第42話 桑名新港崩れ

 天文19年(1550年)正月。

 三重県(伊勢国)領主である北畠晴具きたばたけはるともが桑名新港に向けて領地奪回のために侵攻を開始した。

 桑名新港は元々北畠晴具の寄子で豪族の赤堀家の領地だったものを俺が財力で二束三文の土地を買い上げて拠点化したものだ。

 それに前年の

「桑名港の戦い」

で北畠晴具の支配地の桑名港を失って大きく税収入を減らした。

 さらにあろうことか北畠家の寄子として桑名周辺を支配していた豪族の赤堀家までどんな手妻てづま(手品の事)を使ったか知らないが何時いつの間にか織田家の支配下に入ってしまった。


 北畠晴具の不幸は続く、伊勢国内では前年は不作どころか害虫被害もあいまって凶作となり年貢を納められる領民はほとんどおらず、納められた年貢米も籾から外皮を取り去った中身はほとんど無かった。

 それに反して織田家では耕す土地の形状を変え、整然と稲を植えた。

 また良質な種籾たねもみを選ぶ方法を編み出したとかで、中身の無い籾など無く豊作だったという。


 この様な状況であっても伊勢国の領主北畠晴具は領民を慰撫いぶするどころか重税で圧政を敷いた。 

 伊勢国内に圧政による反発と飢餓感が高まり一向一揆がいつ起こっても不思議ではない状況にまで追い込まれていったのだ。


 武力においても織田家にはイングランドのガレオン船を手に入れ、沈没寸前だったとはいえポルトガルの船まで手に入れてさらに国力を増している。

 このままでは北畠家は織田家に飲み込まれてしまう。

 ただ一筋の光が見えた。

 今川が攻めた安祥城あんしょうじょうの戦いで何故か勝利を目前にしながら「敵前逃亡」

するように織田信長が逃げ出した。

 北畠晴具は織田家では信長を「大うつけ」と呼んでいるように信長には軍略の才が無いと見たのだ。

 それで北畠晴具は飢えた領民が一向一揆を起こす前に


「桑名新港の倉庫内に大量の稲がある。

 桑名新港を落とせば食える!」


と焚きつけたのだ。

 飢えた領民は一向一揆を起こすか、逃散寸前であったが食う為に北畠晴具のもとに集まり、彼等は与えられた武器を持って


「桑名新港に行けば飯が食える。」

「桑名新港に行けば食える!」


と念仏のように唱えながら桑名新港に向かって進軍を始めた。

 北畠晴具の主城多気御所内にあるあるったけの武器を集まった領民に渡した。

 その後も飢えた領民が集まってくる。

 渡す武器も無くなったので、ついには竹やりを渡した。

 そう、桑名新港が見えるころには5万にものぼる兵が集まったのだ。


 押し寄せる北畠晴具の軍は5万名、対する自軍、織田信長軍は桑名周辺の兵を集めても5千名にも満たない。・・・う~ん10分の1の対戦だ!これだけ見ても俺には分が悪い戦いだ。

 史実では永禄3年(1560年5月19日)に起こった桶狭間の戦いでは、今川義元が率いる2万5千名の兵を織田信長が2千名程の兵で奇襲という形で打ち破ったのだが、烏合の衆とはいえ5万名もの兵を北畠晴具が集めたのだ・・・今回は奇襲戦は無理だ。

 その代わりに織田軍にはポルトガルのガレオン船の15ポンド(約6,8キロ)青銅砲45門がある。

 俺はポルトガル船を手に入れた段階で北畠晴具の進軍を予想して準備をしていた。

 桑名新港を半円で守るように青銅砲は45門が配備されている。

 大砲の前面にはむしろを使った土嚢が積み上げられ青銅砲の上にはポルトガルのガレオン船の帆布で覆われている。

 帆布が取り払われ青銅砲を配して満をす織田軍。


 青銅砲のみでは烏合の衆とはいえ5万人もの兵だ、新桑名港に侵入される恐れがある、それでさらに手を打って準備を整えて戦うしかない。

 新桑名港から離れる事500メートル程の地点で先の矢作川で浮き橋の爆破に成功した明智光秀が空を見上げ周りを見渡して場所を確認しながら工兵に指揮し、その場所を工兵が土を堀、爆薬を置き埋め戻してから何やら作業をしている。


