第49話 波切城の火入れ式

 俺は長島にある小型の反射炉で出来上がった織田銅貨と金や銀の塊を持って那古屋城の親父殿にご機嫌伺いに行った。

 親父殿は織田銅貨と元になった明からの輸入品である永楽通宝を見比べて


天晴あっぱれなり!これで織田家が日本ひのもとの経済を牛耳った。」


と言って感激している。

 親父殿は大砲の威力も知っており


「これを基にか!?」


と言ってニッカと笑った。


「波切城にも大型の反射炉が出来上がりその火入れ式もあるのだろう、どうれ俺も立ち会うか。」


と言って立ち上がり


「欧州の帆船も手に入れたのだろう、それにも乗せてくれ。」


と言うのだ。・・・史実では親父殿、織田信秀はこの2年後に急死する。

 縁あって親子になったのだ、少しくらい親父殿の我が儘は聞くか。

 向かう波切城の主である九鬼家の当主定隆も健康状態が思わしくないので、病院を建てて入院してもらっている。

 ここにはこの時代では最高水準の医学的知識を持つグランベルを病院長に任命して働いてもらっているので、親父殿にはここで検査入院でもしてもらうか。


 どうも親父殿も九鬼定隆さんも脚気かっけ(ビタミン欠乏症)で無いかと思うのだ。

 この時代ビタミンB1を多く含む肉類は禁令が出ているうえ、豆類の代わりに白米を食するのは京都のお公家さんや親父殿達、戦国大名の統領ばかりで、さらに悪いことに夜には娯楽が少ないこの時代大量の飲酒をして寝るだけだ。・・・脚気にならないわけがない。・・・ただグランベルもこの知識が無いが禁酒と病院食に豆類を主食にさせた。 


 親父殿の願いを受けて津島港にヘンリー8世号が入港してくる。

 このガレオン船、3本マストで全長60メートルにも及び定員600名、鋳鉄製の20ポンド(約9キロ)砲が左右15門づつそれに後方の2門を含めた計32門を持つ大型帆船だ。

 60メートルか・・・駅伝でテレビの解説者が約何秒で何メートル開いた等と言っているが、一般道路の中央に引かれた白線は5メートルで白線と白線の間も5メートルなのだ。実はこれ法律で決まっているのだな!高速道路では白線の長さと間隔も違うのだが。解説と一寸違うなと思いながら見ている。・・・話がそれたが、この白線によってもガレオン船の大きさが体感できると思うのだ。


 親父殿や随行の平手政秀さん等が乗り込み出港だ。 

 随行員には3歳になったお市と犬の信長の双子の姉妹も乗り込んできた。

 信行と林兄弟などは留守居役をすると言って同行を拒んだ。


 ヘンリー8世号に親父殿達が乗り込むのを大原雪斎に薫陶を受けている信包と秀孝が将官学校の白い制服を着て出迎える。

 二人とも桑名新港の戦いで初陣を済ませている。

 お市と犬の姉妹もまるで眩しい物でも見るように信包と秀孝の白い制服姿を見ている。

 親父殿、船が出港すると直ぐに将官学校で大原雪斎に薫陶を受けている信包と秀孝を従えて船内を見てまわる。

 親父殿が鋳鉄製の20ポンド砲を撫でまわしているので、俺は洋上に出ると船員の練度を揚げる為もあるので試し撃ちをさせた。

 ウイリアムズの指揮のもとボンズのジョンが大砲に炸薬そして砲弾を砲口から詰め込み

『ズドーン』

試し撃ちをする。

 その試し撃ちの轟音に親父殿や平手政秀さんは肝をつぶしている。・・・お市と犬の姉妹は船に乗って疲れて眠っていたが、大砲の音にピクリとしただけで眠り続けていたという。鉄砲の発射音で腰を抜かした母親の土田御前とは大違いである。

 見学が済めば、船長室で英国風の午後の紅茶を楽しむ。


 もう一隻のポルトガルのガレオン船が係留されている桑名新港にも立ち寄る。

 解体とそれに基づいた日本初のガレオン船が造船されているのを見学させたのだ。


 英虞湾あごわんの奥まった波切城の港に着く。

 その港の近くに江戸末期に韮山で造られた反射炉とほぼ同じ大きさの反射炉が建設された。

 その反射炉の周りに名張鉱山から鉄鉱石が薬師炭鉱の石炭が山積みされて火入れを今や遅しと待っていた。

 大量の鉄鉱石が反射炉内に置かれ、石炭が積み込まれて遂に火入れである。

・・・あれ!?


