第45話 鉄鉱山

 尾張の国は美濃の国や伊勢の国、三河の国に挟まれ、知多半島を含んだダイヤモンドのような形をした国であり、農地は多いが優良な鉱物の産出は無い。

 伊勢の国(現在の三重県)を手に入れるまでは鉄鉱山も炭鉱(亜炭はある)も無い状態だった。

 俺は北畠家を攻め滅ぼしたことにより、紀伊半島のうちの伊勢の国を手に入れ、伊勢の国に隣接する志摩の国の国主九鬼定隆が降伏を願い出たことからこれも手に入れることが出来たのだ。


 紀伊半島は鉱物の宝庫と言っても過言ではない。

 史実でも大宝3年(703年)に紀伊の国から朝廷に銀が献上されたという話も残っていることからだ。

 鉱物の中でも特に鉄鉱石は旧来からの日本刀のような武器だけではなく、この時代の最先端兵器の火縄銃を造り出す為の戦略物資と言えるのだ。


 同盟者である斎藤道三が治める美濃国(現在の岐阜県)に柿野鉱山(現在の岐阜県山県市)という鉄鉱山がある。

 この柿野鉱山から産出する鉄鉱石のおかげか、柿野鉱山のお隣には「関の孫六」という刀工で有名な関市があるのだ。

 鉄鉱石は大量に欲しいところではあるが、それでもやはり同盟国とはいえ大量の鉄鉱石を購入するには問題があったのだ。


 問題と言えばこの紀伊半島は現代で言えば三重県・奈良県・和歌山県と3県を揚げる人は多いだろうが、戦国乱世のこの時代では有力な戦国武将が現れず群雄割拠している状況だった。・・・う~んその有力な戦国大名になるはずの北畠家を俺が攻め滅ぼし、有力な戦国武将の九鬼家を配下に治めてしまった。

 残った有力な戦国武将としては、例えば奈良県では守護職の伊賀仁木氏の力が衰退して、その代わりに台頭して力をつけてきたのが筒井家や三好家の家臣である松永家などが挙げられる。

 松永家の当主は天文19年(1550年)頃では戦国の三梟雄さんきゅうゆうの一人松永久秀である。

 戦国の三梟雄は斎藤道三・松永久秀そして三人目が問題で北条早雲または宇喜多直家とする説があるのだ。

 松永久秀は永正5年(1508年)生まれで天文19年では42歳と脂の乗り切った年で信貴山城の城主で筒井家と争っている頃である。


 ただ奈良県の領地を筒井家や松永久秀で分け合っていたわけでは無く、その他には多数の豪族と東大寺や興福寺それに春日大社等の有力な寺院が広大な荘園(寺領)を有しているのだ。

 有力寺院は荘園から得られる利益を背景に僧兵等を養い群雄割拠に拍車をかけているのだ。

 これは他県でも同様で、例えば紀伊の国(和歌山県と三重県南西部)では鉄砲の産地や根来忍者で有名な根来寺や世界遺産として名高くなった熊野那智大社を始めとする熊野三山と呼ばれる寺院や花の窟神社等の有力な寺院があるのだ。

 それに鉱物資源の宝庫である紀伊半島はそれを手に入れようとする事からさらに群雄割拠に拍車をかけ混沌とした状態になっているのだ。


 鉱物資源の宝庫である紀伊半島にも戦略物質である鉄鉱山がある。

 それも今回の戦で攻め滅ぼした北畠家の領地である伊勢国内には名張鉱山という鉄鉱山があるのだ。

 その名張鉱山の名張と言えば三重県名張市を指して、名張市には東大寺の荘園があった、その理由が現在も毎年3月に行われる東大寺のお水取りの行事の一部がこの名張市で行われている事から東大寺の荘園だったことがうかがえる。

 名張市では東大寺の荘園の他にも『黒田の悪党』と呼ばれる自治勢力が武装化して独立を果たした地域でもあるのだ。

 この黒田の悪党とは伊賀の忍者集団のことであり、名張市には上忍の一人百地三太夫の屋敷跡があるのだ。


 史実ではこの名張市や伊賀の国を中心として天正7年(1579年)から天正8年、そして天正9年(1581年)の2度にわたり伊賀忍者の策動(悪いたくらみ)から伊賀忍者殲滅作戦(天正伊賀の乱)が信長によって行われているのだ。


 この様な政情不安定な場所である名張鉱山の仕置き(領主支配)を誰にするかだ。

 戦略物質を生み出すこのような重要な地を手放すわけにはいかず、それに敵対するであろう信行派閥の家老を使うわけにもいかないのだ。

 それならば俺自らの直轄領として・・・う~ん俺がいつもいられるわけでは無いので問題は俺の代わり、代官を誰にするかだ?

