第7話 桑の里

 俺の前を山窩の娘桜子が山を駆けるように登っていく。

 膝よりも少し短い着物からすらりと伸びた足が見えて、その足が踊るように動く。

 桜子は『山の悪神』と二つ名で呼ばれるこの付近の山の主である大熊に生贄いけにえとして捧げかけられた。

 俺よりも2歳年下の11歳の若さでこの世から散りかけたのを俺がその大熊を倒して救ったのだ。

 桜子からも感謝され、山窩の村の民からも感謝され、山窩の村長である桜子の祖父からも感謝され


「信長様がこの小さな山窩の村ですが村長となり、山窩の村の民を導いて下され。」


と依頼された。

 渡りに船だった、天文11年(1542年)に鉄砲(火縄銃)が伝来して戦法が大きく変わってきている。

 問題は火薬、その主成分となる硝石を手に入れることが問題なのだ。

 硝石は水に溶けやすい、それで雨が良く降る日本国内では天然の硝石は無いのだ。

 この日本国には無い硝石を海外から高い金額で輸入する事になる。

 消耗品の硝石を輸入にばかり頼るくらいならつくれば良いと考えた。


 こんな時に前世の知識がある俺は思い出した。

 加賀藩(前田家)の五箇山で塩硝と言う名で硝石を造っていたことを。

 当時は徳川幕府の時代である、硝石を造る事自体が謀反と思われる事から五箇山と名前が付いたように四方を山々で囲まれた場所で密かに造られていた。・・・う~ん今は五箇山は世界遺産に登録され交通事情が格段に良くなっている。

 そう前を駆けるように登る桜子の住む山窩の村はこの条件にぴったりだ。

 そんな風に思っていると


「若!若・・・休憩しましょう。いくら何でも山を登るのが速すぎる。」


と後ろから声をかけられた。

 俺と桜子が後ろを振り返ると・・・死屍累々ししるいるいとはこの事か?

 声をかけた五郎右衛門さんとその配下の兵が倒れているではないか。

 この五郎右衛門さんは傅役の(平手)政秀さんの嫡男で、この地に来た理由は政秀さんが桑名新港の尾張屋の番頭から


「若旦那が山に狩りに行き、山に入って三日経っても帰って来ない。」


との報を受けて心配になってきた。それが


「とうとう、若旦那が四日経っても帰らない。」


との報になり、それで五日目の早朝には高齢な政秀さんでは山に入れば足手まといになるのでまだ若く足腰のしっかりした息子の五郎右衛門と捜索の為の兵士100名を連れて桑名新港まで来たのだ。

 桑名新港についた政秀さんは息子の五郎右衛門さんを長にその連れてきた100名の兵を使って山中で行方不明になった俺を捜索しようとしたところで俺と桜子が下山してきたのだ。

 それを見た政秀さん


「若ようもご無事で。

 若に何かあれば、この腹掻っ捌いて詫びても償うことが出来ません。」


既視感デジャヴュすごい!そんな政秀さんに


「すまなかったじい。」


と声をかけたら足にすがって泣き出した。・・・う~ん本当に既視感が凄い!

 俺は落ち着いた政秀さんに


「山窩の村を支配する山の悪神と言う大熊を倒した。

 それで労せずしてその山窩の村を手に入れた。

 山窩の村は山の悪神のせいもあって貧乏で苦しんでいる、それでその山窩の村にも桑を植えて蚕を飼い富みさせてあげたい。・・・綺麗きれいごとだ本当は五箇山のように塩硝の産地にするつもりなのだ。・・・」


等と俺の説明を聞いて、政秀さん


「若はまたしても新たな土地を手に入れ、そこに住む民の事を考えて下さるようになった。」


と喜んでくれた。

 それで俺の捜索をする為に集まった五郎右衛門さんと100名の兵に


「信長様について行き、山窩の村を桑の里にしなさい。」


と政秀さんが命じたのだ。

 それで五郎右衛門さんや100名の兵は桑の苗木や蚕を背負って山に分け入った。

 若い兵は桜子のすらりと伸びた足を見て、鼻の下を伸ばしてついて行ったが途中から一人二人と脱落してこの状態になってしまった。

 塩硝造りを保秘すると言う観点から程遠いが、これ程急峻な山を登るのだ、訓練された人でもへばってしまう。

 そうだケーブルカー(登山鉄道)でもつくるか。・・・これならば政秀さんも楽に登れるが・・・保秘が!?時代が!?