 戦闘開始予想時間1時間前でそれらの作業が終わり、戻ってきた工兵が予備の部隊に編入される。

 土木作業用の工具も戦国時代の日本国内には無かったであろう鉄製のスコップや鶴嘴を作って工兵部隊に使わせているので、作業はその当時としては画期的に速い。

 大砲には女性兵士達がとりつき、火薬や砲弾を詰めている。

 火縄銃を担いだ6百名もの兵士達も大砲の設置陣地の後方に控える。・・・こちらも女性兵士が多い。

 その他にもクロスボウを抱え馬に乗った兵3千名も待機している。


 物見から北畠晴具が指揮する5万もの兵が新桑名港に約5キロの地点に近づいてきた。

 彼等の大半が徴兵された農民や雇われた僧兵で北畠家で配られた槍を持たされ、竹やりまで持たされ簡素な胴を巻いている。

 彼等はうち続く飢饉のせいで飢えている。

 北畠晴具が唱える

「打倒尾張の大うつけ」

等どうでもよい。

「豊かな桑名に辿り着けさえすれば腹一杯飯が食える。」

と聞いた餓死の恐怖を振り払うために戦いに出たのだ。


 北畠晴具軍は飢餓にさいなまれながらも桑名新港を視認できる地点まで辿り着いた。

 そこには小川のようなか細い川が流れており、この川が北畠晴具軍にとってはこの世とあの世は分かつ三途の川になった。


 まず、北畠晴具軍のわずかばかりの食料を運ぶ輜重しちょう隊が襲われ食料から火の手が上がった。・・・北畠晴具軍に紛れ込んだ忍者部隊が火を付けたのだ。

 食料の焼ける香ばしい匂いが北畠晴具軍の空腹にさらに拍車を掛けた。


 桑名新港の織田軍では昼餉の握り飯が各人に運ばれ味噌汁が配られている。

 味噌の美味おいしそうな匂いまで漂ってきた。

 飢えが頂点に達して見境がつかなくなり、桑名新港に向かって彼等は駆け出した。

 彼我との距離が800メートルを切ったところで、織田軍の大砲陣地から


『ドン』『ドン』『ドン』『ドン』『ドン』『ドン』


と一斉に大砲が発射された。

 密集して向かってくるので、砲撃の効果は絶大なのだがこの程度では止まらない。

 先頭を走る兵士が桑名新港から500メートルを切った。

 するとその先頭を何かにつまづいたのかバッタリと倒れた。

 後続の兵は気にすることなく駆け抜けようとするが、その瞬間

『ドカーン』

と言う轟音と共に地中が膨れ上がり、周りにいた兵も次々と倒れる。


 地中に埋めた爆薬にはピアノ線のような丈夫な鉄線が罠のように置かれていた。

 そのピアノ線を引くことにより、最近出来上がった雷管を爆破させて爆薬に火を付けるのだ。

 雷管は出来たがまだまだ大型で、銃の時の薬莢に取り付けるほど小型化には成功していない。

 雷管の発明は火縄銃のような前装式を近代的な後装式に変えることが出来る画期的なものだ。

 大砲や銃の連続発射が可能になるのだ。


 大砲の砲弾や地中に埋めた爆薬により倒れた兵士をそれでも後続の兵は踏み越えて行く。

 飢餓によって起こされた大波はこの程度ではまだまだ止まらない。

 北畠晴具軍の先陣がついに桑名新港の城壁に辿り着いた。

 その間、織田軍の大砲陣地から4度の一斉発射が行われた。

 大砲による死者は4百名、地雷によって吹き飛ばされた兵は1千名を超え、更には重軽傷者を含めて負傷者はその約4倍の6千名を超えた。


 さすがに北畠晴具の勢いは砲撃と地雷、更には桑名新港の城壁によって押しとどめられた。

 桑名新港の城壁に着いた途端


『ドワーン』『ドワーン』『ドワーン』


という600丁にも及ぶ火縄銃の一斉発射の音と


『ブーワ』『ブーワ』『ブーワ』


という3千ものクロスボウの矢がかなでる飛翔音が聞こえて、この一撃で3000名以上があの世へと旅立っていった。

