第22話 仇討

 赤堀家の爺様の懇願によって馬之助と左馬之助が父親を殺した城代家老に対して仇討をする事になった。

 5日後までに赤堀家の城の門前の広場が整地されて塩で清められ、竹矢来が組まれていた。

 平手政秀さんと赤堀家の爺様が城の表玄関の上り框に設けられた床几に座る。


『ドーン』『ドーン』


と家老さんが太鼓を打ち鳴らすその中に天文10年(1541年)生まれで8歳になるかならないかの少年二人が腰に太刀を差し、白鉢巻に白色の衣装に身を包んですっくっと立っていた。

 この二人の少年こそが馬之助と左馬之助である。

 緊張の為か青白い顔をしているがその辺の8歳児より逞しくて大きい。

 彼等の後ろには身の丈6尺を超え真黒な皮の袴に皮の陣羽織に背には約4尺にも及ぶ太刀を背負い片手には約4尺の木刀、片手には城代家老の差料である大小の刀を持って立っていた。・・・もちろん二人の剣の師匠の俺である。


 唐丸籠が運び込まれて、その中から山賊の親玉の様な城代家老が目を爛々と光らせている。

 俺は手に持つ木刀を地面に突き刺し背から愛刀を引き抜くと、その唐丸籠に近づいて2度、3度と太刀を振るうと唐丸籠の竹が切り飛ばされる。

 俺がガシャリ、ガシャリと城代家老の差料を唐丸籠の前に置くと、城代家老は唐丸籠から飛び出して太刀と脇差の鞘を捨てると両手で抜身の太刀と脇差を構える。

 その姿は腰が引けてまるで蟹だな。・・・構えただけでも器量が分かる。

 俺が稽古をつけている馬之助や左馬之助の相手にならない。・・・と思ったが馬之助も左馬之助も初めての真剣勝負緊張で硬くなっている。

 両者とも


「ウウ」「ウオー」


等と騒ぐだけで戦いが始まらない。

 俺は馬之助と左馬之助に相手と距離を取らせて軽く素振りをさせる。

 素振りをするたびに馬之助と左馬之助が落ち着きを取り戻した。

 逆に二人を見ていた城代家老は顔が青ざめてきた。

 宮本武蔵じゃあるまいし二刀などを使ったことが無い。

 二人の真似をして刀を振るが、無闇矢鱈に振り回すだけで形にもなっていない。


 落ち着きを取り戻した馬之助と左馬之助はサアーッと左右に分かれて城代家老を挟み込むように動く。

 馬之助が切り込みそれに対処しようとすれば、その隙を左馬之助が突っ込む。

 今度は城代家老が一方に切りかかれば他方が突っ込む。

 馬之助も左馬之助も無傷だが、少しずつ城代家老に傷がついていく。

 流れ出る血は少しずつではあるが体力と生命力を奪っていく。

 起死回生とばかりに


「グワーッ」


と大声を上げて城代家老が脇差を左馬之助に向かって投げて、太刀を振りかぶると馬之助に切りかかる。


『ガスッ』


 馬之助が切られる寸前に城代家老が投げ捨てた太刀の鞘で城代家老の捨て身の一刀を俺が受けたのだ。

 ギロリと俺を睨んだ城代家老は


「邪魔をするか!全て邪魔をするのか。」


と喚きながら俺に切りかかってくる。

 馬之助に背を向けたのが敗因だった。

 馬之助は


「親父殿の敵!」


と大声を上げながら腰だめにした太刀を城代家老の背に突き刺した。


「貴、貴様。」


と言いながら城代家老は馬之助に向き直ろうとする。

 その隙を左馬之助は見逃さずに城代家老の反対の腰に向かって剣を突き刺さす。

ガシャリと太刀を手放した城代家老はクタクタと崩れ落ちて正座するようにして座った。

 苦しい息の中で城代家老は


「か・・・介錯かいしゃくを」


と囁く、俺は


「でかした。馬之助!左馬之助!下がれ!」


と告げると愛刀を肩の位置で介錯をしようとする。