 黒田の悪党を刺激させないような人物?・・・いた!伊勢国が手に入り北畠家から襲われる緊張感が抜けたのか少し呆けたようになっている桑の里の作事奉行である平手政秀さんの嫡男五郎右衛門さんだ。彼を名張鉱山の代官に任命した。


 ただまだ伊勢国の北畠家の支配地を手に入れたところであり、名張鉱山の地を治める黒田の悪党、百地三太夫と東大寺の荘園を手懐けてはいない。

 その双方を俺の支配下に置き、名張鉱山の採掘権を取り上げなければいけない。

 鉄鉱石は誰にとっても有用な戦略物質であり、それでいつ北畠家がなくなった混乱に乗じて名張鉱山に隣接する伊賀の国や奈良を有する大和の国から攻めこまれる可能性のある場所なのだ。


 先ずはこの地の一方の支配者である黒田の悪党で上忍の一人、伝説的な忍者百地三太夫に会う事にしたのだ。

 ところで伊賀忍者の上忍三家と言えば服部・百地・藤林である。

 一人の主君に忠義を尽くす甲賀忍者と違い伊賀忍者は金で主君との契約関係が成り立つのだ。

 伊賀忍者と主君との関係は「金の切れ目が縁の切れ目」で金の支払いが終われば敵方に回る事もあるのだ。


 俺はいつも通りに黒皮の袴と陣羽織そして大太刀を背負い杖代わりに木刀を手に持つ。

 付き従うのは名張鉱山の代官に任命する五郎右衛門さんとその配下、俺の虎の子の鉄砲隊6百名それを指揮するのは新たに雇い入れた丹羽長秀、それに石弓隊3千名、ヘンリー8世号に乗っていたボンズのジョンとその乗組員として身軽さの関係から雇い入れた伊賀忍者である。

 百地三太夫との交渉の為にも伊賀忍者を連れてきたが、伊賀は下忍と上忍の身分の差が厳しく上手くいかないと連れてきた伊賀忍者は及び腰だ。

 それが駄目なら百地三太夫との交渉材料としてはポルトガルのガレオン船に載せてあった15ポンド(約6,8キロ)の青銅砲2門とヘンリー8世号にあった置時計の複製品である。

 15ポンド青銅砲に車輪を付けて馬に曳かせていくのだ。


 多気御所を出て百地三太夫の邸宅まで直線にして約20キロ程だが、この当時は獣道で曲がりくねっており道幅も狭く整地などされていない。

 今の時代は直線の高速道路網が完備されて20キロなどあっという間だが、重い青銅砲を馬に曳かせていくのだ、このわずかな距離を行くのに二日がかりであった。

 百地三太夫には


「戦をするわけでは無く講和の為に行く。」


と連絡はしてあるが、つい最近俺が使った大砲で北畠晴具きたばたけはるともが肉塊になったのだ。

 当然情報戦にたけた伊賀忍者の上忍の一人である百地三太夫はその事実を知っている。

 俺がその大砲2門を馬に曳かせこの時代の新兵器の鉄砲600丁、石弓部隊3000名、荷駄隊を含めれば4000名以上の兵士で進軍してくるのだ、百地三太夫としては戦々恐々の心持だったろう。


 ちなみに鉄砲は戦国時代の末期には100万円前後であるが、鉄砲伝来が天文11年(1542年)であり、この当時やっと鉄砲が出回り始めたところなのでその価格は5倍以上はしたのだ。・・・それが600丁だよ・・・30億以上!