 その時北畠晴具は中軍を指揮し、その姿は桑名新港を見渡せる小高い丘の上であった。

 その小高い丘は桑名新港から2キロの地点で、沿岸からも離れる事2キロの地点にいたのだ。

 北畠家の家紋である笹竜胆紋が北畠晴具の所在を示すように風であおられている。


 俺は迷うことなく鋳鉄製の大砲の有効射程距離までヘンリー8世号を走らせる。

 ウイリアムズが距離を確認してうなずく、俺と船長のキャサリンは


「よし目にもの見せてくれるは!砲撃準備!」


と声を合わせる。ボーズンのジョンがそれを見て苦笑いしながら


「装薬を詰めろ!砲弾を押し込め!砲門を開け!」


と次々に命令を下す。

 砲弾を詰められた鋳鉄製の大砲が舷側の砲門から砲身が海へと押し出される。


「ファイアー!」「撃て!」


と俺とキャサリンが同時に号令する。


『ドン』『ドン』『ドン』『ドン』『ドン』『ドン』『ドン』『ドン』


という砲撃音が海上から響き渡る。

 鋳鉄製の大砲の砲門が火を噴き押し出されていた砲身がその反動で船内へと押し戻される。


『シュルシュル』『シュルシュル』『シュルシュル』


と砲弾が飛翔音をあげながら飛んで行く・・・するとその1弾が、小高い丘の上で馬に乗って戦況を見ていた北畠晴具を見事に吹き飛ばした。


 ヘンリー8世号の舷側配置の鋳鉄製大砲15門の一斉発射の威力である。

 北畠晴具は桑名新港に北畠軍が距離800メートルを切ったところで、発射された織田軍のブロンズ色に輝く新兵器青銅砲の威力を思い知ったが、青銅砲の弾の飛ぶ限界も知った。

 彼は新桑名港を離れ3本マストに白い帆を広げるガレオン船を見かけてはいるが、青銅砲の弾の飛ぶ限界よりも遠い。

 ヘンリー8世号の積む鋳鉄製の大砲が青銅砲の弾の飛ぶ距離よりも2倍以上も飛ばす事が出来るとは思わなかったのだ。・・・う~ん油断である。


 重い大砲の弾とその弾の持つ運動エネルギーによって北畠晴具を肉片へと変えた。

 いくら大軍を有していたとはいえ総大将が倒されたのだ、北畠晴具の率いる軍はその砲撃で攻勢から敗走に転じた。・・・総大将を討たれて敗走する事をと言うが、今回の戦いは後年

「桑名新港崩れ」

として名を残したのだった。


 飢餓よりも今度は眼前の生への執着が優った。

 北畠軍は武具を捨て一目散で故郷を目指す。


 明智光秀にクロスボウ騎馬部隊3000名を使って掃討戦を命じる。

 その後方を輜重兵部隊に命じて握り飯と味噌汁を作らせる。


『右手にコーラン左手に剣』


ではないが、食糧を与える代わりに服従を誓わせながら制圧していく。

 ただ光秀には北畠家の本領である多気御所まで攻め込まないように言ってある。

 多気御所は本格的な山城で確かに攻め込み辛い。

 制圧地域は、現在の三重県の県庁所在地「津市」までとして制圧拠点として津市に津城を築城させ城主を明智光秀をあてる。・・・これ以上攻込むと志摩半島を領地としている九鬼家(九鬼水軍)を敵に回してしまう事になる。


 明智光秀は前回の安祥城攻防戦で矢作川で今川方の渡河用の浮橋の爆破、今回の桑名新港での戦いでも新兵器の地雷により敵北畠軍の将兵を多数死傷させるなど目覚ましい戦果を挙げている。

 将官大学の餓鬼どものまとめ役か!?・・・新たに築城した津城の隣に将官大学の校舎を建てて面倒は見させるぜ。・・・史実じゃ俺を暗殺した男だが有能な男だ。


 津城建設の邪魔が入らないように俺の乗っていたヘンリー8世号はその付近の海上で示威行動をとる。

 俺はといえば津城の築城状況の見学と尾張屋、特に飢えた領民の為の三河屋の支店の開設準備中だ。

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