や輜重隊や兵士が列になって続き、最後にまたも500騎余りの騎馬隊が殿を務めた。
確かに聖徳寺で斎藤道三と会見した際には長い朱槍と600丁もの火縄銃の部隊を見て史実通りに
「我が子達はあのうつけ(信長)の門前に馬をつなぐこと(家来)になる。」
と言って嘆かせたのだ。
織田木瓜の黄金の紋が取り付けられた何両もの6頭立ての馬車にも驚いている。
そのうちの1両の馬車から帰蝶さんがヨーロッパの流行りの胸の開いた真赤なドレスを着て奇妙丸を抱いて降りてくる。
その後ろの馬車からは金髪碧眼美少女のキャサリンとグランベル、そして彫が深い黒髪の美少女、マハラジャのサーシャが黒色のメード服を着て降りてきた・・・開いた口が塞がらないとはこの事だ。斎藤道三あんぐりと口を開けている。
斎藤道三には鉛筆や色鉛筆の他にゴムの木で出来た消しゴムの他には、火縄式の拳銃を1丁と斎藤道三が自ら考案した家紋、二頭波をあしらった馬車を進呈した。・・・この時はヘンリー8世号に積んであった置き時計やガラス製のペンやインクは生産できていない。来年度には渡せるかな?
鉛筆は以前に貰っているから知っていたが、書いた文字が白い塊で
斎藤道三の家紋をあしらったこれだけの馬車は、この時代ではスーパーカーを貰ったようなもので、乗り込んでみても振動が感じられずとても喜んでいた。
それに鬼瓦のような顔をした斎藤道三が孫をあやす姿を見て面白がり。
イングランド風のティータイムをキャサリンとグランベルによって準備がなされ、甘いスィーツに驚きが隠せないでいた。
この会見により同盟が再度確約され、名古屋城から会見地の聖徳寺の間までの道路と同様なものが斎藤道三の居城である稲葉山城と名古屋城までの間整備されることになった。
また廻船問屋の尾張屋の支店が稲葉山城の城下町にも建てられて軍事だけでなく経済的にも、ともに発展することになった。
道三も人の親である
「元気で仲良く暮らすのだぞ、また子供と一緒に顔を見せに来い。
信長は必要ないが。」
等と帰蝶さんに語っていた。
斎藤道三が亡くなるまで毎年正月には会見場所が聖徳寺から稲葉山城さらには鷺山城に変わったものの俺も道三のもとを訪れていたのだった。
その間に斎藤道三の嫡男で6尺(180センチ)豊かな大男の斎藤義龍とも対面を果たしている。
天文23年(1554年)に斎藤道三は家督をこの義龍に渡して稲葉山城から鷺山城に移ったのだ。
俺は
「嫡男の斎藤義龍に家督を譲り渡したことから、時には名古屋の熱田神宮や俺の支配地の伊勢神宮に詣でて見てはどうか?」
と誘うが道三は言葉を濁してくる事は無かったのだ。
斎藤道三との会見は天文24年まで毎年正月に行われていた。
天文24年正月に稲葉山城で俺は帰蝶さんと5歳になった奇妙丸こと信忠を連れて行き無事斎藤道三との会見を終えた。・・・ここからは後日譚になるので・・・。
天文20年から天文24年までの間に織田家の領地内は急速に農業や工業の近代化が図られていた。
赤堀家に渡した綿花も順調に育ち一足早く綿製品が尾張屋から販売されていく。
各大名家には綿布団が流行りとんでもない程の収益をあげている。
ガラス窓も各大名家が無理を言って高額で買い上げていく。・・・ほんと笑いが止まらない。
波切城周辺の鉄砲鍛冶集団が武器を開発し、織田家領内が田畑が俺の生前の記憶にある四角く整地された田畑が豊かな農産物を領民に与え。
河川の上流にはロックフィルダムが造られ、それにより水害の防止だけではなく、渇水期の水の補給にまで役立ち他領と農作物の実りの差が顕著になっていった。
それに不作の年を考慮してヘンリー8世号に積んであったジャガイモを見つけて栽培も開始している。
織田家の領内では大量の牛や馬を飼う牧場が出来上がり、精肉工場や革製品の工場だけでなく、薬師達のおかげで遂に乳製品を造り出す工場も出来あがった。
この時代は乳製品を口にする人は少ない、それで寺子屋制度を充実させようとしているので朝寺子屋に来た子供達に牛乳を飲ませ昼食に牛乳や肉類の副食を無償で提供し、間食としてチーズやチーズケーキ等も無償で提供して食べさせている。
これにより飢餓に飢える子供達が無償の昼食や間食目当てに集まってきた。
集まった多数の子供が教育を受ける機会を得、また乳製品を食べる習慣が身についていったのだ。
食生活が劇変したことで子供の体格が変わった例えば身長である。
戦国時代の大人の平均身長が諸説ありますが今の小学校6年生(12歳男児)の平均身長の155センチ程とほぼ同じだった。
寺子屋に通う12,3歳の男児がその平均身長に迫り始めたのである。
俺の支配地にある寺や神社の荘園(寺領)を次々と取り上げ、その代わりに檀家制度を導入している。
檀家制度は一向一揆に苦しんだ徳川家康が江戸幕府を立ち上げた際に取り入れた制度で、荘園(寺領)を取り上げて一向一揆の芽を摘み。
荘園(寺領)を取り上げられた寺や神社の生活基盤を檀家の寄進によって補い、さらにそこに住んでいる人員把握にも一役をかっているのだ。・・・ただ檀家からの寄進の額も僧兵を雇えるほどの寄進は禁じていた。
また寺や神社には寺子屋を併設するように要望し、その寺子屋に多数の子供達が集まった事から優秀な人材も発掘確保されていった。
このように織田家の領内は、他領に比べると領民が圧政に苦しむことがなく一向一揆なども発生を見ていない。
織田家の鋳造技術の発達が凄まじく明国から輸入されていた
『永楽通宝』
以上の品質を保った織田銅貨が鋳造されて大量に出回るようになり、綿花や窓ガラスの販売などもあって経済の中心が那古屋改め名古屋になっていった。・・・これも伊勢の国を支配下に置いたおかげで現在の三重県南牟婁郡紀和町にある銅だけではない金や銀も取れる紀州鉱山を手に入れたことによる。
俺はまた伊勢の国を手に入れ鉱山の関係から隣接する伊賀の国もほぼ支配下に治めたが、隣接する甲賀の里や柳生家との外交面にも力を注いでいくのだった。
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