第24話 リベンジ戦の後始末
天文18年(1549年)の秋、俺は15歳になった。
2年前の天文16年に知多半島の根元にある吉良大浜城付近の焼き討ちという簡単な初陣であったが情報戦で敗れてしまった。
これで俺の、織田信長の名声は地に落ち
「焼き討ちも出来ない尾張の大うつけ」
というの言葉が広く世の中に
織田信長の落ちた名声を取り戻し、彼の供養の為の初陣のリベンジ戦を行ったのだ。
その結果、吉良大浜城の城主長田重元を捕虜にして吉良大浜城や吉良大浜漁港を手に入れたのだ。
吉良大浜城や吉良大浜漁港を手に入れたのは大きい。
それは地理的に見ても吉良大浜城は三河湾(知多半島と渥美半島によって形成された湾)の知多半島の根元に築城されている。
現時点では伊勢湾は先の桑名の戦いで九鬼水軍の誇る主力戦力の関船5隻を全て沈没させて力を大きく削いだことから織田家が制海権を握っている。
伊勢湾の一角にあるような三河湾の制海権は松平(徳川)家と同盟関係にある今川義元が握っているが彼等も一枚岩ではない。
その三河湾に面した吉良大浜漁港を押さえた意味は大きい。
それは織田家が伊勢湾から外洋、太平洋に出入りす際に通過する伊良湖水道(志摩半島と渥美半島の間)において三河湾から出撃した松平家・今川側の船が織田側の船を攻撃を仕掛けようとした際に牽制できる位置に吉良大浜漁港があるからだ。
吉良大浜城と吉良大浜漁港は以前俺が桑名新港を造り上げたパネル工法を手本として再建が行われ始めた。
この戦いで目覚ましい働きをした根来の三郎を吉良大浜漁港とそこに出城を築城する作事奉行に取り立てて急ぎ再建工事を行っている。
確かに三河湾の制海権を有する松平家や今川家は吉良大浜城の再建や吉良大浜漁港を拠点化するために出城を建てられたりすれば喉首に剣を当てられたようなものだ。
当然松平家と今川家は資材を運搬する織田家の関船に襲いかかった。
この時松平家も今川家も協力することなく個々の水軍が単独で織田家の関船を襲ったのだ。
織田家の化け物船は風下からでも風上に航行する事が出来る等の特徴を生かして松平家と今川家の水軍をほんろうし、さらには化け物船の船首に付けた衝角の餌食となって松平家も今川家の持ち船も次々と海底へと沈んだ。
これは松平・今川家の両水軍の痛恨事で、三河湾の制海権を織田家に奪われたことになった。
松平家や今川家は織田家の化け物船に船は沈められ船荷は奪われ、漂っていた船頭や
松平家や今川家が
「船頭や水主、船荷を返せ。」
と言っても俺は船頭や水主の法外な身代金や船荷の買取を要求し、それどころか賠償金まで要求したのだ。・・・いつの世でも戦争は勝てば正義だ。
しかし
「勝った。勝った!」
と喜んでいるが化け物船の優位性もいつかは無くなる。
それに拾い上げた船荷の中には、この地方では近い根来や国友の鉄砲鍛冶が造る
『火縄銃』
があった。
火縄銃はこの時代の新兵器だ。
織田家でも火縄銃の見本があり前世で競技用のライフル銃を分解しまくった俺がいるので製造できないかというと・・・製造できない理由がある。
織田領には有力な鉄鉱石の産地が無いのだ。
この時代、産地が無いことから有名な刀鍛冶師もいない。
例えば
「関の孫六」
で有名な刀鍛冶が美濃にいるのは柿野鉱山(現在の岐阜県山県市)という鉄鉱山があるに他ならないのだ。
またこの根来や国友村で出来る火縄銃は鋳造ではなく鍛造なのだ。
鋳造は鋳型と呼ばれる型に溶けた金属を流し込んで造り、鍛造は溶かし切らない金属を叩いて型を造る。
これは鋳造は複製品を大量に造れ、鍛造はその鍛冶師の技量に負うところが大きいという事だ。
何はともあれ戦略的軍需品である鉄鉱山か、無ければ奪い取れば良いが、何処を取ればよいか?また戦力的には今のところは無理か。・・・難問である。
松平家と今川家とは戦後の講和(和解)もなされずに緊張状態を維持したまま吉良大浜付近の復興の最中であるが、俺の方はと言えば、ある程度吉良大浜城等の目処がたったので少しお腹が目立ち始めた帰蝶さんを連れて桑名新港に来ている。
桑名港と桑名新港との間にも桑の里と同様に医科薬科大学の附属病院、桑名病院を建てて、その産科の病棟に帰蝶さんが入院する予定だ。
それに帰蝶さんの遠縁の美濃屋の女主人おしのが桑名港にいる。
「若様の子供は私にとっても孫みたいなものですから、大事にしなければねぇ~。
ところで若様、娘のおかよとどうなっているの?