『カチン』『カチン』


て火打石かい!?

 マッチは無いのか?

 マッチと言えば実は筆者の住む金沢市の卯辰山の山頂に近い場所に金沢藩・・・加賀藩ではなく版籍奉還(1869年⦅明治2年⦆以降)後は金沢城を中心に金沢藩という・・・の出身者でマッチ業の父として有名な

清水誠

なる人物の碑が建てられている。

 1870年(明治3年)に造船業を学ぶために渡仏してマッチが外国からの輸入品であり、その重要性から国内生産を推し進めた人物である。

・・・と言う訳でこの時代にマッチは無い!

 無ければつくれば良い!

 マッチは燐寸と書く、発火しやすい燐を利用するのだが・・・俺の隣のキャサリン達を見るがマッチが出来るのが1800年代に入ってからなので全く知らないようだ・・・今度はサーシャを見るが・・・ロケット工学には特化しているがマッチについては俺と同じ位の知識しかない。


 武器改良の目標の一つ薬莢の雷管を薬師達が研究中だが、それに使用している物質がマッチの原料にもなるはずだ。

 雷管と合わせて優秀な薬師達に丸投げするか。・・・燐には極めて強い毒性を有する物もあるので取り扱いだけは注意させるかな・・・。


 そんな事を考えているうちに、火打石でやっと藁に火が起こり、石炭にも火が着いた。

 津田監物の言を受けて根来から波切城に移り住んだ鉄砲鍛冶達もモクモクと煙を上げる反射炉を見上げている。

 鉄鉱石がどろりと溶けだして出てくる。


 俺は織田銅貨で鋳造の技術力が高まったが、鉄鉱石による鋳造技術を磨くために先ずはバーベルやダンベル、それらに使うプレートを造らせてみた。・・・失敗すれば鋳つぶせば良い。

 しかしこれで初恋の相手の弓道部の主将の兄貴とやっていたボディビルが出来る。


 反射炉の火入れ式が終わって、親父殿は健康管理の為に波切城の病院に検査入院させる。

 親父殿と一緒に付いてきた市と犬の双子の姉妹は親父殿が退院しても俺の手元に残る事が決まった。

 親父殿が検査入院したところで


「信行や林兄弟が勝手な事をするかもしれない。」


と言って平手政秀さんだけが那古屋城に戻ることになった。 


 俺が嬉しそうに火入れ式で出来た鉄を使ったバーベルなどを使ってベンチプレスをやっていると、火見と三治郎兄妹、仙太郎と長吉君も見学に来た。

 仙太郎君が一番の力持ちで約27貫(100キロ)を軽々と持ち上げた。

 これが契機となってボディビルが流行り、時々重量上げ大会が行われるようになった。

 賞金なら織田銅貨が山ほどある。

 やっぱり仙太郎君が一番の力持ちで100貫(375キロ)デブではないが、この100貫を持ち上げた。・・・う~ん世界記録は500キロだが十分にすごい!


