第41話 天文19年攻めてきた北畠晴具

 天文18年(1549年)11月、今川方は庶兄信広が守る安祥城あんしょうじょうを攻撃しもう一息で攻め落とし庶兄信広を捕縛して人質に取ろうとして勝機が見えかけたところであった。

 その、攻めかかる今川方の総大将で黒衣の宰相(大原雪斎たいげんせっさい)を俺が放った大砲の一弾が彼を打倒すという幸運があり、陥落目前の安祥城から今川方は撤退した。


 これにより三河の国を巡る今川と織田の派遣争いは織田側の勝利に終わった。

 史実と大きく異なってきている。

 年が明けて天文19年(1550年)正月、正月祝いと今川との戦いにおける論功行賞のために織田家の重鎮の家臣団が那古屋城に集められた。

 本来ならば今川方の総大将を俺の大砲が放った一弾が打倒したのだが、今のところ炸裂弾のような派手な砲撃では無かったために、俺の放ったラッキーパンチは認められていないようだ。・・・火縄銃より殺傷力の高い大砲は秘中の秘だ!


 庶兄信広も雷のような爆発音が聞こえるたびに攻めかかっていた今川軍がの兵士が10人以上が倒されたのを見てはいるが・・・親父殿(信秀)から新兵器の存在を話すなと言われている。

 数度雷のような爆発音の後、後方に控えていた今川軍の本陣が混乱を始め、退却を始めたと説明しているのだが、大砲の存在を隠しているので論功行賞で集まった家臣団には理解できないようだ。・・・射程距離の関係で火縄銃では倒されないのに、火縄銃で倒されたと言うことになった。


 ただ俺の手柄は渡河地点の橋を爆破したことで敵から大量の武具を手に入れることが出来たというだけで、逆に直ぐ戦場から離脱した行為を


『敵前逃亡』


だと言ってなじられた。・・・なじっているのは実弟の信行派の武将(権六・柴田勝家)や実母の土田御前だ。

 それを見ながら信行は薄笑いを浮かべている。・・・チッ!いやな奴だ。


 今川方の総大将の黒衣の宰相、大原雪斎を捕虜として治療し、配下にして雇い入れた等とはこの場では言えない状況だ。・・・この事実を知っているのは親父殿(信秀)や傅役の(平手)政秀さんだけで、もう一人俺を援護している庶兄信広には親父殿からこの事実を伝えてあるようだ。

 俺の廃嫡問題にまで発展しそうだったのが


「北畠の大軍が桑名新港に攻めかかってきた。」


と伝令が伝えた。

 俺が慌てて立ち上がり、その場を去ろうとすると尻馬に乗って


「また敵前逃亡か!」


と信行がなじり、場に嘲笑が溢れたが、伝令の


「攻めかかってきた北畠軍5万!」


との次の一声を聞いてその場の笑顔が凍った。

 先の戦いで攻めかかってきた今川方の兵力ですら8千人であったものが、この戦いでは5万もの将兵が押し寄せてきたのだ。


 北畠晴具きたばたけはるともは自領の桑名に騙し討ちのように織田家が商業用にと土地を買い上げて拠点を造り上げられた。

 更には桑名港側が九鬼家と組んで織田家の桑名新港に牙をいた桑名の戦いで逆に破れて桑名周辺を制圧されてしまい北畠の領地に俺の一大拠点をつくられてしまったのだ。


 桑名の戦いで敗れて桑名港の代官が放逐されておめおめと戻ってきた。

 弁明も聞かず北畠晴具は一刀のもとに代官の首を切り飛ばして


「信長め!目に物見せてくれる!」


と息巻いた。

 ところがそれに水を差すような事態が起こった。

 北畠家の寄子であった赤堀家が織田家の俺の元に身を寄せてしまい、そのうえ俺が三河の国(現在の愛知県東部)にある吉良大浜城を陥落させ三河湾の制海権を手に入れてしまったのだ。


 北畠晴具は時を待った。

 北畠晴具の領する伊勢の国は時代の新兵器、鉄砲の一大生産地である紀伊の国の根来とは隣国で距離的に近く大量にその鉄砲を手に入れることが出来た。

 その鉄砲を出来るだけ手に入れて桑名新港を手に入れる時期を見ていたのだ。


 時機到来、安祥城を今川方が攻め寄せ、何らかの原因で敵の総大将が倒れて今川方が敗走した。

 織田側は追撃戦の最中、織田信長は矢作川にかかる浮橋を爆破したものの追撃戦に加わらず敵前逃亡した。

 戦況も判断できない信長はどう見ても噂通り

「尾張の大うつけ」

である。北畠晴具は


「今回の戦を見ての通り

 織田信長は尾張の大うつけである。

 織田信長恐れるに足らず!

