第46話 百地三太夫屋敷の戦い

 名張鉱山の採掘権はこの地の支配者の一人黒田の悪党とも呼ばれた百地三太夫を配下に加えたことから手に入った。

 問題はもう一人の支配者・・・う~ん東大寺なのだな。

 名張鉱山のあるこの地は東大寺の荘園(寺領)の一部なのだ。

 東大寺は奈良県の奈良市内にある古刹で俺が名張鉱山の採掘権を求めてそこまで行くわけにはいかない。

 となれば伊賀市内にある東大寺の別院、観菩提寺(正月堂)が交渉相手になる。

 この観菩提寺は聖務天皇の時代に建立されたのだからこの当時でもおよそ800年の歴史を刻む。

 史実ではこの観菩提寺の伽藍は俺と争った天正伊賀の乱でほとんどが焼失しているのだ。


 悩む必要は無い観菩提寺が伊賀市内にあり、名張鉱山を含む名張市の実質的な支配は黒田の悪党の統領である百地三太夫が行っている。

 それ故に百地三太夫が俺の支配下に入ったのは僥倖である。

 観菩提寺に対して俺は


「百地三太夫が配下に加わり、百地三太夫の支配地にある名張鉱山の領有権と採掘権を俺が手に入れた。」


と書き送った。

 その手紙を受け取った観菩提寺側も意地がある。

 広大な荘園を背景に多数の僧兵を養っているのだ。

 伊賀市内から名張市内まで直線距離にして約16キロである。

 伊賀市内の観菩提寺で養われていた万にものぼる僧兵が弁慶の装いのように白い頭巾を被り、黒い僧衣に身を包み高下駄を履いて幅広の薙刀を担いで、一路名張市内の百地三太夫の館に向かって進撃してきた。

 彼等は口々に


「第六天の魔王!織田信長滅すべし!百地三太夫に鉄鎚を!」


と唱えながらの進軍になった。

 万にものぼる多数の僧兵の動向は伊賀の国に住む伊賀忍者の上忍である服部と藤林からも連絡が入っている。

 また服部や藤林からも進軍する僧兵の動向を見るべく多数の忍者が追尾している。

 またその後ろを身分の高そうな母子3名とそれを守るように武士5名がついて来ていた。


 百地三太夫が大砲の威力を見ただけで一戦も交えずに甲賀者のように俺の配下になったことから、他の伊賀者にすれば驚き呆れたが、それだけの実力のある俺の動向を探り、出来れば百地三太夫と同様に俺とよしみをかわしたいからである。

 それに顔に大傷を負ったとはいえ美貌で有名な歩き巫女の総帥百地の空を俺の身辺に置いたことも大きい。・・・う~ん伊賀忍者の男達から嫉妬をかったかな?


 これだけの僧兵を動員した観菩提寺が敗れれば観菩提寺の勢力は一気に落ちて伊賀の国の実権を伊賀忍者の上忍である服部や藤林が奪うことが出来る、見物である。

 俺の方はと言えば


「観菩提寺の僧兵が動く。」


との報を受けて15ポンドの青銅砲を百地三太夫の屋敷の門前に配置し鉄砲隊や石弓隊が布陣を敷いて今や遅しと待ち構える。

 方や観菩提寺側の僧兵は戦略も何もあったものではない。

 百地三太夫の屋敷が見えるやいなや


「憎っくき仏敵織田信長は目の前ぞ!