 仙太郎君の見た目もぽっちゃり型の体系からヘラクレス型の体形に変わった。

 これで愚図の仙太郎の面影はない。

 一番変わったのは青瓢箪あおびょうたんのような長吉君がヘラクレス型というよりはもっとスマートなアポロン型の筋肉質な体形になった事だ。


 これを見て長吉君の友人である赤堀家の双子も慌ててボディビルを始めた。

 これを契機として信包と秀孝が行っている将官学校でボディビルが朝の運動になっていった。


 重量挙げもそうだが、最近は寺子屋でも運動会をさせて、その成績上位者を集めて織田家総合運動会を行った。

 最初は子供達だけであったが、成績上位者を将官学校の特待生として招き入れ、将来は織田家の幹部にもなれる事に子を持つ親どもに熱が入り自らも


「御館様、私達も運動会と言うのをやってくれますまいか?」


と懇願があった。

 それではという事で親どもを集めて弓や剣術、馬術で最初は運動会として初めて見た。

 優勝者は一階級特進である。

 これが原因かはわからないが、剣術や馬術では熱が入り過ぎて怪我人が続出した。

 死者はいなったが怪我人には後遺症が残るような者まで現れた。

 その原因はルール規則作りが徹底されていなかったためだ。

 馬術の大会では体当たりをして相手を落馬させたことが原因だ。

 当然俺は


「体当たりを禁止とする。行った者は失格とする。」


と申し渡した。

 剣術の大会では寸止めとはいえ木刀で殴り合っていれば怪我人が出る。

 木刀から竹刀そして防具の作製を行った。

 防具は江戸時代中期位になってやっとそれらしきものが出来て、現在の形に近い形が出来上がったのは江戸時代後期頃と言われている。

 防具職人はあまり多くないが手伝ってもらった。


 防具の中で面金作りが問題だ。

 江戸時代後期に大石進と言う剣客が長沼無双右衛門の面金を突き破り眼球が飛び出すと言う重傷を負わせたと言う逸話が残っている。

 火見や三治郎姉妹にも手伝わせて面金造りを行い強度的にも申し分ないものが出来上がった。


 次は竹刀作りだ。

 竹刀にも問題点がある。某政治家の書いた本に


『某大学との定期戦に鉄片を忍ばせた竹刀を使って対戦し、その竹刀で相手の面を打てば脳震盪を起こして容易に勝つことが出来た。』


と言う趣旨の文書を見た時にその人物の底の浅さを知った。

 また昨今では竹刀の振りの速度を重視するために逆に先細りの竹刀を使い、剣先に竹刀をまとめるゴムを使用しているがそれが重いとスポンジを使い剣先皮が外れて竹刀がばらけて相手を怪我を負わせるという事故が起きている。

 剣道で最も大事な


『剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である』


と言う言葉を忘れた所業である。

 竹林業者に竹刀を作らせて、まだゴムは大量に作ることが出来ないので柔らかい木を使った。


 翌年からの剣術の大会は、防具と竹刀を貸し与えて大会を行い、優勝者と準優勝者にはその防具と竹刀を景品とした。

 翌年の大会からは怪我人が激減して後遺症が残るような重傷者は皆無となった。

 この大会で使った防具や竹刀が朝廷まで噂が流れて、防具と竹刀を献上する事になった。・・・防具についてはこれは別の話であるが後日外交の際の贈り物として使った。

 朝廷に勤める女官達も警護の際に使う薙刀の稽古に使えるように工夫してもらえないかという事で、脛当てや防具さらには稽古用の薙刀も作って見た。

 とても好評であった。


 どうも俺は武官に目が行きがちだが、科挙制度を取り入れて素養を見、科挙制度の欠陥であった詩文のみの教養重視を廃して、実務能力も重視した文官を採用する事にした。

 数学や物理も取り入れた問題を作成させたのだ。

 ただ数学においては中国では度量衡の重さの単位が1斤が16両と定められていたために16進法が使われていた。

 それで中国の古い算盤そろばんでは梁の上側に2つの珠が、梁の下側には5つの珠があったのです。

 それを改めて10進法に統一して、アラビア数字も推奨する事にした。

 寺子屋の子供達は慣れているが、その親や大人たちにはなじみがないので上手く浸透するのには時間がかかりそうである。


 今回の話が反射炉から大きくそれたが、鉄鉱石が波切城の反射炉によって鉄が大量に生産されるようになったのだ。

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