 今こそ織田信長を打倒して、桑名を奪還する。」


と国中に檄を飛ばした。

 また北畠晴具の治める伊勢の国は山地が多く昨年は害虫被害による不作、今年は大水害によって凶作になり民衆は飢えている。

 いつ何時、一向一揆が起きても不思議は無かった。

 その反面、どういう理由か知らないが日照りでも織田家の領内は豊作であった。

 北畠家の民衆はこの豊作地である織田領内を手に入れて生き延びたいとの思いも強く


「桑名を手に入れれば白い飯が食える。」


と言う・・・北畠家が故意に広げた・・・うわさも相まって5万人もの兵が集まった。

 北畠晴具の手元には虎の子の火縄銃が現時点で100丁も集まっている。

 それに対して織田信長の動かせる総兵力は1万人である。


 北畠晴具は知らなかった。

 織田家には、ヘンリー8世号装備の鋳鉄製20ポンド(約9,1キロ)砲やポルトガル船が装備していた15ポンド(約6,8キロ)の青銅砲38門がすでに桑名新港に陸揚げされいることや、ヘンリー8世号に積まれていたり、ポルトガルのガレオン船から出てきた合わせて600丁にものぼる火縄銃を所持していたことをだ。


 俺が津島港から桑名港との間の連絡船に乗り込もうとすると信包と秀孝の二人の弟も乗り込んできて


「親父殿(信秀)の命で、桑名に行き将官大学に入るように言われた。」


と告げた。

 この忙しくなりそうな時に弟の子守かい。

 桑名港に着くとすぐヘンリー8世号のタラップを駆け登る。

 信包と秀孝の二人の弟達は全長60メートルの巨大なガレオン船に目を丸くする。

 どんなに大きくても当事の最大和船の関船でさえ全長23メートル(俺の改造型で30メートル)しかない、それに馬鹿高い前後の楼と独特なフォルムに圧倒されている。


「おい!乗らないのか?」


と埠頭に呆然ぼうぜんたたずむ二人に声をかける。

 二人とも俺と同様に慌ててタラップを駆け登ったところで、片腕の無い黒衣の大男に捕まった。

 大男、兄の信長に向かって


「こいつらも、俺の弟子にして良いのだな?」


等と偉そうに言っている。

 兄が頷く、信包と秀孝は兄についていこうとしたところで、二人ともこっちだと金柑のように少し禿げあがりかけた大きな頭の男に捕まった。


「貴公達の子守役の明智光秀だ。

 この片腕の方こそ黒衣の宰相、大原雪斎殿だ。」


と言われて、またも驚いた。・・・信包と秀孝にしてみれば俺がかの有名な大原雪斎を捕虜にして配下にしたのに驚いて開いた口が塞がらないでいる。

 驚いたまま二人はヘンリー8世号の甲板に立つと、そこには何人もの洋装の男女が整列して集まっている。

 信長の俺が船長室の前に立つ。


「信長殿に注目!」


とボーズンのジョンが声を張り上げる。

 最右翼に居並ぶ将が敬礼し、男女の兵の頭が一斉に信長を見る。

 この様子を見るだけで兵の練度が上がっているのがわかる。

 信長の後ろに桑名の付近地図が下げられる。


「現在、北畠晴具は兵5万を率いて桑名新港に向かっている。

 予想される北畠軍の侵攻ルートは海沿いの道と養老山脈にある桑の里を攻略後侵攻する山道を通るルート、そして艦船を利用して海路を通るルートの三つである。

 海路のルートは九鬼嘉隆の関係で同盟している志摩半島を領地とする九鬼水軍がいる。

 彼等は北畠晴具とも同盟しているが今回は中立の立場をとってこの戦いに参戦することは無い。


 ただ北畠晴具が他家瀬戸内の村上水軍の手を借りる場合はこれを阻止すると言っている。

 もし九鬼水軍から逃れて桑名新港付近まで来たとしてもこの船がいる以上攻込まれることはない。