おかよの事大事にしすぎて手も出せないのかぇ~。」
等とからかって来るが、オッパイのいや懐の大きいおしのさんがいるのは安心だ。
この時代はお産自体は今までは産婆の仕事であった。
これまでのお産は赤ちゃんや母体が亡くなる事が多く、生命の誕生はあの世からこの世に生まれてくるという
呪術的要素(加持祈禱)を無くしてこれを一新したいところではあるが、お産の経験者は必要で桑名病院にも産婆はいる。
産科の特別室に帰蝶さんは入院する事になった。
帰蝶さんの担当医師が桑の里で最初に出会った山窩の村娘桜子さんと織田姓を賜った美濃屋の女主人おしの次女おかよだ。
二人は物覚えも良く医科薬科大学の総長である沢彦和尚が絶賛する程の才女で、優秀な薬師集団からも手放しで褒め称えられている。
以前根来の楓を襲った北畠家の武家集団をどんぐり状の弾丸を使った際に、遺体からその弾丸を取り出しついでに解剖図まで描き上げた二人だ。
その桜子さんとおかよの許可を受けて俺と帰蝶さんは桑の里に行く事にした。
実は水車を動力にしてこの世界では初めてのケーブルカー(登山電車)・・・おしのさんが山登りが簡単にできないかとの要望に応えたもの・・・の開通式をするついでだ。
おしのさんの要望もあるが、大工の関地君も
「若様が言うプレハブ工法の資材運びがもっと楽にできないか。」
との要望に応えたものだ。
これで貨物車として既に稼働して安全性が確認できたことから、人を乗せる専門の客車の初披露を兼ねての乗車である。
ゴトゴトと音をたててケーブルカーが動き始めた。
木のレールの上を木で出来た手作りおもちゃのような客車に乗った。
その動力が水車の為、多人数やあまり重い荷物を載せられないが、俺と帰蝶さんそして桜子さんとおかよさんの4人ぐらい乗っても問題はない。
勾玉造りのガラス職人を見つけ出して顕微鏡や望遠鏡の研究をさせているが、まだ板ガラスが出来ていないので窓から紅葉し始めた山の風が入ってくる。
顕微鏡や望遠鏡で使っているレンズの透明度がいまだに低いのだ。
天文20年(1551年)、2年後にフランシスコ・ザビエルが大内義隆に眼鏡や鏡を贈ったとある。この後ぐらいにクリスタル(透明な)・ガラスが出回り始める。
ガラスの色は金属によるものでクリスタル・ガラスを造るには体に悪い鉛を加えると出来るそうだ。
その体に悪い鉛は鉄砲の弾にもこの戦国時代や江戸時代でも化粧にも使ったりするので、いつかは誰かがその鉛を使ったクリスタル・ガラスを造り出すだろう。
馬も引いていないのに車輪の付いた木の箱が動く、帰蝶さんも桜子さん、おかよさんも目を見開いて
「何で?馬や牛も曳いていないのに何で動くのや?」
と窓枠にしがみついている。
それでも視界が開けてくると
「
凄い!」
と三人が窓枠にしがみついたまま外を
望遠鏡で俺が外を見れば、それを三人が取り上げて
「凄い!遠いところがよく見える・・・でも何となく曇っている。
顕微鏡もそうだけどもっとよく見えないかな?」
等と注文を付けられ
「ねえ、何でこの乗り物を造ろうとしたの?
何で田畑を四角くしたの?
それによく見ると何で稲の間が開いているの?」
デジャヴュ・・・う~ん以前にも同じ何で攻撃が始まった。
「ケーブルカーはおかよさんのおっかさんがこの山を登った時に青息吐息で何とかしてくれと言うので考えた。
田畑は四角くすれば作業効率が上がるがためにだが・・・う~ん稲の間を開けるのは俺の美的感覚・・・違うな稲の病気が広がらない事と忘れたすまん。」
等と言っているうちにケーブルカーが桑の里駅につくと、平手政秀さんの嫡男で作事奉行にした五郎右衛門さんが迎えにきている。
ケーブルカーに乗って課題点が見えてきた。
一つ目はやはり透明度の高いガラス造りを考えなければならないという事。
二つ目の課題はケーブルカーが木で出来た玩具で、ロープも麻縄では不安だという事である。
金属製にすると言っても先にも言った織田領には有力な鉄鉱石の産地は無い、産地が無いことから有名な刀鍛冶師もいないのだ。・・・鉄鉱山か無ければ奪い取れば良いが、戦力的には今のところは無理か。今のところ何ともならない本当に難問だ!
迎えに来た五郎右衛門さんに桑の里の進捗状況を聞きながら里の中を案内してもらうことになった。
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