 鉄砲の威力よりも優れ、この当時ではまったく手に入らない大砲は鉄砲の当時の価格のその百倍にも千倍にも価値がある代物なのだ。


 百地三太夫の屋敷が見えるあたりの空き地で早い昼食休憩と青銅砲の覆いを払い磨き上げる。

 さすがにこの場所まで来ると獣道から人の歩く農道へと変わっていった。

 俺は忍者の襲撃を恐れて、あまり広くもない空き地の中央で床几に座り握り飯を頬張った。


『殺気!』


俺の頭の上から殺気が降ってきた。

 近くには大木が生茂っていたのでその中の一本に身を潜めて機会をうかがっていたのだ。

 俺が昼飯を食べて気が緩んだと思い細い枝を伝って俺の頭上近くまで走り、そこから俺に向かって飛び降りて攻撃してきたのだ。

 俺は握り飯を捨てると上も見ないで手に持つ木刀を殺気に向かって突き出す。

 

「フフッ、残念ね」


 その声に反応して俺が上を仰ぎ見れば、何と俺の突きだした木刀の先に豊満な胸を持つ「くノ一」が片足を乗せているではないか。

 俺が木刀を振るうとこの「くノ一」トンボを切っ(宙返りをし)て見せる。

 護衛の兵達がざわつき槍を手に持ち石弓に矢を番える者まで出てきた。

 ところがそれを見て「くノ一」艶然と笑って


「百地三太夫の娘で信長様に遣わされた使者で百地の空という者、敵対する気はない。」


と言って両掌りょうてのひらをヒラヒラと振って見せた。

 百地の空は両目だけ出した黒い頭巾をかぶり、日本人離れした長い手足を持ち、丈の短い黒い着物からその長い足を見せつけている。

 百地の空の案内で百地三太夫の屋敷についた。

 百地三太夫の屋敷も赤堀家の屋敷同様に一寸ちょっとした門がある程度の館でその門前に眼光の鋭い爺様が待ち受けていた。

 この眼光の鋭い爺様が伝説の忍者百地三太夫である。

  

 屋敷内の客間に通されて百地三太夫と講和と言う名の商談に入る、最大の課題が


「名張鉱山の採掘権の譲渡」


である。

 どの領主も手放したくない戦略物質を生み出す鉱山である。

 俺には秘策があった、それが無理をしてでも馬で曳いてきた青銅製の大砲が名張鉱山の採掘権の譲渡の対価である。


 青銅砲の威力を見せなければいけない。

 ちょうど百地三太夫の屋敷の側には一本の木が生えているのでそれを的にする。

 俺は百地三太夫と共に屋敷の外に出ると門前には青銅砲がその木に向けて砲門を設置していた。

 出てくる俺を、待ち構えていたボーズンのジョンが指揮して、青銅砲に砲弾を装填する。

 俺が


「撃て」


と短くジョンに命令する。


『ズドーン』


と轟音が辺りに響き渡り、見事に木に命中すると


『メリメリ』


と異音をたてながらへし折れた。

 黒田の悪党と呼ばれるような百地三太夫は


「先の戦で北畠晴具が大砲なる兵器によってひき肉になったと聞いた時は半信半疑だったが、本当のことだった。」


つぶやいて顔の血の気もひいたようだ。

 再度館の客間に戻って講和を続ける。

 すると直ぐに百地三太夫は座を立って下座に座り直すやいなや平伏して


「若様!若様の配下の一員に加えて下さりませ。

 人質として案内にたてた我が娘の百地の空を差し出します。」


と言うではないか!・・・う~ん大砲による脅しが効きすぎたか?

 横に控えた百地の空が黒い頭巾を脱ぎ取ると右頬に大きな刀傷のある美女が現れたのだ。・・・その刀傷が美貌に凄みを加え、また美貌に拍車をかけている。


「よかろう」


と俺が短く答えると、百地三太夫と百地の空が顔を見合わせて


「このような傷物でもよろしいのか?」


二人声をそろえて尋ねてきた。

 天正伊賀の乱を知っている俺とすれば当然の事だ。・・・う~ん美貌もあるが百地の空の体術も捨てがたいのだ。へんに答えるわけにもいかず。


「良い。」


と短く答えておいた。

 百地の空は歩き巫女の総帥で自らも歩き巫女として各地を回っていた時に折悪しくその地を治める豪族の家に滞在していた剣豪塚原卜伝と出会い間者と見破られて顔を切りつけられたそうだ。・・・う~ん塚原卜伝さんに会っても命を命永らえるとは何たる強運!

 後日譚ではあるが俺と百地の空との間に出来たのが百地丹波である。


 史実の百地丹波は弘治2年(1556年)生まれで天正伊賀の乱で織田信長と激しく戦った人物である。・・・う~ん史実と小説の違いか!?

 これによって名張鉱山の採掘権を得たのだ。

 名張鉱山の代官に任命した少し呆けていた五郎右衛門さんも鉱山の防衛の為の砦造りと黒田の悪党との交渉をする事でシャッキリしたようだ。

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