 第六天の魔王討ち滅ぼすべき、第六天に味方する百地三太夫に鉄鎚を!」


等と口角に泡を飛ばして、に向かってきた。・・・う~ん各個撃破か!?出来ればまとめて走って来てくれれば良かったのだが。

 敵の僧兵と彼我との距離が50メートルを切ったので、俺は


「石弓1番隊放て!」


と号令する。

 百名の1番隊が石弓を放つ。

 僧兵の一部が矢を受けて倒れる。

 僧兵はまさかその他にも多数の石弓隊が残っている事や600丁にものぼる鉄砲を持った鉄砲隊がいることを知らない。

 観菩提寺とすれば伊賀者の百地三太夫の屋敷を襲撃するのだ。

 他の伊賀者である服部家や藤林家の忍者を使えば、裏切って観菩提寺の動向を百地三太夫側に通報されると思ったのだ。


「織田の弓は100張前後だ。

 勝てるぞ走れ!」


と励ますと後続の僧兵も勢いを増しててんでんばらばらだったものが集まり始めた。

 先頭を走る大男の僧兵が百地三太夫の屋敷の門前に迫ると黒皮の袴を穿き陣羽織を着た俺が長さ約4尺(120センチ)にも及ぶ大太刀を下げて立ち塞がる。


「我は織田信長なり!」


と大音声で告げると駆け寄ってきた大男の僧兵が


「我は観菩提寺の今武蔵坊弁慶なり、仏敵!第六天の魔王!織田信長が目前ぞ!」


と大声を上げて向かってきた。

 僧兵の勢いが増した。

 俺は大薙刀を振りかぶって向かってきた今武蔵坊弁慶を名乗る大男の僧兵を抜き胴で体を真っ二つに断ち切る。

 それが合図で配置されていた残っていた石弓部隊2900名が一斉に


『ブワーッ』『ブワーッ』


と羽音を上げて石弓が放たれ、間を置くことなく鉄砲600丁が丹羽長秀の指揮のもと


『バーン』『ダーン』『バーン』『バーン』


と一斉発射され、2門の青銅砲が


『ズドーン』『ズドーン』

 

と火を噴いた。

 観菩提寺の僧兵の軍団の前方を


「第六天の魔王!織田信長の首を取れば偉くなれる。」


と言う功名心で駆ける者、後方を


「戦争だ怖い怖い。」


とおっかなびっくりで駆ける者にも公平に石弓の矢と鉄砲の銃弾、大砲の砲弾が降り注いだ。


 その最初の一撃で観菩提寺の僧兵3千名の命が失われ、残った僧兵の戦意が失われた。

 戦場にはしばらくの静寂が訪れた。

 その静寂は次の悪鬼の所業の始まりに過ぎなかった。

 石弓部隊はハンドルを回して弦を引っ張り、鉄砲部隊や大砲部隊もカルカを使って器用に次弾を装填していたのだ。

 俺の


「次放て!」


の号令を受けると


『ズドーン』『ダーン』『ブワーッ』


とそれぞれの異音を発しながら石弓の矢と鉄砲の弾、青銅砲の砲弾が発射された。

 最初の攻撃の惨状を見て、あまりのことに戦意を喪失、腰を抜かして大薙刀を杖にやっと立っている僧兵にまたも死の天使が舞い降りた。 

 次の攻撃も3千名近い観菩提寺の僧兵に死が訪れ、生き残った僧兵も杖にしていた大薙刀を手放して腰を落とした。

 生き残った僧兵は4千名程いたが抵抗することなく縛に就いた。


 一万人を超えた観菩提寺の僧兵がたった二度の攻撃で6千名が死亡して残った4千名程も武器を投げ出して降伏した。

 大男の僧兵を切った大太刀に血ぶるいを振るい、刀身の手入れをしている俺の前に百地三太夫が服部と藤林の当主とそれぞれが二十名以上の配下を引き連れてきた。

 二人の当主は平伏し、後続の配下の者までもが平伏した。


「織田の若様。服部、藤林共々、百地三太夫と同様に配下に加えてくださりませ。」


と願い出た。

 すると服部や藤林の忍者の後をついて来ていた身分の高そうな母子3名が武士5名と共に俺の元に駆け寄り、母親と思しき女性が


「守護職伊賀仁木の嫡男とその弟をお連れしました。

 どうぞ織田の若様のお力で伊賀仁木氏を再興させてくださりませ。」


等と告げる。

 服部や藤林にしては、没落した伊賀仁木氏等が話の間に割り込むなど迷惑な話だ。

 俺が


「守護職伊賀仁木氏と名乗るが、何か証があるのか?」 


と尋ねると🕊🕊🕊何も無いようだ。・・・う~ん話にならん!出されても対応に苦しむところだった。

 俺の横に控えた百地の空に顎で合図を送ると、心得たもので百地の空は配下の者を使って伊賀仁木氏を名乗る者を捕縛していった。

 服部や藤林は伊賀仁木氏を名乗る母子を本物と知っていたようだが、・・・俺も落ち目の伊賀仁木氏に無用な肩入れをして大きなトラブルにしたくない。


 織田信長は史実でも毛利氏と尼子氏の争いでは衰退してきた尼子氏に無用な肩入れをしてこれを庇っていたが、最終的には上月城の戦いで尼子氏を庇い切れずに滅亡させている。


 次の問題は俺に牙を剥いた観菩提寺の仕置きである。

 捕虜になった観菩提寺の僧兵4千名に大薙刀の代わりに鍬を持たせて、百地三太夫の屋敷から観菩提寺までの道を整備させる。


 その間に戦いで使用した青銅砲を磨き上げ、鉄砲の手入れをした。

 ある程度百地三太夫の屋敷から観菩提寺までの道が整備されると、俺は2門の青銅砲を馬に曳かせ、鉄砲隊6百名、石弓隊3千名、輜重隊を含めた約4千名を従えて観菩提寺に向かって進軍を開始した。