 次に山を通るルートはせいぜい獣道のような整備されていない山道を使わなければいけないので大部隊を運用するには無理がある。

 残ったルートは海沿いのルートだけだ。」


 北畠晴具の居城は多気御所(城)または霧山城と呼ばれ伊勢国一志郡多気(現在の三重県津市美杉町上多気1148)で津市と聞けば三重県の県庁所在地で海沿いの町をイメージするが多気御所のある場所は山の中で、当時のもう一つの文化の中心地奈良県奈良市にも近い。

 大雑把に言うと三重県の県庁所在地である津市と奈良県の庁所在地である奈良市との中間の山の中だ。

 攻めるのも攻められるのも難しい場所から大軍を仕立てて出てきた。

 北畠晴具の軍は多気御所から海沿いのルートに出るため津市方向に向かって谷を下り伊勢湾の沿岸沿いを北上する。・・・と見たのだ。

 北畠晴具の軍に忍ばせた忍者からの情報も同様だ。


 決戦の地は桑名新港で行い無理をして出陣しない。

 桑名新港の守りに使うのは引き上げたポルトガル船に積載されていた青銅砲38門だ。

 この青銅砲は有効射程距離は1キロにも満たないが、この時代で日本国内で使われている火縄銃の有効射程距離は80~100メートル、和弓では京都の33間堂の通し矢が有名だが、33間は約62,7メートルなので70メートル前後しか飛ばすことが出来ない。

 この製銅砲を使用すれば北畠晴具が使用する飛び道具よりもかなり離れた場所から攻撃することが出来るのだ。


 そのポルトガル船の青銅砲等の積み荷は桑名新港の倉庫の一角に集められて置かれている。

 海に浸かっていた青銅砲を38門は磨き上げられてブロンズ色に輝き、いつでも使える状態になっている。

 その青銅砲部隊の指揮官は黒衣の宰相大原雪斎、副官に明智光秀を充てた。


 俺の弟の信包と秀孝が驚いて俺を見た。・・・指揮官の大原雪斎は敵対する今川家の重鎮で今川義元の右腕だった人だ。

 右腕を失う重傷からようやく癒えたところでもある。

 俺への忠誠の試金石でもある。・・・根来の忍者衆の時もそうだが戦でその人の忠誠心がわかるものだ。


 尾張には黒鍬者の言葉の由来になった、大野鍛冶が柄を黒くした幅広で肉厚の鍬を使った土木作業の専門家集団がいる。

 大原雪斎と明智光秀はその黒鍬者を使って青銅砲を配置していく。


 弟の信包と秀孝は天文10年生まれの双子と設定したので9歳になったばかりである。

 この頃は12歳が元服(成人式)である。二人には少し早いが大原雪斎を烏帽子親にして元服の儀を終えてた。

 この戦いは二人にとっては初陣で、あまり敵が来そうもない大砲陣地に配した。

 白色の将官大学の制服にした前世の記憶にある詰襟つめえりの学生服が二人ともよく似会っている。


 俺は地上戦を太原雪斎に任せてヘンリー8世号にそのまま乗艦している。

 海沿いを進軍中か負け戦で逃げ出す北畠晴具を追って砲撃するつもりだ。

 この時代ではどこよりも安全なヘンリー8世号だ、それで産み月まじかな帰蝶さんが船尾にある貴賓室に入った。

 彼女の身の回りを世話をする船医のグランベルと桜子さんおかよさん達医師や看護師の面々も控え室にした1階の大広間で待機する。

 他の住民は青銅砲で守られた鉄壁の桑名新港にいる方が下手に避難するよりましだ。

 それでも危険な状態に備えて尾張丸以下の5隻の関船等が待機している。

 津島港への定期船も待機して今や遅しと攻め寄せる北畠軍を待ち受けている。

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