 死屍累々の状態を見て少し早いが、昼の大休止だ。

 塩を振っただけの白い大きな握り飯を桜子に渡す。

 桜子が驚いて俺を見て


「こんなに沢山の真白な米を食べるのは初めてです。

 私の住む村は山の悪神で田畑もつくれなかったのです。」


と言って涙をこぼした。

 俺はその話を聞いて桑の木を植えて桑の里にするのもそうだが、村の民を飢えないようにするのが喫緊の課題だな。・・・桑の実は食用にもなるが?やはり米か?


 俺と桜子の山を登るペースが速すぎてついてきた兵がへばってしまった。 

 そのおかげで逆にペースが落ちて、目的の山窩の村に着くのにまる1日も掛かってしまった。

 山窩の村で兵が歓待を受ける。・・・う~ん、こんな時は皆元気だ。

 翌日から山窩の村を上げての歓待によって元気を取り戻した兵士が担いできた桑の木を植える。・・・山窩の村改めて桑の里での養蚕の村づくりの第一歩が始まった。


 俺は山窩の村(桑の里)の村長だと言っても織田家の嫡男で次期当主でもある。

 毎日この桑の里にいるわけにはいかない、丁度俺の遭難騒ぎで政秀さんの嫡男五郎右衛門さんが里に来ている、彼を桑の里の村長補佐と作事奉行に任命する。・・・俺の重臣の政秀さんは俺の親父殿の家老職でもあるのだ。

 親父殿の家老職にある者を、俺の配下になる奉行職に兼任でもするわけにはいかないだろう。

 それに息子の五郎右衛門さんとも仲良くやって行けば歴史上起こるであろう政秀さんの腹切りも阻止、回避できる事になる。

 五郎右衛門さんが連れてきた100名の兵も桑の里まで来て桑の木の植林をしているので、彼等も桑の里の作事作業にそのままあたらせることにした。


 持ってきた桑の木の苗木を全て植えたのは良いが、この後の桑の里の村づくり、塩硝造りという大変な作業が待っている。

 先ず住まいが無いのだ。

 もともとは山窩の村で山の悪神という巨獣の大熊が暴れ回っていたために掘っ立て小屋しか建てられていない所だ、それで村民や兵士の為の住居を建てる事にした。

 それに養蚕屋敷の建築もしなければいけない。

 養蚕屋敷とは加賀藩が隠れて塩硝造りを行った五箇山で見かける、いわゆる合掌造り(三角屋根)で出来た巨大な建物を指すのだ。

 五箇山でも養蚕屋敷の建物は大きければ大きい程、目的の硝石が良く採れるそうだ。

 他の建物より先に養蚕屋敷、村長の俺の屋敷と作事奉行の五郎右衛門邸を2棟建てさせた。 


 建てているうちに気が付いた。

 大きな養蚕屋敷1棟を建てるだけでも20人や30人は軽くそこに住める。

 ちまちまとした村民や兵士の住宅を建てるよりは大きな養蚕屋敷を建てた方が良いということに気が付いたのだ。

 ただばかでかい屋敷だ、俺の屋敷と五郎右衛門の屋敷を建てるだけでも今年1年はかかりそうだ。

 皆が住まえるような養蚕屋敷はそう簡単には建たないのでしばらくの間は掘っ立て小屋住まいだ。


 桑を植え、養蚕屋敷の一角を絹製品の作業場にした。

 その作業場には、尾張で購入した糸紡ぎや機織り機を搬入した。

 桑は蚕の食べ物になるだけだは無い、桑の実は食用にもなるのだ。・・・それをジャムや果樹酒にもできる。

 桑の皮も薬用になると聞く・・・しかし薬どころかジャムや果樹酒の造り方は知らない知らなければ知っている人・・・優秀な薬剤師、今の世界では薬師か?・・・を探しだしてやらせばよいればよい。

 俺は金持ちだ!しかし優秀な薬師ほどなかなか見つからない。

 それに優秀な人ほどこんな山奥にはきたがらない。


 養蚕屋敷において蚕の糞等を使った硝石づくりも重要な課題だ。・・・今一いまひとつ、政秀さんも五郎右衛門さんも硝石の重要性はわかるが、作り方はわかっていないようだ。

 それで養蚕屋敷の真中に穴を掘って蚕の糞等を入れさせたらやはり


『尾張の大うつけ』


と兵士達に陰口をたたかれた。・・・桜子さんを始めとする旧山窩の村の民は興味津津で見ているだけだ。

 桑の里が出来て3年後、養蚕屋敷の土を使って硝石の取り出し実験をやっと手に入った薬師がする。

 実際に硝石が出来上がったのを見て五郎右衛門さんもこれでやっと気が付いて俺を見直したようだった。

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