 道が整備されたとはいえ直線距離で16キロだが、実際は曲がりくねった獣道でこれを整備したとはいえ重い青銅砲を馬で曳いていくのだ半日掛かりである。

 出発すると俺の乗る馬にふわりと百地の空が飛び乗り体を絡ませ、唇を奪いに来た。

 これを見ると・・・う~ん俺は悪くない!悪くは無いが


「尾張の大うつけ」


の所業と平手政秀さん等は頭から湯気を上げて怒りそうだ。

 平手政秀さんの嫡男の五郎右衛門さんは手に入れた名張鉱山の縄張りなどで飛び歩いているのでこの光景は見ていない!・・・鬼の居ぬ間に洗濯だ!


 俺の口を百地の空は舌まで差し込み、舌を絡ませてきた。

 そのうえ馬の歩みに合わせて百地の空が体をくねらせて動き、顔を上気させて喘ぐ。

 周りの兵士もドン引きだ!

 いつの間にか股間を押さえて俺と百地の空から距離を取った。

 それを見て、百地の空は俺の耳元に


「親父殿(百地三太夫)から観菩提寺に東大寺の別当が来ているので会いたいとの事です。」


喘ぎながら呟いた。

 その後は俺と百地の空の乗る馬と付き従う兵の間には不思議な空間が開いた。


 伊賀の国でも一大勢力を誇る東大寺の別院、観菩提寺が見えてきた。

 いくつもの伽藍の屋根が鬱蒼と生える木々の間から見えている。

 先行して道路を造っていた観菩提寺の捕虜となっていた僧兵達はそれを見て一斉に鍬や鶴嘴を捨てて観菩提寺に逃げ込んだ。


 織田家の家紋である織田木瓜や俺の旗印である黄色の絹に永楽通銭の模様と「南無妙法蓮華経」の跳ね文字を掲げている。

 観菩提寺側から高齢の僧侶が使者として訪れた。

 かたわらの小者が長い竹に笠を突き刺しているのは笑える。・・・う~ん笑ってばかりいられない。俺の元居た時代では白旗を停戦交渉や降伏の際に使っていたので今後使用させるようにしよう。俺が降伏で使用するような事が無いようにしなければ。


 ところで、何とこの高齢の使者が東大寺の別当で


「今回の戦は観菩提寺の僧兵が勝手に行ったものである。

 逃げ込んできた僧兵は、破戒僧として還俗させる。

 織田殿がどのようにお使いになっても当方は知らぬこと。」


と言って手を挙げると観菩提寺の門が開き、ふんどし姿で荒縄にうたれ、口には鰯を咥えさせられている何千もの男達が姿を現した。


「観菩提寺の僧兵が勝手に戦を行ったとはいえ、迷惑をかけたのは間違いない。

 名張鉱山付近の荘園(寺領)を織田殿に正式に引き渡す。

 また名張鉱山の採掘権についても正式に引き渡すつもりだ。」


と言ってまたも手を挙げると三方(寺院だから三宝か)に巻物4巻を載せて僧が歩み出た。

 東大寺の別当がその4巻のうち2巻を手に取り、残りの2巻を俺に手渡す。

 別当は手元の2巻のうちの1巻を手に取り朗々と読み上げる。

 名張鉱山付近の荘園(寺領)の引き渡しで、次に読み上げたのが採掘権の放棄の文である。

 俺の手元に2巻の巻物にも同様の文で、別当が手元の2巻を署名して俺に渡し、俺も俺の手元にある巻物を署名して別当に手渡した。


 戦にでもなるかと思ったが名張鉱山を巡る戦いはこれで終焉した。

 ただ東大寺の別当を見ていて思い出した。

 永禄10年(1567年)に三好三人衆と松永久秀によって東大寺の大仏院や主要な堂塔が燃やされたのだ。

 史実では信長は天正元年(1573年)に東大寺に乱暴狼藉を働かぬようにと通達を出している。


 東大寺との講和には問題が山積している。

 まだ俺の攻め取った領内の仕置きもままならないので、東大寺のある奈良で力をつけつつある松永久秀や筒井家と争うわけにはいかない。 

 それにこの場で東大寺と講和すると観菩提寺までも講和する事になる。

 伊賀の国の上忍である服部や藤林は観菩提寺とまだ明らかに敵対関係になっていないが観菩提寺の伊賀国内にある残りの荘園(寺領)を欲しがっている。

 服部や藤林の関係もあり名張鉱山関係だけを持って今回の百地三太夫館の戦いの矛を収めることにした。

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