 介錯の刀の位置も重要で肩の高さならば下郎や子供、頭の上ならば同僚、さらに上ならば自分より高位の人物になるのだ。


 スーッと俺の愛刀が城代家老の首へ振り下ろされる。

 城代家老の首の皮一枚を残して切り離すと頭が胸に抱え込まれるようにして落ちた。

 ただその首は晒すことなく首塚を造って供養した。というのも赤堀家の双子が瘴気にでも当てられたかおこりを起こしてその場で倒れてしまったからだ。


 三日三晩うなされていたが、その三日後は


「男子、三日会わざれば刮目して見よ。」


というほどの変貌を遂げていた。

 城代家老の家族については妻女のみがいたが尼寺に預けられた。・・・その他の親族と言っても小さな豪族だから一番近い親族は赤堀家の爺様になるので族誅できないでしょう。


 城代家老の仕置きが終わり、それ以外については予定通り


「家禄没収のうえ当人は農奴(作業労働者)に身分を落とす。

 ただし息子や屋敷を次ぐ資格のある者は捨扶持で赤堀家の当主(爺様)の小姓見習いとする。」


等と普通一向一揆の首謀者やその一族郎党は撫で切りの族誅だったのにかなり甘い処分だ。・・・逆の場合は赤堀家の爺様と一族郎党が撫で切りだった事を思えば本当に甘い処分だ。

 首謀者の全て、住職や僧兵も同様に農奴(作業労働者)に身分を落とされた。


 一向一揆をくわだてて農奴にされた寺の住職が二人いる。

 その一向宗の寺は広い領地(荘園)を持っており、その荘園の財力と維持管理などから僧兵と言う武装兵団が生まれた。

 僧兵を雇え(養え)なくする為にその住職の寺が支配する二ヶ所の荘園も召し上げて織田家(赤堀家)が管理する事にしたのだ。

 ただ住職のいなくなった寺を廃寺にするわけにもいかず、都合が悪いからと言って他宗の僧侶を入れる訳にはいかない。

 織田家内で学僧の誉れが高い一向宗の僧侶を選んで住職として据えた。


 ただ荘園が無くなると新たに住職にしたこの者も食えなくなる。

 それで徳川幕府が使った檀家制度だ。

 住民を寺が管理して、檀家から浄財を集めるという方法だ。・・・う~ん浄財も年貢の関係があるので上限を設けた。その額以上を受け取れば住職も檀家も処罰される事にしたのだ。

 桑名の戦いで寺から荘園を取り上げただけで後の手当てをしなかった事から


「食えない、これでは一揆を起こすしかない。」


とその寺から脅され泣きつかれて取り入れた方法だ。


 赤堀家騒動の後始末を終えた俺はこの騒動で農奴になった者を引き連れて赤堀家の領内で水害の発生地域で特に被害が大きかった海藏川と三滝川の上流を歩く。

 この海藏川と三滝川の下流に桑名新港があるのだが、今回の水害では桑名新港の周りは水浸しになって浮き城のようになった。

 それを防ぐためにこの川の上流でダム、それも付近の岩などを使ったロックフィルダムを造らせる事にしたのだ。

 最初は水害がある程度、抑えられるくらいのものであまり規模が大きくなくても良い、夜も昼も無く・・・訳は無いでしょう!適度に休憩と食事をとらせて・・・働かせた。


 翌年は雨の降る日が全くなく日照りによって川が渇水して旱魃かんばつが起きた。

 俺の領地以外の各地の田畑の土地のほとんどが干からびて作物は全滅した。

 しかし俺の領地となった赤堀家と桑名新港周辺等では上流のダムのおかげでその年も豊作だった。

 何はともあれ赤堀家を手に入れて


『後顧の憂いを絶つ』


事が出来た。

 これで念願の初陣のリベンジ戦を行うことが出来るようになったのだ。

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